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パソコンの背景画像〜人の視線への考察

最近パソコンに向かう気が低下していた理由

夫からLINEで写真を送られて、👍と返したまでは良かったが。どう言う操作をしてしまったか、パソコンの背景が夫と夫の友人の笑顔写真になってしまった。
パソコンに向かうとにっこりとこちらへ視線を向ける中年男子ふたり。


いつも二人に見つめられていると、気分が上がらず。
楽しみにしていたFBのチェックや推しのYouTubeも監視されているように感じる。

人の視線を感じることは自分の楽しみを抑制することにつながると改めて感じた。

以前読んだ桐野夏生の「日没」創作に対する監視社会を描いたディストピア小説を思い出す。
常に他人というか、自分に対して力を持っているナニカの存在を感じることは、表現力を削ぐものなのか。

西洋の神に通じる…抑制力
だったら、YouTube見ないで、仕事しろと言われそうだが、
ただやらなくではいけないことから逃げている自分に言い訳しているだけです。

(その後無事にパソコンの背景は元の無機質なものに戻せました、仕事はボチボチやります)

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