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#5 ラーメンとグレンリベット

電車のドアが開くと、そこには1人の少年が立っていて、真っ直ぐこっちを見ていた。


5歳くらいだろうか。家族から少し離れ、電車から出てくる人々にも構わず一歩も動かない。
その瞳はずっと私を見ていた。

初めて見るもの、食べるもの、飲むもの、触るもの、聞くもの。
ありとあらゆる新しく感じるものに興味を惹かれていたのはあれくらい小さい時だろうか。
怖いものなど無く、全てに初めて、を覚えることがとにかく好きだった。

今も好き。の筈なのだが、最近何か新しいものに触れたかと聞かれれば、、、全く持って無い。


いや、そういえば、新しい近くのラーメン屋の坦々麺は美味しくなかった。
女で1人ラーメンをするなんてかっこいいわあ。
音大の友達がそんな事を言ってた気がする。


毎日同じ曲を弾き続けている。
毎月同じ音楽を続けている。
毎年同じ夢を見ている。
叶ったことも、褒められたこともあまり、無い。

友達が天気良いから外で練習しない?なんて言っていた。


この子を日に当てるなんて死んでも嫌だ。
小さい時におじいちゃんが買ってくれたヴァイオリン。
ウィーンの職人が作った1920年ヴィンテージ。最高級、ではなくとも、そこら辺の車一台くらいは楽勝に買える筈。
昔はよく弓を緩めずにケースにしまって先生に怒られたけど、ずっとずっと、大切に、大切に、使ってきた。


レベルの高い学校に通えば、レベルの高い授業が受けられて、レベルの高い友達と日々切磋琢磨出来る。そう思っていたけれど現実は甘くない。バイトだって行かなきゃ生きていけない。
意地の中途半端な私は諦められず、同じような髪型、同じようなスーツ、同じようなリップを塗る友達とは離れて、卒業しても、コンクールと闘い続けていた。


そんな夢見な毎日を、少しだけ救ってくれたのはバイト終わりの、笑やのエビワンタン辛みそラーメン。


そして、bar YORIDOKOROの、小さく、心地良い空間とお酒だった。


よくテレビに出ていてコンクールでも審査員を担当していた、1人の女性に憧れていた。

というよりは、嫉妬していた。

音楽で生活できて、バラエティ番組なんかも出られてかつ、容姿端麗。
そんな人が深夜番組で飲んでいたのが、グレン何とかと聞こえたウイスキーだった。


調べてみたら、グレンから始まるウイスキーが沢山あった。分かる訳なかったので、ボトルの写真が1番出てきたグレンリヴェットの12年をバイト終わりに初めて入ったバーで、ロックで飲んだ。美味しいとは思わなかったけど、大人の味がした。気がした。

黄色のネオンと小さな“bar YORIDOKORO”の文字。

今日も、つい寄ってしまう。


「今日も可愛いねえ、こずえちゃあん」
堀田さんは初めてこのバーに来た時も飲んでいた。
私の親戚の叔父さんに声が似ていて、焼酎ばっかり飲むのも、親近感がある。でも、少しうるさい。
それを見てアルバイトの蓮太くんはいつも笑ってフォローしてくれるからか、私なんかよりも大人だなって思ってしまう。

背中に楽器があれば、誰でも聞くだろう。私の音楽好きは既にこのお店ではもはや当たり前。私がお店に入ると、ウイスキーへ2口目のタイミングで、こっそりと曲が静かになる。そこで店長の内川さんと目が合うのだが、まるで演奏を始める前の指揮者との一瞬の静寂の様なタイミング。
この人は人の心を全て見透かしているのか、天才なのか、超能力者なのか。
いつも私の気分に寄り添う、音楽に変えてくれる。
私が気分が良いと、ビートルズやエルトン・ジョン、元気がないと、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、更には酔っ払っている時はジャック・ジョンソンやイーグルスで眠りに誘う。

私が普段聴く曲は、オーケストラじゃない。それを知っているのか、それとも、酔っ払っていつの日か喋ったのだろうか。
とにかくこのカウンターは居心地が最高に良い。

そして頼んでしまうチキンラップ。マスタード多目は、いつの間にか当たり前になった。胡椒と、アボカドがバランス良く、少量のサラダが付くので、重すぎないのが良い。

「こずえちゃん、大会はそろそろ?」
内川さんが聞いてきた。
3年おきの大きいコンクールが2週間後に控えている。
最終選考までは一度、行ったことがある。
正真正銘、3度目の挑戦。ステージに立つと、足がすくむ。震えているのかも自分で気付かず、身体が思うように動いてないのが分かる。
ずっと夢見てきたステージは、とてもじゃないが、私の立つ場所じゃないんじゃないかと思わせられた。

中途半端な私は、それでも今年、挑戦しようと思った。
今年ダメなら、もう音楽を辞めよう。
そう心に決めて応募用紙を送った。

グレンリヴェットが空いて、少し歪になった丸い氷がカランと回る。

「今年こそ優勝よー、優勝したらもう、皆んなで乾杯しましょうね!」

思っていたより大きな声が出た。お腹が満たされたからか。蓮太くんがすかさず突っ込む。

「堀田さん、カードの限度額あげといてくださいね!」

「俺に限界なんてねえ!うっちゃん!ここいらで1番たっけえシャンパン、入れといてくれよな!!」

帰りに、マリから連絡があった。唯一、定期的に会っている親友。
今度、お茶しよー!いつもの女子会!
勿論、とだけ答えた。

頭上の街灯の電気が切れている。


私だけが知る私。心の癒しを求めているのか、何なのか、どこにいる私が、本当の私なのか。
わからないけど、こんな私の人生を裏で支えてくれる、変えてくれる場所がこのバーで良かった。



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