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「ブレる」勇気と、弾性のある社会

ダウンタウンの松本人志氏が性加害を行ったと『週刊文春』が報じたことについて、松本氏は文藝春秋を相手取り名誉毀損による損害賠償と謝罪広告の掲載などを求めて提訴した。
企業や社会にとって、この件を通してどのような学びがあるのだろうか。


悪手だらけの初動

年末に第一弾の記事が出た際に松本氏は「やる気が出てきた」と煽るような内容のツイートを投稿した。年明けには件の「飲み会」の後に被害女性から送られた「お礼」メッセージとされるLINEスクショを添付し、合意があった証拠と言わんばかりのツイートをしている。これらツイート内容はともかく、少なくとも本人によるSNSでの投稿は悪手中の悪手だった。

第一弾の記事が出た時点で、所属事務所である吉本興業は事実関係について松本氏から詳細なヒアリングを行うべきだった。もちろん本人が報道内容を否定するであろう事を見越した上で「いつ」「誰が」と言った客観情報をなるだけ多く収集し、弁護士など専門家立ち会いの下で分析を行い、どのように対応していくか道筋をたてなけばならなかった。SNSでの発信を控えるよう本人へ念を押しておくべきだったことは言うまでもない。加えて「飲み会」に参加したとされる関係者たちについても同様の対応が求められ、他事務所所属の場合は事務所間での連携が必要だった。

しかしながら、こういった対応は行われなかったのか、行われたが見通しが甘かったのか、松本氏は本人にとって不利にしかならないような言動をSNSで発信し、吉本興業は報道に対して法的措置も辞さない旨を示唆しながら「当該事実は一切なく」と言い切った。ところが「飲み会」をセッティングしたとされる後輩芸人が、援護射撃のつもりで公開したはずのLINEスクショの存在が、そういった席が設けらた事実の裏付けとなってしまい、当該事実は一切ないと強気に出た吉本興業の戦線を後退させるだけでなく、松本氏は活動休止、そして後輩芸人自身は活動自粛に追い込まれることになった。
松本氏と吉本興業、そして名前の挙がった複数の後輩芸人ら三者による事実関係の整理と、告発内容に向き合った真摯な対応を初動で行なっていれば、ここまで早く広範囲に延焼しなかったはずだ。

明暗を分けたスポンサーと吉本興業の対応

松本氏と吉本興業の初動が悪手だらけだった一方で、迅速且つシビアに反応したのはスポンサー企業の方だった。
松本氏の活動休止が発表されたのち、かつて自身がレギュラーを務めていた番組への出演が本人によって告知されたが一転、出演が取りやめになるという事態が発生した。
第一弾報道が年末12月27日であったこともあり、既に撮りを終えていた年末年始の特別番組の多くは結果として放送はされたものの、提供社名の表示が急遽取りやめられるという異様な事態となった。スポンサー企業の反応の速さは、昨年、ジャニーズ事務所における性加害事件が表沙汰になった際の反響の大きさから学びとったものと言える。社会常識から逸脱した、またはそういった疑惑が持たれるタレントが出演する番組のスポンサーを務めることは、企業のブランドイメージを損ねることに繋がり、国内外にステークホルダーを擁する企業にとって大きな痛手となりかねない。ジャニーズ事務所の一件で後手になったスポンサー企業の対応ぶりは世論から批判を浴びせられることになったが、そこからしっかりと学びとっていることが今回伺えた。こうしたスポンサー企業の迅速な反応を受け、松本氏の番組への出演が見送られたのである。
かつてレギュラーだった古巣の番組だからと、タレントの一存で自身の出演を決定づけられると考えるのは奢りも甚だしい。TV局も一企業であり、意向を反映すべきはタレントではなく株主やスポンサー企業の方なのだ。

松本氏が所属する吉本興業も株主を擁する企業である。第一弾報道を受けて吉本興業がとった行動は「当該事実は一切ない」と法的措置をちらつかせながら事実を全否定するコメントを出すのみだった。年明けには松本氏の活動休止を発表したが、その理由はあくまでも本人が「裁判に注力」するためとし、報道内容に対しては依然として否定する姿勢を変えていないことが伺えた。このコメントは吉本興業のHPにて日本語のほかに英語および中国語に翻訳されて発表された。これは法人株主および所属タレントが出演する番組のスポンサーの多くがグローバルに展開している企業であることを意識したものとみられる。
しかし、この時点で既に対応が後手になっていたこと、被害を受けたとされる方たちへ向けた誠実な対応ぶりが一切見られなかったことから、スポンサーが流出し、本人が出演すると告知した番組への出演すら急遽見送られることになり、『週刊文春』による第二、第三の報道が出るたび戦線の後退を余儀なくされた。

吉本興業は数千人とも言われる多くのタレントと複数のグループ会社を傘下に抱える大手プロダクションであるだけでなく、2025年に開催予定の関西万博や政府が主催するクールジャパン事業への参画もあり政府から出資を受けている。それだけの影響力を持ち、また税金が投入されているということは当然ながら公共性や清廉性が求められるし、世間からは厳しい目で見られる。したがって多言語版のプレスリリースを出せば済むということでなく、各ステークホルダーに対して説明責任を負うことになる。加えて件の「飲み会」のセッティングについて複数の後輩芸人たちの名前も挙がっていることから、そのような席が事務所黙認のもと設けられていたのではないかという疑いも出ており、少なくとも吉本興業は企業としてその件について説明しなければならないにも関わらず、未だそういった対応はない。

ジャニーズ事務所の一件から自らをUpdateし本件において迅速な対応を行なったスポンサー企業とは裏腹に、Updateできていないだけでなく、危機管理能力すら欠如している様を自ら晒してしまったのは吉本興業の方だった。そのような企業は株主からもスポンサーからも離れられ自然淘汰されていくのが世の常だろうが、このことは事務所だけにとどまらない。この後に及んでも松本氏を擁護したり、あまつさえ被害者叩きをする者たちも遅かれ早かれ時代から淘汰されていくだろう。

時代の転換点に台頭した「冷笑系」

歯に衣着せぬ物言いなどに見られる「尖った」と表現される松本氏の芸風は世代に大きな影響を与え、彼に憧れて同じ道を志す多くの若手芸人を輩出することになった。
あえて正道を行かない「斜に構えた」ニヒリズム的な言動は当時のお笑いでは目新しく見えたのか、若くして一気に頂点に上り詰めた。バブル経済が崩壊し、凋落が始まっていた当時の日本において、生真面目さや誠実さをせせら笑う冷笑的な芸風が痛快なものとして受け入れられる土壌が形成されていたのかもしれない。その笑いはしばしば暴力性をはらみ「悪質な笑い」と故横山やすしによって酷評されたのは有名な話である。そのような芸風をその後も貫いていることに対して「ブレない」と称賛の声が少なくなかったことも、本人を増長させるに至った一因と思う。「ファミリー」と呼ばれる後輩芸人たちを随え、強大な力を持つ存在に、あえて批判的な意見を述べるというただのリスクにしかならないようなことをする人は誰もいなくなった。勇気を持って声を挙げたとしても圧倒的マジョリティによってかき消されてしまっただろう。

今般の報道を受けた松本氏の動向には大きく失望させられた。報道内容を否定するのみならず、本人の言葉で語られたのは、思わせぶりな短文ツイート数回のみで、文書の公開や記者会見はまだ行われていない。ツイートは現在は停止中で、その後文藝春秋を提訴してからは代理人を立てているため、本人の言葉によって語られる機会がないままとなっている。
また、件の「飲み会」を松本氏のためにセッティングしたとされる後輩芸人の名前が複数挙がっているが、先輩として、そして「ファミリー」として彼らを庇う様子が見られないことも興醒めである。既に名前の出ている後輩芸人の一人は活動自粛に追い込まれ、他の後輩たちも名前が出てしまったことによって少なからず仕事に影響は出るだろう。結局のところ松本氏が傾倒していたマッチョイズムとは自身の保身と他人を貶めるためのものだったのかと思うと残念でならない。

掛け違えたボタン

12月27日の『週刊文春』による第一弾報道ののち、年が明けて第二、第三そして第四の報道において「事実無根」ときっぱり否定した松本氏の意図とは裏腹に次々と新たな被害告発が現在進行形で続いている。
松本氏は依然として内容を否定するスタンスを変えておらず、1月22日には文藝春秋に対して、名誉毀損に基づく損害賠償請求及び訂正記事による名誉回復請求を求める訴訟を提起した。

ここは推測になるが、松本氏は「ブレない」ことを美徳とするあまり、当初感情的に当該事実を否定してしまったところから抜け出せない状態になっていないかと思う。また失うものが多すぎるが故に「認めてしまったら負け」といった呪いに囚われていないだろうか。松本氏がするべきだった対応は、感情的に頑なに否定することでなく、告発内容にあるような、またはそのように取られても仕方のない行動が自分側になかったか、落ち度はなかったか冷静に思い返してみることだったのではないか。そして幼稚な短文ツイートを投稿した後に一方的に口を閉ざすという保身のための身勝手な行動でなく、被害を受けたとされる方と問題解決に向けた対話をしていく姿勢を見せることが必要だったのではないか。

既に損害賠償を含む訴訟を起こしてしまったタイミングではあるが、今からでも上で挙げたような方向へシフトチェンジすることは可能である。
もしそうした場合「ブレている」や「キャラ崩壊」など浅はかな批判を受けることが予想されるが、被害者の人権より一芸人のキャラが優先されることはないはずだ。それでも離れていったスポンサーは戻らないだろうし、仕事も失ったままかもしれないが、人としてやるべきことをやったかやっていないかで、他人による評価はさておき、自身が残りの人生を生きていく中での心持ちが違ってくるのではないだろうか。最初のボタンを掛け違えてしまったためにずっとちぐはぐなままでいるよりも、全てのボタンを外して最初からまた掛け直す方が結果として良い選択になるはずだ。

歪んだ力関係の構造

松本氏の芸風の一つとして所謂「いじり」が挙げられる。売り出し中の若手芸人にとって「いじられる」ことは自身のプレゼンスを上げるものとして多くが好意的に受け入れられてきた。この「いじり」のカルチャーはお笑いの世界から、今や職場や学校など私たちの身近な場所にも持ち込まれるようになった。

自分が場の雰囲気を主導したいがために他人をネタにする「いじり」の構造はまさにいじめやハラスメントの本質であり、その裏付けとして、立場上強い者が弱い方をいじることはあっても、その逆のパターンは滅多に存在しない。抑圧された力関係が前提となるため、いじられる側にそれを拒否する余地は与えられず、万が一そうしようものなら、調和を乱す「空気の読めない」者としての烙印を押されることになるだろう。いじった側にしてみれば、あくまでも笑いの延長線上の些細なネタの一つに過ぎず、ハラスメントの意図などさらさらなかったと主張するだろう。そして多くの場合、力や声がより大きい者の言い分が採用されるか、若しくは「どっちもどっち」と公平さを装った理不尽な判定が下されるのだ。

こうした歪んだ力関係の構造は、松本氏の周辺にも形成されていったと思われる。目をかけてもらいたい、仕事で使ってもらいたいと希望する後輩芸人からの「献上」を受ける構造が形成され、次第に常習的となり、ついには松本氏による「指示書」まで登場するに至った。松本氏の持つ力が強大すぎるあまりに、その上下関係はいつしか病的なまでに歪んでいったのではないだろうか。

所属事務所の方向転換

こうした吉本興業内外の後輩芸人をも巻き込んだ「献上」システムが、事務所黙認のもと組織的に行われてきたのではないかという指摘も出てきている。
吉本興業およびそのグループ会社の現在の経営陣は元マネージャーなど松本氏と縁深い人物が多く占められている。いちマネージャーから会社の経営陣へ昇り詰めることができたという恩義があるだけでなく、約30年間の長きにわたってトップに君臨する大物タレントゆえ口出ししずらいところもあっただろう。しかしながら、それでは自浄作用を持たない身内に甘い組織として世間から認知されることになり、清廉性と健全さを欠く企業は衰退し、そしてゆくゆくは淘汰を余儀なくされるであろう。

そうした危機に直面していることを今更ながら気づいたのか、吉本興業は1月24日に新たなプレスリリースを出し、「真摯に対応すべき問題」と認識を改めた旨を発表した。これは年末の第一弾報道直後に出された「当該事実は一切なく」とのコメントからの完全な方向転換を示すものであり、事の重大さに気づくのに一月を要した点と、「世間の誤解を招き」という言い訳がましい表現など頂けない部分はあるものの、一企業として正道へ戻ろうとする姿勢は評価したい。
これによって吉本興業と松本氏はそれぞれ異なる方向へ進むことになるとみられるが、とはいえ吉本興業が松本氏を「切り捨てた」と今の段階で評価するのは早計のため今後の動向を待ちたい。

ブレてもいい寛容な社会

松本氏と吉本興業は共に初動を誤った。
それから一月が経ち、先に軌道修正を行なったのは吉本興業の方だった。
同様に松本氏に対しても方向の転換を提案したい。それにはまず本人の言葉による説明が必須になるだろう。けれども「ブレない」ことに頑なになるよりも、被害を訴える人たちがいる以上、その人たちの方向を向いていく事の方が如何に大切なことであるか、本人から社会へ示してほしい。きっと世間は「終わったな」「がっかりだ」などと勝手な評価を下すだろう。しかしながら、そもそも「ブレない」人間などおらず、誰もが皆様々な人生のイベントを経ていく中で考えや価値観がUpdateされていくものなのだ。

逆張りや斜に構えることを良しとする風潮ももう終わりにしたい。ここ最近世の中はギスギスしすぎていて疲弊しているように感じる。冷笑よりも共感性をより価値のあるものとし、強者に媚びるよりも弱者に寄り添う世の中の方がいい。
また、過ちによって全てを失ったとしても、やり直しが許される社会を望む。正道に戻ろうとする人間を歓迎できる柔軟さは、どんな時代の変化や困難にも立ち向かえる強さとして現代社会に不可欠な要素だからである。

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