atorie 2021

栄光の神があなたと共にいてくださる。すべてのわざわいは過ぎ去り、あなたは幸いな者と呼ば…

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栄光の神があなたと共にいてくださる。すべてのわざわいは過ぎ去り、あなたは幸いな者と呼ばれる。

最近の記事

神に祝福された人たちへ

イエスさまと共に歩んで行きましょう もうすでに、歩んでいる信仰の友がいるなら、その人に語ろう 神さまは、いつも、あなたと一緒におられます あなたは髪の毛一本、失うことはありません ハレルヤ、アーメン

    • 神に従うことによって愛と信仰を表明をする

      もし、誰かが誰かを信じている、愛しているなら行いが必ず伴うはずです 口先だけのものは、愛でも信仰でもありません イエスさまは、教えだけを語られたのではありません 実際に十字架でご自分の命をなげうったのです キリストの父なる神に対する愛と、隣人に対する愛は、言葉だけではなかったのです キリストの愛と信仰は最期まで、神に従うことによって本物だったことが分かるのです わたしたちは神の愛を行いによって、知ったのです 父なる神とキリストの愛が真実であることを あなたは、

      • 御霊によって知ること

        23 神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。 24 神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。 (ヨハネ第一3:23~24) キリストを救い主と信じる者は、決して闇の中を歩みません。 キリストが十字架で血を流され、三日目に復活されたのは、信じる者を呪いから解放し、永遠の命を与

        • キリスト・イエスを信じるなら、神は、私たちの罪を帳消しにしてくださる

          23すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。 24けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。 25神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償いをさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。 神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。 たとえ、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかっ

        神に祝福された人たちへ

          さあ、クリスティーナ一緒に行こう(両耳に風の音が聞こえる)

          Ventum audire possum in utraque aures

          さあ、クリスティーナ一緒に行こう(両耳に風の音が聞こえる)

          罪からの解放を受ける方法

          9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 (ヨハネ第一1:9) 5 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、 (黙示録1:5) パウロが口にするのも、汚らわしいことと言ったこと。ここでも書けませんが、あなたが、好

          罪からの解放を受ける方法

          イエスさまは霊的に癒される

          エメラルド色に輝く草原にて サファイア色の神の玉座から 爽やかな風が下りてくる イエスさまは言われた 「あなたの罪は赦された」 「あなたの信仰通りのことが起こるように」と。

          イエスさまは霊的に癒される

          罪に勝利した者が伝えよう

          どうすれば、罪に勝てるかを 神の子どもが、どうやって戦うかを なぜ簡単に勝てるか? わたしは神と一つだから あなたがたが、罪に負けるとき 何をしている? 神に背を向ける (この裏切り者!) わたしは、どうしているかって? 何もしない ただ、あなたがたが普段言うように 神を信じる 違いは何か? あなたがたは、神に背を向けるが、わたしの場合 イエスさまがいる だれが、戦うと思う? わたしは戦わないなら、引き算すれば分かると思う

          罪に勝利した者が伝えよう

          救いはイエスを信じた人の手を通して神が行われる

          主イエスを信じる信仰はイエスに聞き従うという人間の意志(思いと心)と行動(手)が伴います。そのため、信じると思っていても、ただ、聞くだけの人は、救われない。 聖書に書いてあるように、イエスの死と三日目の復活を信じ、みことばに従って悔い改めること、祈りに専念すること、神の掟を行うこと。 これらを行わないなら、救いはあり得ません。愛のこもった信仰による業を行う。これで救われる。 神は奇跡で人を救わない。人間の信仰による業で救う。これだけ。 信仰による業があれば、神はその人

          救いはイエスを信じた人の手を通して神が行われる

          狭い門と狭められた道について

          主イエスの道を「知識で知っている」のと「実際に歩んでいる」ことの違いは雲泥の差。 狭い門をまず見つける。これを見出す者は少ないとイエスさまは言われた。 さらに、その道は狭められている。 だから、安っぽい福音を信じてはいけない。 これを読んでいる兄弟たちは、救いに与れる可能性が高いと思う。 あなたに小さな信仰があるなら、神の力をもっている。だから、あなたが、神に対して悔い改めるときに、神の力を借りて行う必要がある。自分の力では、誰も出来ない。しかし、信仰で行うのはあな

          狭い門と狭められた道について

          キリストと共に死んだ経験について

          多くの者は死んでいない。聖書のことばが、実践できないから理論となっている。 わたしも、かつてそれを経験していたので分かる。 なぜ、これが、出来ないのか?いつもわたしの中にあった疑問だった。 聖書のことばが、わたしに成就したのは、キリストに属するために、自分を十字架につけたからだ。 この試みをしてきた多くの猛者たちの失敗をわたしは知っている。 多くの人たちの言い訳は、「肉でそれをやろうとしたって」無理なのだというもの。 彼らは、だから、キリストが十字架についたのだ。

          キリストと共に死んだ経験について

          君は何を見ているの?

          〈花の咲き乱れる美しい草原で〉愛するクリスティーナと一緒にいたとき 太陽が西の空に止まったまま動かなかった 腕時計を見ようとしたが、消えていた 君には何が見えているの? それは、あなたと同じ あなたが、光り輝くエメラルドの草原に わたしを連れて行く そこは、昔、海だったところ あなたと一緒にプロヴァンスの道を歩く すると突然、移動して わたしたちは エメラルドの草原を歩いていて 花の咲き乱れる場所に出る そこには、美しい宝石のような サファイア色の

          君は何を見ているの?

          神は忠実な者の救い主

          わたしが、困難にあるなら、神は、ただちにわたしの救出に向かう たとえ、神が救ってくださらなくても、わたしは、神に忠実であり続ける それは、キリストが流された血のためである そのためなら、わたしが血を流すことは厭わない それが、神の栄光を表すことであるならば アーメン

          神は忠実な者の救い主

          キリストと共に死んだ者はキリストと共に生きるようになる

          わたしは、シスジェンダー異性愛者であった。つまり、普通の多数派。異性を恋愛対象とし、異性に性的欲求をもつ者として生まれた。 LGBTQIA+、Xジエンダーではないという人。 御霊の油注ぎについて、ヨハネが語っているが、神の霊が注がれた場合の心理的変化を記録しておこう。 イエスさまが言われたような、女を見続けることはない。姦淫のこころを持たない。異性に対して情欲がない。 これは、御霊を受けたあとのことです。 つまり、死んだとは、「極小の信仰」を使って、「神の力」を使い

          キリストと共に死んだ者はキリストと共に生きるようになる

          信仰によって神の力を使う

          1.わたしたちにも神の力が与えられているという気づき 2.四位一体の概念がわたしに与えられた 3.聖霊の内住、聖霊のバプテスマ、神の霊が宿っている限り肉ではなく霊の支配下にある、神の臨在、聖霊の満たし、キリストと結びつく、新しい創造、額に神の御名とイエスの御名が書かれている、水と霊によって新しく生まれる等はみな、「父なる神、キリスト・イエス、聖霊」(三位一体の神)と信者がひとつであるという気づきを与えられました もし、わたしに「からし種」ほどの小さい、実際にはもっと小さ

          信仰によって神の力を使う

          福音に夢を感じ、それを信じ、命をかけて人々に伝える力を与えたのは神である

          退屈でつまらない、人生に夢を創造したショパン ショパンは、ピアノの詩人として彼の内にある夢をこの世界に創造した。その夢を受け取ったある若い人が、中学、高校でその夢を同世代の生徒たちに披露した。そして聴いた生徒たちに彼の受けた夢を伝染させた。まさに、彼は夢を彼らに伝染させたのだ。それを聞いた若者たちはその夢を自ら、自分のものとした。そして、彼らもまた、彼らが受けたその夢を他の人たちに伝染させていった。 青春時代の若者に、その夢を与えたのは、同じ学年の生徒。しかし、大人になる

          福音に夢を感じ、それを信じ、命をかけて人々に伝える力を与えたのは神である