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日本人は「おもてなし」に囚われ過ぎている

どうも、こんにちは

東京オリンピックまで残すところ153日となりました。
時が経つのはなんで早いんだと感じます。

東京オリンピック開催が決定したのは2013年のことです。

思い出すのはあの有名なフレーズ。

「お・も・て・な・し」

最近小泉進次郎と結婚なさった滝川クリステルさんが演説しました。

(((東京オリンピック間近の結婚!

オリンピックを日本に誘致するにあたって世界には日本の「良さ」を伝えたければなりません。

そこで日本はおもてなしの精神をアピールしたわけです。

そもそも「おもてなし」とはなんでしょうか。

日本語上の意味は「心のこもった待遇」と記されています。

ここで混乱してくるのが「ホスピタリティ(サービス)」との違い。

サービスとは「想定内の待遇」とでも表しましょう。

つまり店に入ってお冷を持ってくるのが「サービス」

客に渡す際に「暑い中お仕事お疲れ様です」という声かけが「おもてなし」となります。

過剰に言えば想像の範疇を超えたサービス

がおもてなしになります。

しかしこのおもてなしの精神は本当に日本人が大切にしているのか。

無論おもてなしの精神を忘れてしまってはならない。が、

おもてなしの心を押し付けられてしまってはそれはサービスになってしまう。

例えば声かけがマニュアル化してしまうとそれは「おもてなし」ではなく「サービス」になる。

そんな「おもてなしもどきサービス」が多過ぎやしないか。

店はサービスを削減すればもっと安く提供できる。

近年は人と会話することを避ける人が多いのでそう言った接待すらも鬱陶しいと感じる人も多いのだ。

私自身服屋に行っても店員に声を掛けられるのが苦手だ。
出来れば一人でじっくり見たい。

そんな人は多いはずだと思う。

しかし店員はマニュアル化されている為声を掛けざるを得ない。
それも十分に理解している。

外国であれば「おもてなし」にはチップが付く。

お金が貰えるかも。と思ってするわけではないと思うがシステムとしてはそれはそれで成立している。

が、日本の「おもてなし」には金銭は御法度。(((日本人は意外と拝金主義なのに…

日本におけるサービス業の労働生産性は低いと指摘されているが実はその「おもてなし」がひとつの原因なのでは無いか?

日本人なのだから「おもてなし」するのが当たり前。

という考えは日本人の文化にしか通じないのかも知れない。

結局「おもてなし」なんて相手が喜ぶであろう。という押売りでしかない。

日本人は例え嬉しかろうが、鬱陶しかろうが快く受け入れるのが大前提。
しかし外国人にとってはそうはいかないかも知れない。

現に「おもて無」を売りにする料理店も出てきている。

その店では牛フィレステーキが通常3000円のところ1650円で提供されている。
その代わり全てセルフ式。

https://youtu.be/xhSleJsMxCY

やはり人件費は大きなコストだ。
懸念されるのは従業員の数が減ること。

ただ全ての店がこうなってしまうのもそれはそれで寂しい気持ちがする。

今本当に需要があるのは「おもてなし」ではなく「もてなし」なのかも知れない。