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ギリシャの神々は死んでいた

2023年6月に念願のギリシャ旅行に行った。
ギリシャ旅行に行きたかった理由は、色々あって古代ギリシャにハマっているから。特にギリシャ神話にハマっている。

乾燥した土地はいいなと思う。数千年前につくられたものが今でも残っている。

石に文字を刻む文化のあった古代文明もいいなと思う。石ならばうまくいけば数千年は残る。木や紙は数百年で朽ちて土に還るからあれはダメだ。

定番のパルテノン神殿にエーゲ海クルーズ、世界遺産メテオラの奇岩など色々見に行ったが、いちばん楽しみにしていたのはデルフォイの神託所だった。

デルフォイの神託所とは、古代ギリシャ神話において神託を司るアポロン神を祀る神託所である。
神託というと堅苦しいが、いわば古代ギリシャ人にとってのGoogle先生がアポロン神であり、デルフォイの神託所である。知りたいことがあったら、デルフォイの神託所に行ってアポロンの神託を聞く。あるときは王が「どうすれば自分の国が戦に勝てるか」、あるときは母が「双子の子供たちに幸せに生きてほしい。アドバイスをください」とお願いしたりしている。結構なんでもアリである。(ちなみに、この母の願いに対し神は「死こそ最上の幸せである」との神託を授け双子の子供たちから生を奪った、という不穏なエピソードつき)

デルフォイの神託所に行くまでは、わたしは「アポロンに何の神託貰おうかな〜」と楽しみにしていた。
が、デルフォイの神託所に着き、ここにもうアポロン神はいないと知ったときの話をする。

現存するデルフォイの神託所は紀元前4世紀に建てられたと言われている。
神託所のつくりは、日本の神社に似ている。まず参道があって、その参道を進むとやがてアポロン神のいる神託所に辿り着く。参道の脇には露店があったとされている。参拝者に供物を売る露店であったのではないかと言われているらしい。伊勢神宮のおかげ横丁のようなものかもしれない。古代ギリシャでは各国の人々が神託所に運び、供物を捧げ、神託を求めた。

神託所の中心部であるアポロン神殿で、巫女(ピューティア)がアポロンの神託を授かる。伝承では、アポロン神殿では岩の割れ目から噴き出る蒸気(メタンなど)を吸い込み、トランス状態になったピューティアがアポロンの神託を受けることができるとされた。ただこのピューティアが喋る言葉は人間の言葉ではないので、彼女が話す言葉を神官が翻訳し、人々に伝えていた。

そして現在、デルフォイの神託所がどうなっているかというと、まずデルフォイ博物館がある。長らく野ざらしにされていた考古学的に貴重な遺物を保管するための施設でもある。

参道とアポロン神殿は、かろうじて現存している。アポロン神殿に至ってはもう柱くらいしか残っていないのだが、現存しているといえばしている。もちろん巫女も神官も岩から噴き出るガスもない。

ところで、ギリシャ神話世界では、不死の存在である神々が死ぬとすれば、それは人々からの信仰を失ったときである、ということになっている。

ギリシャに行く前、さらに言えばデルフォイの神託所に行くまでは、私はギリシャの人々は今でもギリシャの神々を信仰しているのだと思っていた。

ところがそこに信仰はなかった。アテネのおみやげショップにオリンポス12神のグッズがたくさん並べられていても、デルフォイの神託所でアポロンに供物を捧げる人はいなかった。

何を当たり前のことを、古代の話だろ、と思われるかもしれない。
だが、我々は伊勢神宮や出雲大社に行ったとき、お賽銭を入れ、手を合わせる。デルフォイの神託所で誰も供物をしていないのは、日本で言い換えれば伊勢神宮で誰も手を合わせていないのと同じである。

デルフォイの神託所は、かつては古代ギリシャで最も重要な宗教施設のひとつであった。しかし今では宗教施設としての役割をすっかり失い、考古学的に重要な遺跡とみなされていることに気づいた。

古代ギリシャの神々はもう死んでしまっていたのだなとそのとき思った。
オリンポス12神の1柱であり、古代ギリシャで最も崇拝された神の1柱であるアポロンを信仰する者はもういない。ゼウスもヘラも、アテネもポセイドンもきっと同じだろう。

まだギリシャ人の中には生きているのであろうと勝手に思っていたギリシャの神々は、実はもうとっくに死んでいたと肌で感じられたのはギリシャ旅行の大きな収穫だった。(神々が死んでいるからといって、ギリシャ神話沼から抜け出したかというと全くそうではない)

ギリシャは他国の支配下にあった歴史が長い。特に東ローマ帝国の支配下にあったときに、人々が信じる神はギリシャ神話の神々でなくキリスト教の神となった。そして現代も国民のほとんどがギリシャ正教を信仰し、子供たちには聖人の名前がつけられる。

信仰を失ったギリシャの神々は、神のしての権能を失って死んでしまった。神々を殺したのはローマ帝国であり、キリスト教であり、科学技術である。

古代ギリシャ人は人智の及ばない超然的なものを神々の権能と解釈していた。雷ならゼウス、地震ならポセイドンといったように。
しかし、科学の進歩によってかつては説明がつかなかった超自然的現象の正体が明らかになるにつれて、人々は神々というフィルターを通すことなくそれらを解釈し、理解できるようになった。神々は殺されたというよりも、単に「役目を終えた」というべきかもしれない。

とはいえ、現代のギリシャ人がギリシャの神々を愛好しているのは間違いない。街を歩くと店の多くに神々の名前にちなんだ店名がつけられていることにすぐに気づく。名門アテネ大学にはアテナとアポロンの像が建てられている。

神々としてはすでに死んでしまったけれども、人々の心になんらかの情感を巻き起こすトリガーとしては機能している。それが現代ギリシャにおける神々の役割だと感じた。

#わたしの旅行記

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