今日という日
どこかに書き残しておきたい
そういう思いは、子供のころからあった気がする。日記だったり、ノートだったり書くこととずっと一緒に生きてきた。大人になると内緒ごとが増えて書けなくなることがある。分別もつくしね。書いたらいつか誰かの目に触れるかもしれないという、形にすることの怖さもしっているし。
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私たちは英語で話をする。外国人と恋愛する人はどちらかの国のことばに偏ることが多いはず。彼の日本語よりも私の英語のほうがよかったので自然とそうなった。
彼は私の間違った英語は気にしないと最初はいっていたけれど、最近ではきれいな英語を話せるように目を光らせている。昨日も「喘息」という単語がわからなくて、辞書で探して「asthma」といったら、発音が違うと何度も直された。できないと、
違う!
と何度も注意。本人は言ってるつもりだからたちが悪いんだよね。
「アストマ」(私)
「違う!カタカナ英語は君の問題だ!」(彼)
「アスㇳマ」「あ!th の発音が違うんだね」(私)
「違う!thは気にするな」(彼)
「アㇲㇳマ...」(だんだん小さくなる声、私、笑い始める)
「だから、違うってば。まずasっていって」(彼、笑う私にいら立つ)
「アス」(私)
「次はma!」(彼)
「マ」(私)
「続けていって」(彼)
「アスゥマ」(私)
「だめ、違う」(彼)
(私、だんだん笑ってる場合じゃないと気づく)
「アスマ」(私)
「まあいいか」(彼)
こんなやりとりが最近多い。これも愛情だと知っているけどね。
で、必ずそのあとで、彼は「やっちゃった」という顔をする。だんだん私の顔が悲し気になっていくからだとおもう。彼は短気なほうだ。けれど、私に対してはとてもやさしくしてくれる。たまに短気の片鱗が見えるし、ちょっとした食い違いで、むきになってしまうと歯止めがきかないらしい。とてもプライドの高い人なんだと思うし、それを尊重してあげたいと思っている。
私はそういうときは、さっと引くタイプ。一緒になって戦えるタイプではない。これ、いいのかわるいのか、わからないんだよね。本当は戦うほうがいいのかなと思うけど、私はもう一目散にひいちゃう。負けるが勝ちがモットーだもん。そして、時間をおいて、こちらから譲歩する。少しだけ。そうすると向こうから、少し落ち着いて話をしはじめる。話し合い。それでも私は少しクールダウンして、いじわるをする。しかえしっていうやつ。わたし、意地悪だなとおもう。電話しない?といわれても、ちょっと今無理、としばらくは話さない。ま、笑えないしっておもうし。結局は自分から電話するはめになるんだけど。
こんなこどもみたいなことをやっているけれど、実は彼はアラカン。私はアラフィフ。いわゆる熟年恋愛っていうやつだけど、なんだかそういうのも嫌なので、ミドルエイジラブとでも呼びましょうか。直訳じゃないか。
62歳の英国男性、未婚、もともと気難しく、いろいろ抱えているものも多いだろう。51歳の日本人女性、離婚歴あり、苦労した割に能天気でおっちょこちょい、懲りない性分なのに、なぜか臆病なわたし。こんなふたりがこれからどうなっていくのか。
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七夕の願い事は、決めることだ。こうすると決めること。叶えるのはいつだって自分だから。自分を幸せにすると決めたからには、そうしないとね。そのためには自分の心の声をよく聞いてあげないといけない。
彼との恋愛をスタートした時にはすでにコロナで彼は日本に来れなくなっていた(彼はイギリス在住)私も簡単には出国できない。だって仕事してるんだもん。帰ってきて2週間仕事いけないわけだから、おいそれとはいかれない。もうしばらくはこんな日々が続いていく。
自分を見失いそうになったから、このnoteをはじめた。
ミドルエイジでこんなことやっていると微笑ましく思っていただけたらうれしいし、私もがんばる!と思ってくれる人がいたらもっとうれしい。そしてなにより、幸せへの道を(たぶんでこぼこ道)記録してみたいと思う。