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#3 重なり



「ていうかお前、彼女とか女はいたことあんのかよ?」


また陽気に馬鹿にしてくる。

今日はどう言い返してあげよう。僕は曖昧に一呼吸おいた。

「いないですって。昨日の今日で出来たら、今頃結婚して、子沢山のキングパピーですよ」

「ふん。そのギャグセンスの無さが原因だな」

そう毎日のように聞いてくるこの人はちゃんと仕事してるのだろうかと、それくらいほぼ毎日飲みに来るおじさんだ。僕がこのバーで働くよりもずっと前からここに通っているらしい。

「しかしあちいな、今年は何なんだ?そろそろ地球も頭おかしくなってきたんじゃないか」
シャツを仰ぎながら堀田さんが言ってきた。

「地球に頭があったら、尻もありますかねえ?地球に要らない物が吐き出される所とか。まだ人類も辿り着いてない秘境かも。ああ、さぞ神秘的...」

「なんだ蓮太、お前尻フェチだったのか」
キッチンで一服していた店長がすかさずツッコミを入れに来る。ははは、といつもの笑いが起こる。

何気ない台本無しの会話。笑いまで持っていくようにオチを付けて、喋り手と聞き手が繋がる。

居心地の良い楽しい空間を生むのに不可欠なのは、絶対に、笑顔だ。


からんと店の扉が開いた。

柔軟剤なのか香水なのか、おれには到底わからないアロマの清潔な香りがふんわりと入ってくる。

「あら、こんばんは」

白いブラウスにさらさらの生地の黄色いロングスカート。さっきまでは仕事で結んでいたのか、黒くて綺麗な長い髪を下ろし、有名ブランドの花柄モノクロトートバッグを足元のフックにかける。

僕は正直言ってこの人みたいな女性に一種の憧れを抱いていた。

「いつも通り可愛いねー、こずえちゃん!」
早速、女の子褒め褒めアタックを始める堀田さん。

「グレンリヴェットをロックで」

はいはいという流れでそれを受け流し、シングルモルトウィスキーを頼む。

相変わらずかっこいいなあと内心で思いながら、かしこまりましたと注文を受けた。
「あ、そういえば、、、」と言いながら目線をこずえさんに向けた。

あ、うんと一度下を向いてから、向かって左にあるお店にある唯一の小さな窓を見て言う。

「やっと終わったよー。ダメだったけど」

一瞬、空気が淀んだ青紫色に変わって、ぐわんと速度を上げて、上下左右に揺れる。

褒め褒めアタックは一切弾かれる。

それはまるで煙のように徐々に天井に向かって、店内を埋め尽くそうと範囲を広げようとする。


するとキッチンにいた店長がまた出てきて、
「とりあえず腹減ってるでしょ、こずえちゃん」
明らかに重くなったと思われた空気が、タイミングを間違えたといわんばかりにしゅん、と白色と黄色に戻る。 

「超お腹空いたー。内川さんいつものやつ、マスタード多めでおねがーい。」と、こずえさんの大好きなチキンラップを注文し、笑顔に戻る。


こずえさんは確か二九歳、見た目も多分一般世間からしてかなり綺麗な方だ。中学時代からずっとバイオリンを弾いている。

話していたのは、とある音楽団主催のコンクールの予選に出た事だった。今回が当然初めてではないし、未だに結果がついて来ないのは、僕には到底計り知る事が出来ない音楽の世界の難しさと生きていく厳しさを思わせる。ましてやこずえさんが挑戦し続けてきたバイオリンのコンクールは、3年おきに開催され、予選に出る事さえ難しい大会でもあるらしい。

「俺もお代わりー、氷足して」
堀田さんはきっと、このタイプの空気が大の苦手だ。だからとにかくグラスを傾け、考える事を止める。

タイミングよく、ボトルで入れていた一升瓶の焼酎が空いた。
「お次のボトルは入れていかれます?」


鹿児島は薩摩、芋焼酎がとにかく美味しいと堀田さんはいつも言う。乙類の焼酎はロマンが詰まってると。ロックグラスに氷を溢れるくらい入れ、水割りで飲むのがこの人のスタイル。

「おう。いつも通り常連さま割引しとけよな!」
「二割り増しですね、かしこまりました」と下らない会話をしながら、新しいボトルを開ける。 

昔、焼酎の蓋で指を切った事があったなあとふいに思い返しながらそっとボトルを開ける。


バーのカウンターは、沢山の笑顔、酒、時には涙、タバコの痕、それぞれの人間の人生が重なっている。


カウントとは、数える事。

重なるモノと数が増えるほど、カウンターには味が出る。



からん、とグラスと氷が奏でる音が隣で響いた。

「私、音楽を辞める事にしたの」






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