スカンジナビア半島の記憶 #6

 宿に戻ったときには、5時を過ぎたくらいだったと思う。8時からオーロラツアーの予定があったが、それまでにはかなり余裕があった。Hは事前にツアーの申込みはしていなかったが、現地申込でどうにか参加できることになったようだった。

 オーロラツアーを控えていたわけだが、こういうときに過去の経験は生きるのだ(と思っていた)。オーロラを観察するためには、運が必要なことは間違いない。が、それ以上に体力勝負な面もある。なぜかといえば、それは尋常じゃなく夜は冷え込み、体力が常に奪われていくからである。ツアーではちょっとした食事がでるというのも聞いていたが、少しだけでも食べておくことにした。

 北欧では物価が非常に高いが、このことが予算ギリギリで旅行している人間を厳しく縛る。旅行で遠方にでたら、いつもよりは贅沢をする。こんなのんきなことを言ってられるのはアジア圏くらいである。ヨーロッパにはいるということは、高物価の壁の内側で過ごさなければならぬということを忘れてはいけない。だが、この縛りも完全ではない。パン・麺(パスタやインスタントラーメン)は完全に合法であると同時に、脱法的な低価格でありながら、十分おいしい。だが、前回のアイスランドではパンや麺だけを食べ、野菜を一切食べなかった。これは健康、とくに内臓的の非常に悪かった。アイスランドにはなかった(?)が、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーのほとんどのスーパーには、グラム数で値段を決めるサラダバーのようなものがあった。これもまた、自分で調整すれば、穏やかな価格で、単調なパンや麺の地獄から抜け出す手助けとなる。

 以上のような合法脱法食事をスーパーで買い、宿で調理した。宿はゲストハウスだったので、部屋以外にもキッチンやリビングがあった。キッチンでは他の宿泊客がすでになにか調理していた。アジア系・ヨーロッパ系色々な人がいた。英語やフランス語、よくわからないものなど、いろいろな言語が飛び交っていた。インスタントラーメンを買った僕は、丁度いい鍋がないか探した。しかし、なにがどこにあるのかわからなかったので、いろいろな場所を探し回っていたところ、女性が「なにかさがしているのか」と声をかけてくれた。こういうときにどうやって返したらいいのかがわからなくなる。外国語が上手であるということは、質問に対して、簡単な返しであっても、詰まることがないということなのだろうと思った。僕なんかは、必要なものを的確に表すにはどうしたらいいものか、と少しだけ考えて出てこなかった。その女性がつかっている鍋がちょうど良さそうだったので、指差しながら「こういうやつ」と答えた。貸してくれなかった。そりゃそうだ。だから、インスタントラーメン一袋つくるのには、大きすぎる鍋をつかった。

 食事用の机はキッチンとリビングにあった。キッチンの方は使われていたので、リビングの方で食べることにした。席について食べようとすると、ゲストハウスのオーナーがやってきた。このオーナーはアフリカ系のルーツを持つ人で、とても陽気なひとだった。彼は机の向かいにある、ソファに腰掛けると、ギターで弾き語りを始めた。しかも、完全に僕にむけて演奏しているのである。聞きながらラーメンを食べていたのだが、なんだが気まずくなり、気分が重くなって急に食欲がなくなってしまった。トイレにいって、戻ってきたらもう彼はいなくなっていた。悪いことをしたような気がした。また気が重くなった。

 そのあと部屋に戻った。そこからツアーに参加するまでの記憶が曖昧になってしまっているのだが、おそらくこのタイミングだったと思う。それはなにかというと、歯を磨こうとしたのだが、寝台列車にもってきた歯磨きセット一式をおいてきてしまった。8時からツアーの集合場所も少し離れていたので余裕をもって出ようと準備していたときだった。ツアーから帰ってきたあとでは、10時を過ぎているのでどこの店もやっていない。夜のロヴァニエミを全速力で走った。歯ブラシを買うためだけに走った。すれ違う人に変な目でみられたような気もする。見られていなかったとしても恥ずかしい。なんで外国の知らない土地で、こんなにも焦りながら、雪で滑りそうになりながら、走らなければいけないのか。早めに準備していたとはいえ、想定外の時間消費だったので、ギリギリだった。経験を生かして、いろいろな準備をしたら、思ってもないことで気が重くなり、思ってもないことで激しく体力を消耗した。なんでもかんでも経験が生きるわけじゃない。

 オーロラハンティングの集合場所が、市内中心地のとあるホテルのロビーということなので、Hと一緒に向かった。そのホテルの目の前には、何台もの観光バスが停車していた。どうやら、いろんなツアーの集合場所になっているようだった。中に入ってみると、そこにはロビーいっぱいに人がいた。しかもほとんど日本人である。6人位の学生団体を昼間みたときに、「結構日本人もいるんだな」なんて思っていたが、この数では流石に、日本国内のスキー場の小屋と変わりない。ただ、後にも先にもこんな数の日本人をみたのはここだけだった。さすがのサンタクロースパワー。

 気がつけば、またホテルの外にいた。二人でタバコを吸っていた。海外で日本人にあうと安心するけど、こんなにいるとな…と勝手に失望していた。だいたい、日本語でのガイド付きなんだから当然日本人しかいない。勝手に理由をつけて、勝手に気晴らししてただけじゃないか。

 参加者の点呼が済み、バスに乗り込んだ。オーロラの観測スポットまでは20-30分あったので、その間にベテランのオールドガイドマンがロヴァニエミのことやフィンランド語について説明してくれた。フィンランド語には、前置詞がなく、名詞などの語句自体が変化することによって、前置詞の役割を担うらしい。北欧の言葉は興味深いものが多い。ノルウェー語やスウェーデン語は、デンマーク語にとても近い。アイスランド語は1000年以上文法が変わらず、新しい単語を作る際には複数の単語を組み合わせて一語にするというのを聞いたことがある。

 目的地についた。しかし、今日は多分見れないだろうというのは、来る前から予想がついてた。晴れていてもオーロラは、その電磁波の強さが弱ければ見えない。その日の電磁波の強さがどうだったかは忘れた。なぜなら曇っていたから、もはや電磁波どうこうの問題ではない。最初の方は他の参加者も、僕たちもでるのを待っていたが、段々と待機場所である山小屋に引き上げていった。曖昧だが、僕ももう寒いし、この天気では無理だなと思い引き上げようとしたときに、Hから根性がないと言われた記憶がある。寒いし、眠いし、(オーロラ)見れないしで心身ともに疲弊していたが、頭にきたから最後の力を振り絞って、こいつをぶん殴ってやろうと思ったがやめた。お互いのマイナスな気分がぶつかりあっただけである。

画像1

 ↑白やオレンジの発色は、街の光が雲に反射している。水色のは、よくわからないが、オーロラはこういう色ではないらしい。

 待機場所の山小屋の中はとても居心地がよかった。老夫婦がツアーの客のために、温かい飲み物や、小屋の中心にあるグリルで焼いて食べる大きなソーセージ?ウインナー?を出してくれた。小屋の中は、真ん中のグリルを囲むように椅子やテーブルがおいてあった。僕たちはその一つに腰掛けた。同じ席には、小さい子どもが二人いる家族や同い年くらいの一人で旅行しているという人がいた。多少の会話を交わしたが、全く気分がのってこなかった。振る舞われた飲み物は、シナモンティーかなにかで、ちょっと全部飲み切るには癖が強すぎる。甘すぎる。昔、沖縄で車の免許もなくレンタカーも借りられず、バスで移動し、目的地まで歩いているときに、あまりにのどが渇いて、自販機でなんでもいいからとおもってボタンを押したらでてきたのも確かシナモンミルクティーだった気がする。なんでもいいと思ってたのにちょっと飲んですぐ捨てた。

 ウインナーも食べたかったが、どうしても食欲がでてこなかった。僕の悪い特性で、いつもとは違うところで、知らない人があまりに多いと一時的に食欲が激しく減衰する。さっきのインスタントラーメンのときだってそうだ。一人は好きだが、一人は怖くて、知らない人も怖い。

 こんな感じの自分自身がその時も残念に思った。また今回もオーロラが見れなかったのも、ものすごく残念だった。

画像2

画像3

 集合場所のホテルに戻った。帰りのバスでは眠ってしまっていた。オーロラは見れなかったが、オーロラのポストカードをもらった。もう街は静まり返っていた。僕も次こそはオーロラ見てやるぞと静かに決心した。ゲストハウスに戻って、階段を登っていたら、一段踏み間違えて、ものすごい勢いでこけた。本当に死んだとおもった。次はオーロラ見えるだろうか。

画像4

↑もらったポストカード 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?