名都美術館『旅する堀文子』前期展示


名都美術館『旅する堀文子・スケッチに刻まれた人生』

名都美術館外観

堀文子氏は、2019年に100歳でお亡くなりになった、女性日本画家です。名前は知らなくとも、日本人なら誰でも見た事があるレベルの人。
TV番組『徹子の部屋』の、黒柳徹子氏とゲストの間、背景セットの階段の前の壁にかかっている、青い服を着た黒柳徹子氏の肖像画、アレ描いた人です。
ちょっと調べたところ、講談社の雑誌『VoCE』の、黒柳徹子さんへのインタビュー記事でも語られていました。

名都美術館には、堀文子氏の『紫の雨』『名もなきものシリーズ』などの名品をコレクションしています。
その他にも、著名な『ブルーポピー』を制作する際、実際に標高五千メートルのヒマラヤで描いた素描なと、五百点以上のスケッチが収蔵されているそうです。

企画展ポスター

今回は、そのスケッチをメインに、創作の跡をたどりつつ、作品に込めた心について想う、そんな展示。
観覧した日には、学芸員のギャラリートークがありました。

以下、今回の記事には、学芸員のセリフなども書いていきますが、別に録音していたわけでもないので、実際に語られた事とは、色々違っています。
自分がそう聞いた、聞いたような気がする、そう言っていたらいいな、というレベルです。
ですから、たぶん、だいたい間違っています。勝手に台詞をでっち上げてしまったわけで、学芸員氏にはお詫びのしようがありません。文責はあくまで私にあるという事で、どうか御承知置きください。

『春』

名都美術館には、受付を済ませて中に入ると、白く掃かれた中庭があって、そこに面したホールから、観覧をはじめるレイアウトになっています。

今回、そのホールに駆けられていたのは『春』という大作。
大磯の海を遠景に、満開の梅に一羽の鶯が憩う、さらに手前には山吹と牡丹が咲き誇る。黒々とした岩礁を洗い流すような、空と海の青、波の白を背景に、梅の濃いピンク、山吹の黄、牡丹のかすかに赤らんだ白と、鮮やかな色彩の絡み合いが、波の音のリズム、潮風のさざめきを思わせる、爽やかかつ華やかな作品です。
ずぅっと見ていると、こちらまで波に揺られているように、視界が安定せず、ゆらりゆらりと揺らいできます。

「ですけれど、梅、山吹、牡丹はこんな風に、同時に満開にはならないんですよね」
と学芸員氏が、ちょっと悪戯っぽく笑って言う。

「堀文子は、スケッチでは、目の前のモチーフに忠実に、正確に描くことを第一にしていましたが、それを元に作品を創る際には、自由にイメージを膨らませ、新しい世界を創造していました。今回は、それを実感していただければと思っています」

ホールの横には、ガラスケースの中に、山吹や梅、そして海辺に寄せる波のスケッチが陳列されていました。
確かに、別々に描かれていて、それぞれが正確なスケッチ。
スケッチが正確すぎるというか、それを見た後で、『春』を見直すと、なんだか、海、梅、山吹、牡丹、それぞれが、別の視点から描かれているように見えてきました。

特撮マニアの言う「合成素材のパースや色調、明度が合っていない」って奴でしょうか?

しかし、見ているとゆらり、ゆらりと、波のように視界が揺れてくる、その効果は、この、視点が一つに定まらない事から来ているのかもしれない。
ガチガチに、パースも色調明度も固めてしまったら、こんな陶酔するような感覚は導かれないだろう。むしろ、不自然に固い風景になってしまっていたかもしれません。

『牡丹』

最初の展示室に入ると、牡丹のスケッチが並ぶ。
学芸員氏の解説によれば、牡丹は日本画の代表的なモチーフのひとつで、著名な日本画家による名品がいくつもある。牡丹の画家と敬意を込めて呼ばれる作家も、何人もいる。
牡丹の重なり合う花弁、細い茎や葉の有様、正確に、あるいはバランスよく描く時点で非常に難易度が高いし、そも、華やかながら高貴であるという、イメージを両立させるのは、大変な感性を要求される。
そんな解説を聞いていると、牡丹を描けるか、というのは、日本画家としての格の証明であるかのよう。
それを裏付けるように、牡丹の名品を残した巨匠が何人もいるというのも、尤もな話。
スケッチの後に、日本画として仕上げられた牡丹の絵が飾られている。
「それでも、堀文子の牡丹が良い、という人も、たくさんいるんです」
確かに、堀文子の牡丹は、パッと見た時に、華やかだとか、高貴だとかいう印象は、浮かんでこない。
もっと華やかに描かれた作品なら、他にもたくさんあるだろう。より高貴に描いた巨匠も、何人もいるだろう。だけど、目の前の牡丹にあるのは、華やかさや高貴さではなくて、もっと近しい存在感。
「堀文子の父は、明治生まれの歴史学者で、子供への接し方が分からなかったのでしょう、話す事も少なく、闊達な文子とは衝突する事も多かったといいます」
学芸員氏は、堀文子氏の家族について話し始めていた。
「しかし、文子に、星や森や海を見せるために、たびたび連れ出していました。それが、彼なりの愛情だったのかもしれません。文子の自然を見る目は、そこで育ったのでしょう」
「その父親は、庭の牡丹を特に大切に育てていて、雨の日には傘をさしかけてやるほどだったといいます」
そんな解説を聞いて
「なるほど、この牡丹の絵は、花の絵というより、父親の肖像画のようなものなのか」
なとど考えてしまうのは、ちょっと単純すぎるかなあ。

『蝶と草花』

「ここに描かれている花、アジサイみたいに見えるんですが、これはノリウツギという花の、水無月という品種なんだそうです。これも、母親と旅行をしたときに、宿の庭に綺麗に咲いていたのを一緒に見た、思い出の花で、その後、自分の庭にも水無月を植えて、母親を偲んでいたそうです」
モチーフ一つ一つに、思い入れがあったのだと話す、学芸員氏の言葉にも、ずいぶん熱がこもっている。
本当に、堀文子氏が好きで、この展示をしているんだと、ちょっと嬉しくなる。
「堀文子は、春の花が散ってしまうことが悲しいと話していました。
戦時中に、家族が死んだのも春、そのずっと後ですが、夫を亡くしたのも春だったそうです。
それに、秋の花なら、これから冬が来る、花以外も全て眠りにつくのだから、納得もできる。でも、これから夏になって、命に満たされる季節だというのに、その前に散ってしまう花は、本当に哀れだと」
堀文子氏の、植物に対する思い入れというのは、ただ、自分の家族に引き合わせているだけではない。季節の移り変わり、世界の変化にまで及んでいるという事なのかな。

『花野の渦』

「バブルの頃、あまりに浮かれ騒ぐ世相に疲れて、堀文子はイタリアの農村に移りました」
イタリアでも草花のスケッチを精力的に続け、仕上げた作品がこの『花野の渦』ということで、バブルなどとは関係なく、何百年も続けてきた命の営みを見せつけるように、みっしりと草花が萌え盛っている。
展示ケースには、その元になった弟切草やセンノウ、シシウドや松虫草、カラス麦や芥子のスケッチがずらりと並んでいた。

スケッチというと、シャッシャッシャッと、鉛筆なり木炭なりをリズミカルなストロークで振って、短いタッチを重ねて描いていくイメージなんだけれど、堀文子のスケッチは、短いタッチどころか、端もよく分からない。
芥子の茎なんか、根方から花の付け根まで、一つながり。弟切草の、小さな花の一つ一つ全てクッキリと描かれている。そういえば牡丹の葉の複雑な輪郭ですら、グルグルと曲線が繋がっていて、重ね描きされた部分など一つもない。
どうやって描いたんだろう?

スケッチは、見るのが九割、描くのは一割。
画塾だったか、お絵かき教室だったか、何かのテキストで読んだのか。そんなセリフを思い出す。
スケッチやクロッキーというのは、手の訓練ももちろんあるが、本当に大事なのは眼の訓練だと。

なんだか寒気がしてきた。重なり合う葉の輪郭線、交差する茎、粒と数えるような花弁。それが全て、継ぎ目もためらいもなく、一度の筆使いで描かれる。
この一本の線を描くのに、どれだけ見たのか?

そも、堀文子は日本画家であるから、スケッチも鉄線描になるのは、当然と言えば当然なんだけど。
筆塗りで面を重ねていくことで、面と面の境界として線が後から作られていく油彩画とちがい、日本画では、まず細筆の一本の線で輪郭線を引いていく。
この事は、いったい作品に、あるいは作者に、どんな影響をあたえているのか?

色の面で世界をとらえる油彩画では、結局、描かれているのは光だ。印象派に特に顕著だけど、描いている対象じゃなくて、そこに見えている光や空間が、描写の対象だ。
しかし、輪郭をまず描く日本画では、画家がまず見るのは、そこにある対象、そのものではないか。
まず、目の前の存在、そのものを見る。
ひょっとしたら、それが堀文子氏の、画家としての姿勢、というか矜持、なのかもしれない。

そうして創られる作品だからこそ、ともすれば見過ごしてしまうような小さな草花に、圧倒的な存在感があふれているのだろう。

上村松園と小倉遊亀

参考作品として、上村松園と小倉遊亀の作品も。

「堀文子の展覧会なのに、なぜ他の作家の作品があるのかと、不思議に思われるかもしれません」

上村松園は、女性の日本画家としてパイオニア的な存在で、小倉遊亀は、日本画における静物画を確立した女性画家。

「上村松園は、まだほとんどいなかった女性の作家で、少なからぬ苦労や辛い思いをされてきたのですが、それで委縮することなく、むしろ逆に、陰影の表現や横長の画面など、それまで日本画になかった、様々な新しい要素を開拓していきました。
堀文子も同様に、悩まされることは数多くありましたが、新しい事に挑戦し続けることで、それを克服していきました。
小倉遊亀の静物画は、器と植物が対話しているような、暖かな空気に満ちています。静物に豊かな情感を込めることは、堀文子も生涯追求したものでした」

上村松園や小倉遊亀は、堀文子と並ぶ、この美術館の収蔵品でも目玉のコレクション。目当てに来る人も多いのだろう。そういった常連にも気を配りつつ、堀文子についての理解も深められる、工夫された展示というわけ。

美術館好きとしては、こういった、学芸員の技有りな展示構成と言う奴は、画集などでは味わえないモノなので、嬉しくなってしまうのでした。

食材

堀文子氏の仕事は多岐にわたり、NHK『きょうの料理』の表紙絵も担当されていたとのこと。それもあって、トウモロコシ、筍、茗荷、慈姑、コゴミにウドと、色々な野菜や山菜のスケッチがごっそりと。
草花を描くように食材を描くので、見慣れているはずの野菜がやたらと美しく、というか可愛らしく見える。
コロコロと並んだ空豆の黒い筋が、まるで笑っているようで、画面からクスクスという声が聞こえてくるような気がしたり。
他にも栗や胡桃、椎茸など、小さく丸いものが集っているスケッチがいくつもあって、確かにその食材を正確に、細かく描いているのに、今思い出しても、それは仔犬か童か、何か小さな生物が集い囀っている絵だったような、そんな気がしてならない。

トウモロコシや筍みたいに、ドンと大ぶりな食材も、手触りや匂いが伝わってくるような描きこみ。
「堀文子は、台所に立っても、食材の形の面白さに心を奪われて、途中でも料理そっちのけでスケッチを始めてしまうことも、度々あったそうです」
と、学芸員氏の解説。
そういえば、カニはあったけど、肉や魚はなかったなあ。やはり生ものは、途中で放りだせなかったせいなのかな。

風景とブルーポピー

堀文子は、先述の、イタリアの農村にアトリエを構えた時以外にも、スケッチのために世界のあちこちに出かけていたという。
アマゾンのジャングルや、ポルトガルの市場、幻のブルーポピーを求めて出かけたヒマラヤの、情景を描いたスケッチ。
ちょっと不思議なのは、草花や食材を描いていた時とは、タッチが変わって、ザクザクとした太くて短いストロークの筆跡が目立つこと。
風景となると、個々の存在を描く静物と違い、モチーフまでの距離や、間の空気など、空間を描く必要が出てくるからだろうか。
とくにヒマラヤの絵は、白黒の単純なスケッチなのに、「あの向こうに別の世界がある」というイメージを刺激してくるような、妙な空気感がありました。

「ブルーポピーは、ヒマラヤの非常に標高が高い地域に咲いているため、幻の花と呼ばれていました。
展示作品はリトグラフで、がっかりされた方もいらっしゃるかと思います。
しかし、堀文子がブルーポピーの作品を創るために、実際にヒマラヤに登り、現地で野生のブルーポピーを写生したスケッチは、本物です。
当時もう八十歳を過ぎていましたが、幻の花を描きたい一心で、五千メートルの山に登って描いたものです」

そのブルーポピーのスケッチは、確かに圧巻で、ただ一枚のスケッチなのに、作品としての存在感が明確にありました。
彩色されており、あちこちに、色や質感についてのメモが描きこまれておりました。
メモは、他のスケッチにもありました。覚書のようで、後々日本画の作品を創る際の手がかりだったのでしょう。

ただ、ブルーポピーのスケッチへの書き込みは、メモ書きにとどまらず、ようやく相まみえることができた、幻の花への想いが、あふれ出しているかのように見えました。

人物

人物スケッチは数えるほどしかありませんでしたが、どれも印象深いものでした。
ネパールの少女のスケッチ。彼女は特別に選ばれた少女で、クマリと呼ばれ、神聖な存在として扱われるのだそう。
ポルトガルのパン屋のおかみさん、アンナさんは、恰幅がよくて、その姿を見るだけで、市場のにぎやかなざわめきが聞こえてきそう。
メキシコ、チアバスの老女は、そのとてつもない存在感が、珍しく濃い筆跡からも伝わってきます。その老女の姿が、どれほど心に残ったのか、それを主題に、堀文子は、赤い砂漠の土のような色の作品を創りました。

そして、黒柳徹子さんの肖像。かの『アフガンの王女』とは全く違う構図で、たぶんかの作品には別にスケッチがあるのでしょう。
しかし、ここで展示されていたスケッチはもっと最近で、『アフガンの王女』の三年後に描かれたものでした。
ざっくりとした大きな衣装にくるまって座り、頬杖をつくような姿勢で、少しこちらを見上げるように見つめる姿。
その眼がすごい。力のこもった眼、というわけでもないのだけれど、深くて、取り込まれそうな黒。
顔つきも不思議で、描かれた時は七十代半ばのはずですが、ともすれば少女かと見まがうよう。

なんとも謎めいたスケッチでした。学芸員氏に質問するべきだったかな。しかし、謎めきすぎて何を訊けばいいかすらサッパリわからない。

学芸員氏のギャラリートークが素敵でした

今回は収蔵品での企画展示、名都美術館の堀文子コレクションによるものということで、解説の学芸員氏の思い入れもハンパなかったです。
本当に、堀文子氏の作品と人物を、深く愛しているんだなあと、言葉の端々、声の抑揚から、とめどなく伝わってくるのでした。
やはり誰であれ何であれ、自分の好きなモノについて語っている様子は、魅力的なものです。

願わくば、美術館がどれだけ好きかを語っている、私のこの文章も、魅力的でありますように。

また美術や読書について、自分の好きを語りたいと思います。更新した際には、Twitterにてお知らせいたしますので、よろしければフォロー等お願いいたします。


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