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「ガチャ」という言葉に隠れた他責思考

最近、「親ガチャ」など○○ガチャという言葉がよく使われています。

ガチャとはカプセルトイの自動販売機で、お金を入れてガチャガチャ操作するとランダムでカプセルトイが出てくるアレです。

私も子どもの頃にお目当てのものが出てくるまでお小遣いを投入しつづけ、散在した思い出があります。

当時は100円を入れるタイプが主流で、中身のほとんどがしょぼいガラクタみたいなものでした。

お小遣いが消えて、代わりにガラクタが増えるという、子どものお小遣い吸い上げマシーンでしたね。

今は金額が上がったものが多く、中身も魅力的なものが多いみたいですね。

ちなみに、私は子どもの頃の悔しい思い出があるため、大人になってからは一切ガチャはしていません。


カプセルトイを選べないことから、「ガチャ」という言葉は自分では選べないことを意味して使われているようです。

例えば、親ガチャは子は親を選べないという意味で使われます。

経済力があまりない親の元に生まれると、お金のかかる習い事や遊びを我慢しなくてはならない、この状況は自分に責任はなく、たまたま経済力のない親に産まれてきてしまったからといった意味合いです。

確かに親は選べないので、まさに「ガチャ」ですね。

親ガチャ以外にも、うちの大学の学生はよくガチャという言葉を使っています。

例えば、実習の班分けでメンバーが学生的には外れであった時です。

これは同情しますね。

私にも経験があります。

私以外のメンバーが真面目に実験に参加しなくて、あの半年は毎週の実験が大変でした。


一方で、学生の「ガチャ」という言葉に怒りを感じたこともあります。

実は、過去に授業アンケートに「あんな試験問題、ガチャだ」と書かれたことがあります。

勉強したところが試験に出なかったため、単位を落とした学生のコメントと思われます。

その科目は試験範囲が広かったので、問題は分野の偏りのないよう、まんべんなく出題し、問題数も多く出しました。

しっかり勉強していれば単位は取れたはずです。実際に単位を取れた学生は多数いましたし。

アンケートに「ガチャ」と書いた学生には、自分の勉強不足を教員のせいにするなと言いたいです。


世の中には自分がどんなに努力してもどうしようもないことがたくさんあります。

そういう事象に対して「ガチャ」と呼ぶのは理解できますが、自分の努力不足を他人のせいにするのは「ガチャ」ではなく、他責思考です。

おそらくこの学生は元々なんでもかんでも他人のせいにする性格なのでしょうが、「ガチャ」という言葉のおかげで、より他責思考の傾向が強くなったのではないかと思います。

「ガチャ」という言葉は、自分にはどうにもならない状況を表すのに便利ですが、たまに、この学生のように、自分の努力不足を他人のせいにする言葉として間違った使い方をしている人がいます。


なんでもかんでも他人のせいにし、自分を省みない人は成長しません。

他責思考の学生には機会があれば注意をしますが、20年近くその考え方で生きてきた人の考え方を変えるのはなかなか難しいと感じます。

社会に出たら本人も周りも大変だろうなと思いますね。



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