たった1年だけ一人暮らしをしたときのこと


一人暮らしのこと書いてみようかなと
記憶を辿ってみたら

え!わたしって
だったの一年しか
一人暮らしをしたことがない!

という事実に気付きました。
なんだかびっくり。
遡れば30年くらい前のことです。

時は春、
当時女子の多くは
高校卒業後の進路には
四年生大学ではなく
2年間の短大を選んだものです。
私も御多分に洩れず
短大進学、東京で新生活、を
選んだのでした。

ちなみに、
その後親元に戻って就職。
というのがよくあるパターンでした。

今では考えられませんが、
金融機関の新卒採用は
親元から通うというのが
採用のポイントでした。

まあ、そんな時代もあったんです。
総合職に就く女性は本当にすくなかったな。

話戻ってその短大2年間、
一年目は寮に入らなくてはならない
という学校の決まりがありました。

この寮、
すごいところでした。
いろいろネタはありますが、
なんといっても
門限は平日なんと19時!
夜7時よ!7時!
何度も言うようですが
女子大生が7時!笑
週末は夜9時、9時だよ!9時!!

ここまで書くと、もしかして
あそこでは?と心当たりのある方も
いらっしゃるのではないかとも
思ったりするのですが
学校から送られてくる広報によると
数年前に閉館したそうです。
いよいよ時代の波にあらがえなくなった
のかしらとおもいます。

この寮は四人部屋で
わいわいと共同生活をして
一年過ごしました。
不思議なくらい厳しかったですが
なんやかんやいって
とても楽しみました。 

翌年、晴れてその寮をでましたが
残りはあと一年です。

アパートではなく、下宿生活を
はじめた私でしたが、
なんと、そこは、某元総理大臣私邸の
お向かいにありました。
おうちの前には電話ボックスが
大きくなったような交番があり
毎日24時間警察官の方が
たっていたんです。

その横道をまっすぐ行ったところに
コインランドリーがあって
利用していたのですが、

ある日のことです。

コインランドリーに洗い終わったものを
取りに行こうとしたわたしの
目の前に立ちはだかったものが
ありました。

それは

ストーカー!
ではなく

トノサマガエル!!

世田谷の閑静な住宅地だというのに
大きな大きなトノサマガエル!!!!
がででーーんと
道の真ん中におります。

田舎育ちなのに、めっぽうカエルに弱かった
私は凍り付きました。

なんで?なんでこんなところに?
何度も目を擦りましたが
紛れもなくトノサマガエルでした。

ここは一本道、
ここを通らなければ洗濯物は
回収できません。

もしかしたら

これ王子様?

と一瞬思考停止したものの、

いやまて、わたし。
多分これは、王子じゃない

いかねば!
この横を通っていくのよ!

でも、横を通ったら
やつがとびかかってくるかも。

いくべきか
いかざるべきか

15分間逡巡を続けた挙句、
(すでに負け戦だった)
肩を落として踵を返したわたし。
とぼとぼと元来た道を
歩き始めたその時です!

自転車がびゅーっとやってきました。
運転手さんは当然ながら
カエルには気づいていません。

すれ違った瞬間、

走馬灯のように、
いや違う、火花のように
カエルがひかれる姿が目に浮かびました。

あまりの妄想に私はなんと

「きゃーーーーーーー」っと

悲鳴をあげてしまったのです。
自転車はそのまま通り過ぎ
おそるおそる振り返った私の
目に映ったのは

ぴょんっこ ぴょんっこと


飛び跳ねて去っていく
カエルが家にかえる図
(カエルが帰る。げこっ)

ほっとしたのもつかの間、

やばい!!
女性の悲鳴に警察官がかけつける!
と焦っていたら

全く気配もなく💦
頼りにならないなと
悟ったのでした。

後から気づいたのですが
元総理邸には
広い庭に大きな池があり
そちらがカエルさんの
ご自宅だったようです。

おい、迷惑だな
(ごめんあそばせ)

なんて純真無垢だった私は
思いませんでしたが、

しばらくはトラウマに悩まされて
その道を通る時は
傘を持ちました。
もちろん戦えるように。

いやもしかして
まさかまさか
やっばり
あれが私の王子様だったのかも

メディアパルさんのこちらの企画に
参加させていただきました。

ひとり暮らしの思い出を考えたら
これが一番の思い出だったという🤣

いただいたサポートは毎年娘の誕生日前後に行っている、こどもたちのための非営利機関へのドネーションの一部とさせていただく予定です。私の気持ちとあなたのやさしさをミックスしていっしょにドネーションいたします。