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語れるものとミニマリズムの再考

好きなものはありますか?
ミニマリスト・ミニマリズムという言葉が浸透してきていますが、ものを減らすときに「こんなにもいらない物があったのか」と気づく人が多いと思います。私もそうでした。

「こんなにも…」と思う背景には特に愛着もなく持っていた物たちが居ると思いました。それは語れる物ではなかったということ。
手放すときに捨てづらいものは何かしら語れる背景があったりする筈
そこで、語るという言葉を再考しました。

語れるものとは何か

語るという言葉を検索してみたらこんな結果が出てきました

かた‐る【語る・騙る】
1.[語] 事柄や考えを言葉で逐一(ちくいち)述べ伝える。「経験を―」
2.[語] 節をつけて述べる。「浪曲を―」

もちろんこの記事で話したいのは前項①の語るです。
ものに対する考えを言葉で述べ伝えること、それができることが愛着であったりときめくであったり捨てられない何故か手放せないという状況につながるのだと思います。

語れないと愛着が無いのか

語れないという状況を考えてみたいと思います。
なんとなく好きでずっと持っているブランケット
旅先で買った詩集、何年も前に買ったマグカップ

手に入れたときの状況を思い返しても「何か欲しいな」と思って買った程度の記憶で、それ以上に語れないかもしれません

でも、今もそれを使い続けている理由があるはず
それがきっと語れることだと思います。
語れない=愛着がないではなく、ただ言語化が難しいだけだと思います。

言語化するのが難しい感覚を言葉にするのは容易ではありません。
ましてや自分が持っているものを人に「これが、こうでここが良くて…」なんて話す機会はそう多くはないでしょう。

語れるものが多すぎる部屋はミニマリズムではないのか

さて、そうするとミニマリストとは語れるものが少ない人なのかという風に思われるかもしれません。

私の考えでは語れるものの総量、またこれで足りると知ることがミニマリズムの始まりだと思います。
同じ用途のものを複数持つことは決して正否で語れることではありませんし、カメラマンなら2,3台もしくはそれ以上のカメラを持っていることもあるでしょう。
ただ、それが果たして自身が使うにあたって事足りる以上のものを持っていないか…それを考えるのがミニマリズムだと思います。

足るを知る者は富む…とは故事成語ではありますが、ミニマリズムを表現するに合う言葉ですね。

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