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薔薇の牧場に舞う者は 003

※タイトル上の写真※
日刊工業新聞 (2018/08/28) ㈫ 第1面に掲載。
国文学研究資料館ほか所蔵。人文学オープンデータ共同利用センター加工。同センター提供。
江戸時代『雨月物語』中の『す』の字形データセットの一部。地域や書き手ごとに字体が大きく異なる。

(2018/09/03) @名古屋・日本

 「お忙しいところ恐れ入ります。
 挨拶とともに名刺を出してくる。
 「人文学オープンデータ共同研究センター:國枝と申します。本日は是非お願いしたい件があり伺いました。お時間ありがとうございます。」
 人文学オープンデータ共同研究センターと言えば、確か、REISの・・・。
 「ご用件を伺います。」
 「REISのことはご存知でしょうか?」
 「存じ上げております。
 Research Institute of Information and  Systems:情報・システム研究所ですね。」
 「左様でございます。私共のセンターはそこに所属しております。
 単刀直入に申し上げます。
 私共のプロジェクトにご参加をお願いしたいのです。」
 「プロジェクトと言いますと?」
 何も知らないかのように、尋ねる。
 「私共では、AIによる文字認識システムの開発を進めております。
 現在の光学式文字読み取り装置で文字を読み取る場合、活字については造作もないことですが、手書き文字・くずし字ではそんなわけにはいきません。例えば、これです。」
 そう言って取り出したタブレットをこちらに見せた。画面に表示されているのは『雨月物語』中で使われている『す』の字形データセットであった。
 「書き手や地域によって字の形状が全く違います。私共はこれらが同じ『す』という、かなであることをAIが読み取れるようにしたいのです。」
 「AIが読み取れることに、何の意味が?」 
 わざと木で鼻を括ったようにきく。
 「現在、我が国では千年以上も前からの古文書が残っています。しかも保存状態も良いままで。読み取れる者が見れば容易に読み取れるはずです。
 ところが、その読み取れる者があまりにも少ない。一字一字区切られていればまだしも、連綿になっていると極めて時間を要します。研究者が一文字ずつ丹念に読み解いていくしかありません。
 「そこで、AIを活用して、くずし字を読み解けるようにしよう、というのがプロジェクトの骨子なのです。
 私共の認識では、くずし字を正確に読めるのは、全国で数千人。一方で、くずし字で書かれている資料は、数億。」
 「別に急ぐ必要はないでしょう。ゆっくり一文字一文字、数千人の方たちが数億を解読していけばよいのではありませんか?」
 と、またまた意地悪く言って見る。
 「急ぐ『必要』はありません! 
 でも、急いだ方が良い、とは思いませんか?」
 眼が険しくなった。
 「くずし字で書かれている古文書の中には、地震・津波についての記述があります。東北地方にも、もちろんそれはあった。だが、東北の震災で酷くダメージを受けたものもあるのです!その中には防災・減災に活かすことができた価値あるデータがあったかも知れない。いや!あったでしょう!
 「現在でも震災被害に遭遇した地域の研究者はダメージを受けた古文書の救出活動に当たっています。災害はいつやって来るかわからない。読み解く作業は一刻も早く進めなければならない!違いますか?」
 「なるほど。プロジェクトの趣旨はよく解りました。」
 「ありがとうございます。」
 だが、不確かなことはまだ残っている。
 「それで我が研究所に何をどう参加してほしい、と言われるのですか?」
 「コンテストへの参加をお願い致す。」
 「コンテストと言いますと?」
 「『くずし字』を、現代の文字に置き換えるAIのコンテストです。
 このシステムの開発を競うコンテストを来年予定しています。表彰式は、オーストラリアのシドニーで執り行います。是非こちらの研究所からもご参加お願いしたいのです。」
 「そのコンテストを開催することで期待できることは?」
 「研究者・研究機関の連携や知識の共有を図ることで、新たなアルゴリズムの開発を促す。更にはデータサイエンスに基づく新たな人文学を創り出し、オープン化の進展により、組織の枠を超えた研究拠点を強化していく。海外の機関とも連携することで、日本の人文知を世界に向けて発信していく。
 以上で、ご理解頂けましたでしょうか?」
 「お待ち下さい。今言われた拠点というのは、公の大学や国・政府の予算で運営している“きちんとした”研究拠点のことでしょう?現におたくも、上部組織のREISも、国立情報学研究だの大学共同利用機関だのと謳っているではありませんか?
 私共のような地方の小さな社中なんぞに何でお声がかかるのか、理解に苦しみますね。
 まあ、社中と言ってもウチは確かに研究所体制をとってはいますが。だとしても合点がいかぬ話だ。」
 「研究所ぐるみで参加して頂かなくても良いのです。所内の有志・希望者を募って頂いてご参加下さい。この研究所には、N大学・大学院・博士課程の方が大勢いらっしゃる、と聞いています。しかも世界各国からの。きっと興味を持って頂けると確信致します。」
 「解りました。募集要項を拝見して希望者を募りましょう。」
 「ありがとうございます。」
 「では。」
 と、立ち上がろうとした刹那、冷水を食らった。
 「まだ、お話しは終わっていません。教えて頂きたいことがございます。」
 「何です?」
 「所長も元々は、自然科学の博士課程にいらっしゃったのですね。それが、何故、書の世界に入られたのですか?」
 やれやれ、まただ。ウチに問い合わせに来る連中は必ず同じことを尋ねる。國枝の場合は、下調べをしてわかった上で尋ねているのだろう。だが、わかっていない奴らはもっときこうとする。
 「2002年に、前所長の作品を観たのがきっかけです。」
 「2002年と言えば、Escallics第1号の作品が発表された年ですね?」
 「そうです。その後、2003年発表の作品群を観て弟子入りしました。」
 「『羊たちも安全。狼たちも満腹。』から始まる作品群ですね?なるほど、よくわかります。あれらの作品は観る者を惹きつける。
 ところで、それを創り出した前所長はどうなさっているのですか?」
 「何故、そんなことが気になるのですか?貴方にとってはどうでもよいことでしょう?わざわざ、私に尋ねる理由など無い筈だ。」
 「それがあるのです。」


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