1000年後も歌っていたい気持ちを文化と名付けよう
Le:verbのvocal黒うさぎです。今回は私のターン!
前回の記事で知さんが「ぼくらの緊急事態」と称して、まだまだLe:verbはオンラインでの活動もしていくよ!と宣言してくれたわけですが。
皆さんは音楽に対して何を求めていますか?
生の感動、刺激が欲しい!と思う人はやっぱりライブじゃなきゃ!と思うだろうし、良い音質で上質な音楽を聴きたい!と思う人はむしろCDの方が良いと思うかもしれないし、音楽に求めるものって人それぞれ違いますよね。
音楽を演奏する人、聴く人、それぞれの違いっていうものもあるのかもしれない。
様々な音楽への関わり方がある中で、Le:verbは今のところオンラインでのみ音楽を発信しています。それは、「ライブじゃなくても伝えられるものがある」と思っているからなのかもしれません。
もちろんライブはしたいし応援してくださる人とも顔を合わせて伝えたいなって思うけれど、私と知さん、二人とも「ライブじゃなきゃ音楽じゃない」と思っていたら今の活動はしていないはず。知さんに聞いたことないからわからないけど、多分そのはず(笑)
知らんけど(笑)
じゃあ私にとっての音楽って何だろう?音楽を演奏する側として何を伝えたいんだろう?と自問自答して辿り着いたのが、「共有」でした。
私にとっての音楽は「共有」
世の中には、俺の歌を聴いてくれー!ってタイプの人もいて、情熱に溢れているしそれだけのパワーもあったりして人を惹きつけていることもありますよね。
多分私はそのタイプではないのです。いや、もちろん沢山の人に聴いて欲しいとは思うし情熱もあるのですが。
私は、音楽を通して、聴いてくれる人や仲間たちと「共有」をしたいタイプなのだということに最近気づきました。
その昔「なんでアニソンカバーしてるの?」と人から聞かれた時、「アニメが好きだから…」としか答えられずになんだかモヤモヤしていたのですが、今となっては「アニメが好きで、その気持ちや思い出を誰かと共有したい」と答えた方が自分の気持ちにより近かったかなぁと思います。
好きなもの、感動したシーン、見た情景、その時の気持ちや記憶、言葉には表せないけど感銘を受けたこと、鼻腔をくすぐる甘酸っぱい香り……などなど、音楽を通じてそういったものを共有することができるんじゃないかと、私は割と本気で信じているのです。
わかりやすく言うと「あっその曲!アニメ〇〇の最終回でだけ流れた曲じゃない!切ないメロディーも好きだし、また歌詞がストーリーとリンクして一層泣けるんだよね……!めっちゃわかる…!」みたいな会話をしたいのです(完全に余談ですが、アニメ最終回や劇場版で一回だけ流れる曲のようなものに私はすごく弱いです。思い入れ強くなりすぎる。スクライドの『旅立ちの鐘が鳴る』とかさぁ!)。
そのアニメを見たとき、私とあなたは別々の場所で、年齢も性別も何もかも違って、もしかしたら交わることがなかったかもしれない人生だけど。
こういう会話をすることであの時の私とあの時のあなたがたしかに交差しているような気持ちになれるのです。メルヘンチックですね(笑)
私は子どもの頃ずっとアニメを見ていたのでアニメで喩えていますが、アニメに限らず音楽によって共有できるものって沢山あるのだと思います。
皆さんにもありませんか?
この曲を聴くとあの雨の日二人で見た窓の水滴を思い出す、とか、その曲を聴くと彼がつけていた首元の香水の香りを思い出す、とか。
もちろん同じ感情や記憶は一つとして無いけれど、音楽を通じて思いを馳せているその瞬間を共有したい。
私の願う「共有」は、ライブじゃなくても伝えられるものの一つ。
そんな気持ちでいます。
だから、ライブに拘らず動画でも音楽を発信していこうと思うのかな。
この気持ちもそのうち変わるかもしれないから、今のところは、ですけどね。
音楽は時を超える
私はボーカルなので歌詞をすごく大切にしているし、聴き取りやすく丁寧に歌ってくれる歌手が好きです(個人的意見)。
歌には短い中にも選びぬかれた珠玉の言葉たちが並んでいて、「わかるー!」とか「泣ける…」とか、様々な感情を齎してくれますよね。これも「共有」を後押ししてくれる大きな要素なのかなと思います。
数年前、関ジャムだったかな?歌詞の特集をしていた音楽番組があって、「良い歌詞とはなんぞや」という議論をしていました。
勿論色んな意見があるだろうし人によって良い歌詞の定義は違うと思うけど、私はその番組の中でどなたかが仰った「良い歌詞とは、記憶の引き出しをそっと開けて、隅っこにあるものをつつくような歌詞」(※うろ覚えですし情報に何の確実性もありません。悪しからず)という言葉にとても共感したのです。
自分でも忘れていたような、うまく言葉にできないような、そんな感情や記憶を呼び起こさせてくれる歌詞。
そんな歌詞が書きたい~!(話がズレました)
歌詞がメロディに乗せられて伝わるから、よりグッと来るわけです。音楽にはそんな力があります。
歌詞の話はし始めたらキリがないのでまた回を改めて!
良ければ皆さんの好きな歌詞も教えてくださいね。
1000年後も歌っていたい
大学では古典文学を専攻していた私ですが、古典を読むと1000年以上も昔に書かれたものを目にします。今で言う音楽、歌詞とは違うけれど、それらの言葉が「和歌」として残っていたりもするんですよね。
形は違えどこれも「歌」。
和歌を読むと、昔の人も今の自分と同じように悩んだり苦しんだり嫉妬したり愛を語ったりしていることに気づきます。1000年経っても感情を共有できるのって、すごいことだと思いませんか。
(余談。私は、歌合わせ(優れた和歌を作って競う会)に参加した際に「優秀な和歌の読み手であるお母さんからの代作の手紙は届いたかい?」とからかわれた小式部内侍が「大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立」と即興で歌って、「母がいるところへは遠いのでまだ踏み入れてもいないし文も見ていませんわ」と伝えて相手を黙らせたというエピソードが死ぬほど好きです!オタク特有の早口で一気に喋りました。)
1000年経っても残っている歌があるのならば、私は1000年後も歌っていたい。
そんな夢みたいなことを本気で考えています。
むかしむかしからの感情や情景や人生が、歌として音楽として残って積み重なっていく。それって素敵だなと思うのです。
人々の生きた証の積み重ねを、「文化」と呼ぶのではないでしょうか。
なんか真面目に語ってしまった……!
こんなとりとめのない文章をここまで読んでくださってありがとうございます。
さては暇だな?(笑)うそうそ。
要するにですね。これからも私は、Le:verbはオンラインでもオフラインでも生きた証を残し続けます。ということです。
もちろんライブしたいけど!会いたいけど!音楽への熱量はオンでもオフでも変わりません。
音楽をしていきます。
あなたと共有できることを願って。
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