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『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』感想文

グレッグ・マキューン『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』を読み返している。このタイトルを一度は聞いたことがある人がほとんどなんじゃないかと思えるほどの有名なビジネス書だ。これらの本に書かれているのはタイトル通り思考法なので、「ビジネス書」というカテゴリに置かれることが妥当かどうかは微妙なところがあるが(思考は何もビジネスシーンでしか使わないものではないので)、大抵の本屋にはビジネス書のコーナーにこれらの本が置かれている。

『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』のテーマはシンプルだ。「本当にやらなければいけないことを正しい方法でやれ、それ以外のことはするな」というのがテーマだ。

『エッセンシャル思考』では、その名の通り何がエッセンシャルなのか、すなわち必要不可欠なのかを見極めるための思考法が書かれている。エッセンシャルであるため絶対に達成しなければならないこと、これを本の中では「本質目標」と読んでいる。選択肢過多の生活を送る我々は、自身の周囲をとりまく無限の選択肢に惑わされることなく、本質的な目標が何なのかを特定しなければならない。本質目標はひとつしか持てない。もしも本質目標がたくさんあるのなら、それはもっと上位にある本質目標を達成するための目標に過ぎない、ということだ。
さらに、エッセンシャル思考においてはトレードオフの意識が常に必要になる。同時にあれこれするのは不可能だと理解することが重要だ。前もってその時間に予定があるのに友達に映画に誘われたら、どちらかを選ばなければならない。用事を済ませることと友達の誘いを受けること両方を達成できることはできない。
トレードオフを意識するというのは、「何かを得るためには何かを手放さなければならない」をよく理解するということだ。慣れていない人はこれが難しいらしい。あれもこれも自分が頑張れば全部達成できると勘違いしてしまう。しかし頑張ってあれもこれも手を出したところで、中途半端な手の出し方になる。どちらかを得る代わりにどちらかは手放し、得たものに注力するのがエッセンシャル思考だ。

『エフォートレス思考』は、『エッセンシャル思考』で特定した本質目標を無理なく達成する方法を考えることだ。『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』においては、「頑張る」「無理をする」は禁物である。それらは本に言わせると非エッセンシャル思考、非エフォートレス思考の賜物であり、「自分が一生懸命頑張ればあれもこれも手に入れられるだろう」は誤りだ。
エッセンシャル思考をもって特定した本質目標を達成するために、どのような方法をとればいいか、どのような方法が自分にとって快適であるかということを探るのが『エフォートレス思考』だ。エフォートレス思考の仲間としてわたしが思うに「水平思考」と言われるものがある。ものの見方を変える、違った角度から見る、といった思考法だ。こういう有名なジョークがある。冷戦期、アメリカとソ連はともに宇宙開発に力を入れていた。アメリカは、無重力の宇宙空間でも文字を書けるように、無重力でも使えるボールペン(ボールペンは重力によってインクがペン先へ降りてこないと書けない)の開発に勤しんだが、一方のソ連は鉛筆を宇宙に持っていった。開発力や開発資金という点ではアメリカに軍配が上がるが、水平思考に限るとこの場合はソ連が優れている。宇宙でも使えるボールペンを作る」は本質目標ではなかったはずだ。「宇宙で文字を書く」が本質目標だったはずだ。であれば、宇宙で文字を書けるものであればなんでもいいのだ。ボールペンでなくて鉛筆でもよかったのだ。このジョークにおいては、アメリカは、本質目標を見誤り(非エッセンシャル)、不要な開発努力(非エフォートレス)をした、ということになる。

わたしは学生時代から『エッセンシャル思考』を読んでいる。いつも読んでいるわけではないが、年に一度くらいふと読みたくなることがあるのだ。読んだ回数は10回を超えているだろう。
就活生のときには特によく読んでいた。新卒の就活生は本当にやることが多い。webテストを受けるためにwebテストの勉強をしたり、エントリーシート上で嘘の志望動機をこねくり回したり、面接での受け答えを考えて練習したり、実際に面接を受けたり、企業の人事とやりとりをしたり。就活生となりすぐに「やりたいことを全部やるのは無理だ」と気づいた。そこでエッセンシャル思考を何度か読み直し、就活における自分にとっての本質目標を探すことにした。就活に限らず、自分の本質目標を探求するその営みは、就活で「自己分析」と呼ばれるものだ。自分が本当に望んでいるものは何なのか、大手の方が安心だとか残業が少ない転勤がない親が納得するかどうか同級生の就職先と比べて見劣りはないかなどの一切のノイズを排除し、就活生の自分にとって「これだけは押さえておかなければならない」という条件は何か、を深掘りする。

就活はとうの昔に終わったが、今でも公私ともに忙しくなるとノイズが多くなる。あれもこれもやらないといけないような気がしてきてしまうのだ。もちろんあれもこれもできるのであればやってもいいかもしれないが、基本的にすべてをこなすのは不可能だ。絶対に何か一つを選び取らないといけない。

エッセンシャル思考を忘れているときは、大して乗り気でもない誘いに乗り、大して興味はない映画や漫画を話題作りのためだけに観たり読んだりする。とても時間を無駄にしている。
ついこないだも繁忙期でエッセンシャル思考を忘れているような気がしたので、3回ほど読み直した。午前4時までせっせと働いてプロジェクトの成功に貢献したつもりでいるが、本当に本質的な目標に対して動けているか?無駄な動きをして時間を食っているだけではないのか?と冷静になることができてよかった。午前4時まで働くなんてきっと何か方法を間違っているに違いないのだ。わたし資料を作成し、上司がレビューする。その資料の分量がとても多いため、私がまず作成するのに時間がかかり、上司のレビューにも時間がかかり、私が上司のレビュー指摘に対応するのにも時間がかかり、お互いに待ちの時間が発生していたのがズルズルと労働時間が伸びていた原因だった。この待ちの時間をなくすことが残業時間削減のための本質目標だと思い、資料を私と上司が同時編集可能な場所に配置した。夜の20時には仕事を上がれるようになった。
繁忙期の怖いところが、「共同編集可能な場所においてお互いの待ちの時間をなくす」というこんな単純なことすら思いつかないほど脳が疲労してしまうことである。『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』の中でも散々書かれているが、疲労は判断力を奪う。朝と比べて夜は判断力が低下すると言われるのはこのためだ。単に朝に比べて夜は疲れているからだ。

今後も何かがうまくいかない、生活が回っていない、いつも手一杯でうまく回せていない気がする、しっくりこない、と思ったときにはこの2冊を読み返すと思う。

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