間違ったことを言わないようにしていた私はトートロジーになり、そしてそれの何が問題だというのだ?
正しさは正しさだ。
りんごはりんごだ。
イルカはイルカだ。
コーヒーはコーヒーだ。
男は男だ。
腕力は腕力だ。
自動車は自動車だ。
権力は権力だ。
支配は支配だ。
女は女だ。
共感は共感だ。
バービー人形はバービー人形だ。
愛情は愛情だ。
抑圧は抑圧だ。
パスタはパスタだ。そこに「温かい」「出来立ての」「おいしい」「たくさんの」「彩り豊かな」「塩気のある」といった形容を加えたとたん、パスタであるところのパスタの自然なるパスタ性は汚され、踏み躙られ、追いやられ、侵食され、永久に失われてしまう。形容詞が怖い。パスタはパスタだと言ったときの、パスタであるところのパスタの自然なるパスタ性は、パスタであるところのパスタの自然なるパスタ性なので、正しく、間違っておらず、あらゆる可能性を内包しており、正しい。形容動詞が怖い。何かの表現は、それ以外のすべての選ばれなかった表現の死のように思える。形容は死だ。
正しさは正しさだ。
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