聖書理解の難しさ

「敵を愛し迫害している者のために祈り続けよ。」と言う教えがあります。ヤコブが人間の舌について、祝福と呪いが出てくることを戒めています。兄弟が罪を犯した場合、許すことをイエスさまは教えられました。しかし、全部条件があります。敵とはだれですか?隣人とは誰かについてイエスさまはたとえで教えられました。敵についてはみことばを知らない家族や隣人のことだと私は理解しています。宣教の対象者です。みことばに逆らう者たちやイエスを愛さない者たち、反キリストたちについてイエスさまは断罪されました。パウロも呪われよと言っています。ローマ軍、パリサイ人たちに対して祈っていますか?いいえ、祈ってはいません。兄弟が罪を犯した場合、謝罪してきたら許すのです。そうでない場合、最後は追放になります。世にいる邪悪な者たちにも宣教するでしょう。しかし、聖なるものは豚や犬にはふさわしくありません。彼らのことは放っておくことになります。ダビデは悪人と罪人がもはやいなくなりますようにと祈っています。呪うことではなく祝福することを聖書は教えていますが、この世の邪悪な者、悪者については、こう祈るのが良いのです。「彼らがいなくなりますように。」と。これは呪いではありません。祝福するのではなく、「いなくなるように」と祈るのです。聖書でも邪悪な者はいなくなると神が宣言されているからです。これは正しい祈りなのです。この祈りは人間では解決できない、人間関係と悪霊(いじめや嫌がらせ等)に対してきわめて有効です。実証済みです。信仰が必要かもしれません。神は祈りを聞いてくださるのです。しかし、呪ってはいけません。自分に返って来るからです。よく理解してください。反キリストのために祈ることはありません。このブログを読んでくださっている方たちや時々訪れてくださる方たちに対しては、神の祝福を祈っています。「信仰、希望、愛が残ります。」パウロのことばです。人間には神の愛が必要なのです。栄光の神があなたを愛と信仰へと導いてくださいますように。アーメン。

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