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金曜日のアイコトバ あるのかないのか

「あるのかないのか」

あるんです

ささやかな小さな隙間から
覗いてみると
大きな大きな世界が
広がっていることが

あるんです

小さな隙間のこちら側も
広がっているあっち側も
どっちも同じ世界の中に
ほんの一枚隔てた向こうとこっちに

ないんです

指で作ったオッケーマークの
丸よりも
遥かに小さい隙間だけれど
そこだけは
繋がっていて

なんの隔たりもないんです

見えている部分は1500年代に建てられた家
ガラスも500年前のもの
ここだけガラスが抜けていました
イギリス・Stokeにて撮影

 子供の頃、小さな隙間からのぞいた向こうがとっても大きくてびっくりしたことがあります。小さな鏡の中に映っている世界が大きくてびっくりしたことも同じようにありました。それをふと思い出しました。考えてみるとファインダーの中もそうですよね。小さなカメラから大きな世界が広がったり。ロマンですよね。

 びっくりするくらい向こう側とこっち側が違うことがあります。自分のいる場所と、誰かのいる場所が、です。もしくは自分がいる場所と、いきたい場所が、です。小さな隙間から覗いて、ため息をつくようなことがあります。この境目は厚いし、隙間から見えているだけの風景だなと。いきたい場所だけど、まあ無理じゃないかと諦めてしまいますが、この隙間だけは遮るものがないんだなと、アリ🐜は通れるんだと思ってちょっとびっくりしました。

 だからと言って、行きたい場所(心理的な話)に行けるって気持ち次第だ!とか言いたいわけではないんです。まあそういうことでもあるんですけれど、それって結構大変だから、だから行こう!ってわけにも行きません。もしかしたら、結構大変っていうのも勝手な思い込みかもしれないけれど、そのあたりを突き詰めていくと手に負えなくなるので、それはまあいいか。

 ただ、そこに遮るものがない、っていう事実は改めて知っておきたいなと思ったんです。不思議なほどに、こっちとあっちは繋がっている、そんな感覚を子どもの頃持ったことを思い出したから。そしてそれは今も変わっていないんだなって。

 その境目は壊したりもできますし、乗り越えることだってできるでしょう。だからって、やりたい人はそうするべきとも思いません。娘にもこういうの言いたいけど、言いません。やりたいって思った人はきっとやりますものね。できるって知らなくてもやってる人もいるし、できるって知らなかったからやらない人もいる、それでいい。ただ、その隙間には何にもないよって忘れないでおきたいなって。

 なぞなぞみたいになりましたけれど、実は、木製の階段の隙間から、下の部屋が見えてぞおおおっとしました。高所恐怖症です。スケスケの橋は渡るのに心臓が止まりそうになります。

 金曜日の夜、ゆっくりお過ごしくださいね。お風呂にする?お酒にする?お茶にする?それとも??


イギリス北東部を中心に
歩いたあちらこちらで
私(Iアイ)の目(eyeアイ)を通して
i(アイ)phoneで撮った写真に

ささやかで小さな届けたい言葉と
愛(アイ)を添えてお届けします。

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