自分が思っている以上に育ってきた文化に染まっている

 「日本人は〇〇」と一般的に言われてるけどいまいちピンときていないことも、他の国の文化に触れて初めて実感できたり、「海外では〇〇で、日本も見習うべき」というニュアンスで語られていることを実際に経験して「本当にそれは見習うべきこと?」と違和感を覚え「どちらも一長一短で、良い悪いは決められないけど、私には馴染まない」と結論を下したり、という経験がいくつかあります。それらを通じて、やはり異文化に触れてこそ、自分がいかに育ってきた文化に染まっているか気づくと改めて感じました。私がこのnoteを通じて書くことはほとんどそういう気づきに当てはまると思うのですが、その中でも特に「気づいていなかった」感覚が大きいものについて触れたいと思います。

私が実感した日本特有と言われる文化
1. ”気遣い””察し”の文化
2. ルールに従うだけ
3. 発言・質問をしない(アメリカ人はよくする)
これらは日本人の特徴として耳にする機会は多いと思います。でもそれぞれに対して、私はいまいちピンときていませんでした。エピソードとともに、それぞれを説明したいと思います。

1. ”気遣い””察し”の文化
 
これは1番耳にしてきました。「細かな気遣いができるのが日本人のよさ」のように肯定的に言われることも、「お互いに思ってることを言わないから察する必要がある」のように否定的に言われることもあると思います。そして私は、この文化が好きではありませんでした。”気遣い”は基本的に相手の為を思ってするものですが、「直接聞かずに勝手に予想して行動したところでそれが本当に相手の望みかはわからないから非効率。不満や要望があるなら直接言えばいいし、それ以外のことを相手にも望むべきではない。」と考える”気遣い反対派”でした。そのため、この点に関しては”思ってることは直接言う”という一般的なアメリカのイメージに大賛成でした。
 しかし、全体的に気遣いの少ないアメリカ文化に実際に触れて(もちろん日本人の中でも違いがあるように、気遣いの仕方は人に依ります。また”気遣い”の種類が違うことにも気づきました。)、色々と感じ始めます。
 1番感じるのはルームメイトとの暮らしの中です。彼女は私がアメリカで関わってきた中でもかなり日本的な”気遣い”をしないタイプの人間です。例えば、部屋で私がテストの前日(相手も承知)にイヤフォンをしながら机に向かって勉強をしていても平気で雑談してきます。私は相手がいる時にはスマホはマナーモード、動画や音楽の再生時はイヤフォン、電話は部屋の外で、などを心がけていますが、彼女はいつでも大音量の通知設定で、私がベッドで寝ていても部屋の中で長電話もするしイヤフォン無しで動画も再生します
 そしてこれらは、私が「明日テストだから勉強に集中したい」「〇〇をやめてほしい」と直接言えば「ごめんごめん」という感じなので、決して性格が悪いとか意地悪しているとかではないんです。ただ単に、私が言わないから気づいていない・必要がないと思っているだけなんです。また、勉強中に話しかけられたら「イヤフォンを強調しながら少しめんどくさそうに振り返る」とか、寝てる時にうるさかったら「わざとらしく寝返りを打つ」とか、そういう「さりげないアピール」は全く通用しません。そうです、これこそが私が望んでいたはずの「不満や要望は相手に直接言え、それ以外は求めるな」の世界です。望んでいたはずでした。しかし、驚くことに、私は、、ストレスを感じるのでした!

 「普通、テスト前に勉強してたら雑談してこないでしょ」「これくらい予想できるじゃん」「前回もイヤフォンしてって言ったんだから毎回言わなくてもわかるでしょ」「私はこうしてる(例:マナーモード)んだから気づいてよ、自分も同じようにやってよ」… 
 彼女の行動に対して思うことはこんな感じでした。そして私は気づきました。「あれ?もしかして私、相手に”察し””気遣い”を求めてる?」と。そうです、「直接言わなくてもこれくらいわかるでしょ」との思いが根底にあり、それは明らかに日本的な”気遣い”に馴染んでいる価値観でした。
 私があれだけ嫌っていた日本的な”気遣い”を私自身が求めていたというのは正直驚きでしたし、自分自身で性格悪いなと思いました(笑)。しかし、そういうことなんじゃないか、と思い始めました。良い悪いの判断以前に、「私自身はこの文化で育ってきたから想像以上にその文化に馴染んでいる」と気づき認めることが必要だと思いました。その上で、自分自身はどうしたいのかを考えればいい、というか、そうするしかないと思います。
 どちらの方が良いか、を決められるものではないし、気遣いをする・しないの両極端ではないし、”正しさ”なんてなくて、ただ単に自分はどんな文化に馴染んでいるかという問題です。そして、自分にどういう傾向があるかをわかってこそ、他の文化に馴染んだ人にも合わせた行動ができると思います。今回の話であれば、自分が日本的な”気遣い”を求める傾向にあると自覚しているからこそ、日本的な”気遣い”をしない人と関わる時には意識的に「要望は直接口に出そう」と思えるはずです。

 以上が、私が実は”気遣い賛成派”だとを自覚したエピソードです。”気遣い”に関する話で十分長くなってしまったので、この「文化に染まっている」という話全体を分け、他の2項目については別のノートで書きます。また、序盤で触れた日米での”気遣い”の違いについても書きたいと思います。簡単に言うと、アメリカは”足す”タイプの気遣い、日本は”引く”タイプの気遣い、という気がしています。
 性格の悪さや矛盾に気づくこともありますが、比べることによって自分の意外な性質を発見することは基本的に非常に楽しい経験です!

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