2004年『I, Robot』は2035年の世界を作れるのか
ロボットと人間の混沌とした社会を描いたアレックス・プロヤス氏による『I, Robot』.
冒頭からロボットが道を歩き、荷物を運び、人を助けるために薬を運ぶ人型のロボットに強い印象を受ける.
印象的なのは人型のロボットや未来の自転車、未来の車があるのに対し大体の街中は煉瓦造りで古いノスタルジックな建物が並んでいること.ロボットを作っている会社のオフィスが未来的なのに対しノスタルジックな社会が人々の中心になっているところに二極化した社会の印象を受ける.
そして映画の最大の特徴は人間vs AIではなく、人間+AIvs AIという構図をとっているところ.
社会(建造物)の構造は“富裕層の先進的な地域“と“一般人が住むノスタルジックな街並み”と二極化しているのに対しAIは普遍的な存在として受け入れられている.そして最終的には一体のAI(感情を持っているAI)と人間がシステムによってコントロールされているAIとの対決を行う.
これは現在の社会にも当てはめることができるのではないだろうか.
実際にAIをはじめとする先進的なアプローチをとっている富裕層と一般市民の住む世界は全く違う.ここは二極化とも言える.
そして2022年の11月に登場したChatGPTは普遍的な存在として人々に知られるようになった.今では中学生でも知っている用語に成り果てた.
ロボットではないものの存在価値としては同等だと思う.
この映画で引き起こされている事象は2024年現在の社会の鏡面的印象を受ける.しかし重要なのは感情を持っており、一つのシステムによって制御されない完全個体の自己完結型AI(ロボットも込み)が開発されていない.
そこは2023年の先進的社会を示せている.
しかしこの映画が公開されたのは2004年のことだ.
まだガラケーが社会の中心であり、おサイフケータイが始まった頃だった.ニンテンドーDSが社会で燃えている中でのロボットに関連する映画をつくり今の社会を再現したかのようなタッチは評価すべき部分だと感じる.
この頃の視聴者はSF世界だったかもしれないが、今では現実を徐々に帯び始めていると考えるとまた面白い.
2035年の社会が一体どうなっているのかは私には分からないが、確実に言えるのは2024年の社会を再現しているのがこの映画だということだ.
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