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自転車とバイク【ノンフィクションショート小説】

自転車でバイト先のたこ焼き屋に向かう早朝。整備の行き届いてない僕の自転車は、キーキーと耳障りの悪い音を立てていて、それをだるそうに漕ぐ僕。

すると後ろからバイクの音が近づいてきて、エンジン音にかき消されない大きさで声をかけられる。

おうリロイ、今朝もバイトか?昨日も遅くまで飲んでたんだろ?偉いな!

声をかけてきたのは、ヒビノさん。ヒビノさんは若手芸人でひたすらにお金のないくせに、時間は余りまくっている僕を、毎晩のように飲み屋に連れていってくれる、この街で1番の働き者のおじいちゃんだ。

ヒビノさんの朝は早くて、前日の酒が残りながらバイト先に急ぐ僕の横を、いつも配達のバイクで走り抜けて行くのが毎日の日課のようになっていた。

バイクで一瞬僕と並走すると、僕を少しいじって最後は褒めてから、すぐに仕事に戻って行く。僕はヒビノさんが大好きだった。

ヒビノさんは、この町で唯一のきしめんやを営業していて、街の端から端まで自分で配達までこなしていたし、それに加えて早朝から製麺をして昼営業の準備をして、休憩時間になると店の前で長年乗ってきた相棒でもある綺麗に整備された配達用のバイクに座って、ハンドルの横に取り付けられた灰皿でタバコを吸っていた。

僕のバイトの休憩時間は20分、限られた時間で心と体を休めるのと早く食事を済ませたい僕は、たこ焼き屋から歩いてすぐのヒビノさんのお店に行って、お決まりのきしめんセットを食べていた。

毎日のように同じ時間に顔を出す僕とヒビノさんは顔見知りになっていた。

ヒビノさんと初めて会ったのも、仲良くなったのも飲み屋でだった。

22時を過ぎたあたりでヒビノさんは居酒屋に顔を出すと、店に入れたボトルと少しのつまみを注文して、カウンターの端の席に座り、店の人とたまに会話しながら1人でお酒を飲んでいた。

この街に来たばかりの僕は、いわゆる街の若い衆の新しい1人で、そんな僕を初めて見たヒビノさんは同じく1人で店に来ていた僕を見つけると、自分のお酒とつまみを持って僕のテーブルに移動してくると、飲めるか?と一言質問して、グラスをもう一つ頼んで、自分のボトルの酒を飲むように勧めてきた。

最初は緊張と不安もあったが、若者と話すのが好きなんだというヒビノさんの優しさのおかげもあって、僕らはすぐに意気投合し、週に2.3回は一緒に飲むようになった。

ヒビノさんは70歳を超えていて、お世辞にもがっしりとした体型とは言えない老人特有の痩せた体、白髪の坊主頭で背も高くないけれど、長年働いてきた人の日に焼けた肌をしていて、頼り甲斐のある人だった。

僕らは初めて出会った時から、沢山の話をした。

僕が芸人として売れたいと本気で思ってること、留年した大学生活のこと、付き合ってる彼女との旅行の計画のこと。ヒビノさんの趣味が毎朝の釣りだってこと、自分で配達から店の営業まで全て奥さんと2人で50年以上やってきたこと、ビートきよしさんと昔ゴルフ仲間だったこと、言葉遣いがたまに悪いのは地元から出たことがないし方言だからだってこと。

僕たちは会う度に盛り上がり、話が尽きることはなかった。

ヒビノさんはお酒が進んでくると、いつも熱い話をして最後は固い握手を求めてくる熱い人だった。

お前は絶対に売れる、それまでは俺が食わせてやるし酒も飲ませてやる、だから諦めるな。努力していればいつか絶対に報われるし、その為に周りの人にたくさん感謝して甘えろ。この辺りの居酒屋に行ったら、俺のボトルでも飲めよ。

ヒビノさんが僕は大好きだった。

ヒビノさんと飲み友達になって一年、僕がこの街に来て2年が経とうとしていた頃、ヒビノさんは居酒屋に顔を見せる頻度が少なくなっていた。相棒のはずのバイクは、店の裏手にずっと止められていて、表のシャッターは閉まっていることが増えていた。

体調でも悪いのかな?大丈夫かな?

そう思った矢先、ヒビノさんと居酒屋で久しぶり僕は会った。僕は、ヒビノさん最近店閉めてること多いけど体調大丈夫?あまり無理しないでね?と素直に聞いた

するとヒビノさんは、何言ってんだ!そんなことねぇよ、お前は早く売れて俺を美人のお姉ちゃんのところに連れて行け!頑張ってるのか?

と茶化すので、いつも通りのヒビノさんだ、良かった!…と、いつものように僕らは楽しく飲み始めた。

それから数日後だった。

いつも行く居酒屋のマスターから、珍しく僕の電話に着信があった。

リロイ、ヒビノさんが亡くなった。告別式お前も来るよな?

大学の授業中だった僕は、あまりのショックにそのまま教室に戻ることが出来なかった。

告別式の日は僕の心の中と同じように暗い曇りだった。告別式は、隣の隣の町にある葬儀所で行われることになった。

告別式に行くための電車賃もない僕は、まだ数回しか来たことのないスーツを着て、自転車に跨り走り出した。

自転車とバイクで話したバイト先への道、遅くまで飲み明かした居酒屋、そしていつも通ったきしめんや、僕はヒビノさんとの思い出をなるべく思い出さないように通り過ぎる。

自転車を漕ぎ始めて何分経っただろうか、途中で雨が降り始めた。

いつもはキーキーとうるさい自転車の音も、突然降り出した雨の音も、何も聞こえない、聞きたくない。

ヒビノさんともっと沢山話したかった。もっと沢山飲みたかった。もっと沢山、もっとずっと一緒に楽しく過ごしていけると思ってた。ヒビノさんの声がもう一度だけ聞きたい。

雨の中、隣町の葬儀場までこの山を越えればすぐだというところで、バイクの音が後ろから近づいてきた。

自転車を止めて振り返る。

突然自転車を止めて振り返った僕を、スクーターの運転手が不思議そうにチラ見して通り過ぎて行く。

ヒビノさんの声が聞こえた気がした。


告別式に着くと、会場には僕の見たことのある人から見たことのない人まで本当に沢山の人がいた。

ヒビノさんが本当に沢山の人に愛されていた証拠だ。

思えば飲み屋で誰か来るといつも言葉遣いは悪いけれど気を遣って話しかけていたし、居酒屋のカウンターの端に座るのも店の人たち全員を一度に見ることが出来るからだった。僕がお金がないのを見越して、ボトルを一緒に飲ませてくれたし、町に来たばかりで知り合いの少ない僕に進んで話しかけて来れたのも、ヒビノさんの優しさからだった。ヒビノさんは少し恥ずかしがり屋だけど、とにかく人が大好きだった。

そして街の多くの人に愛されていた。

ヒビノさん、元気?僕は元気!あの頃ヒビノさんが言ってくれたように、諦めずに芸人をしています。上手く行くことよりも上手くいかないことの方が圧倒的に多いけど、それでも挫けずに頑張ってます。そちらに美人な女の子はいますか?ボトルキープできる店はありますか?誰よりも早起きして誰よりも働き者だったのは続いていますか?僕はこれからも諦めずに努力を続けて売れてみせるので、これからも見ててください。

僕、絶対に諦めないよ。

それと最後に未練たらしくひとつだけお願いなんだけど、聞いてくれるかな?

会いたいよ、ヒビノさん。

リロイ太郎

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