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高校生から始める独書 

「読書は読書であって他ならないことだ」僕が林望さんとの最初の出会いだった.

本の中から問いかけてくる林さんの情報量はとにかく多くて、僕自身も辞書を何度も引いて人物をインターネットで調べての繰り返しだった.普段一日で大体の本は読み終える僕だったが、この本だけは2日、3日かけながらゆっくり読んだのをよく覚えている.

僕が読んだのは林望さんの「知性の磨きかた」という本なんだけど著者自身の体験を現代の問題に載せて語ってくれる.(ぜひ手に取って読んで欲しいので内容は内緒です)

少しだけ言うと「本は壊すものだ」とか「本なんて読まなくて良いとか」普通の読書家だったら「なんじゃそりゃ」みたいになりそうなんだけど、とにかく面白い.

それから僕は結構「本を汚す」人になったんだけど周りの人からは結構冷たい目で見られる.

この前は本を開いたまま机の上に仰向きで置いておいたら「本が痛む」と言われてしまった.しかし僕からしたら「本なんて傷んでなんぼ」という感覚だからどうでもいいんだけど、読書の本質はそこに隠れているように思える.

読んで書く、と書いて読書というんだけど本っていうのは読んだだけでは読書ではない.読んで書き込んで自分の本にしてやっと読書になる.そう僕は思ってる.だから僕の読んでる本を見たことがある人は知ってるだろうけど、とになく汚い.至る所に書き込みされてるし、たまにコーヒーの染みが付いてたりする笑.

読書をするために椅子に座って綺麗に読むなんていうのは逆に本が可哀想に思えてしまう.それだけ崇高な存在になってしまってるんだろう.本を読む行為がまるで正しい、賢い姿勢に見えてしまってるんだと思う.

しかし読書なんか別になんの価値もない.本を読んでるやつがいて「君偉いね」なんていうやつがいたらクソだな程度に思ってた方がいい.だから僕はとにかく中学校の時の「朝読書」の時間が1番嫌いだった.たった15分間しかないのに読書を強制させられる.(もっと短かったかもしれない)
そんな時間に読書したってしょうがない.それは学校という教育の場が「読書はいいものだ」と勝手な認識をしてしまっているのが原因だ.

そもそも読書というカテゴリーに分けて読むのが悪い.読書といっても自己啓発的な本があったり小説でもラノベがあったり、種類は多岐にわたる.

なんなら高橋鐡とかの風俗小説を読んでも読書だろう.しかし内容はセックスについてだ.性小説を読んで何になる?頭が賢くなるんだったら教えて欲しいものだ.

そこがまずダメだ.読書なんか初めから「偉いもの」ではない.その人が読みたいから読む.それが読書だ.だから朝読書なんていうクソ時間を作るのは相当な見当違いだと思っている.

本なんて汚せばいいし、適当に読めればそれでいい.

最近の読書と聞くととてもハードルが高そうに思えてしまう.本を読むことがあたかも勉強であって本を読めば頭が良くなるとか、本の正しい読み方とか笑.困ったものである.だから若者の読書離れなんかと騒がれるのだ.

先ほども述べたように読書は自分の好みである.自分が好きなように読めばいいし好きな時間に読めばいい.僕はトイレにいる時間が何となく好きでいつもkindleを持ってトイレに籠る.

ドアをノックされてやっと出るのでいつも1時間くらいは籠っている.それが僕の読書なのかもしれない.

僕の友達は常に時間に追われているようで本を読む時間がない.だから最近は移動中の徒歩で「オーディブル」聴きながら.と言っていた.

少し読書とはかけ離れているかもしれないが,それもその人なりの読書なんだろう.本が読めないから耳から情報を得る.いい事だ.

その人にとっての読書は他人には理解されないことが多い.風呂場に本を持って行って常にヨレヨレだったり,読みすぎて本がボロボロだったり,その人の読書があるのだ.

綺麗に本を保たせるのがいいみたいなバカな話はない.

読書とはそんなものだ.と言うが私は常に「独書」を行なっている.言葉の通りなのだが1人で本を読む.孤独をいつも楽しんでいる.

以前noteにも書いたが孤独はいい言葉である.自分で望んだ孤独というのは自由が効く.孤立の対義語でsる孤独はいい.

例えば私はトイレの空間で本を読むことが好きだと言ったが,多分あの狭い空間では1人しか存在できないから好きなんだと思う.

周りに色覚的な障害物がなくドアをノックされない限り誰にも邪魔をされない空間.そんな孤独の空間がいい.

第一に他人と読書などできはしない事は理解できる.2人で本を読もうと努力してもページの捲るスピードが違えば,内容の理解やメモも2人同時ではできない.要は読書をしている時間は必然的に孤独の空間なのである.

私はこの孤独の空間を大切にするべきだと思っている.人は常に他人とコミュニケーションを行う動物だが,読書の時間だけは他人とのコミュニケーションを除外し自分と本だけの空間を作り出すことができる.

昨今のストレス社会が生まれてしまう原因にも「読書をしない」という事が挙げられるのではないか.とも思う.

つまり人はコミュニケーションを取らない時間,独書の時間を設けるべきなのだ.

勿論1人の空間は自分の好きに作ればいい.トイレもいいが別に電車の中でも車の中での移動時間に独書を取り入れてみるのもいいかもしれない.

ここで注意したいのはスマホを伏せておく事だ.独書の目的は孤独であってコミュニケーションを除外しなければならない.独書をするのであれば関係性は本と自分だけに限られる. 

独書という提案は自分の人生を豊かにすることに大きく寄与する可能性が高い.別に古典を読め、自己啓発本を読めというわけではない.まずは自分の趣味の派生から本を選んでみるのもいいかもしれない.そこから始まるのが独書だ.

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