『はじめての』水鈴社(アンソロジー)


『はじめての』 読了。
予備知識なしで読み始めて、ずいぶん若いヒト向けだな、えっコレSFなの、とか色々驚いたんだけど、全部読み終わった後で、書き下ろし小説にYOASOBI楽曲を当てる、というコラボ企画だったと知って納得。
YOASOBIのPV視聴。四本ともストーリーを追った形なので、見る前に読んだ方がいいかな。ああ、ココこういう風にヴィジュアル化したのか! と気持ちよかったです。

『私だけの所有者』島本理生

「初めて人を好きになったときに読む物語」というけれど、いいのかしら。
SFで設定がいささか入り組んでるし、エグい描写もチラホラあるし、そも悲劇だし、主人公は救われないし。
いや、救われているのかな? たとえ報われることがなくても、その気持ちを理解することや受け入れることができなくても、どれほど悲しい結末になったとしても、人を好きになったという事は、ただそれだけで永遠にその人を支えるんだと。
そう思ってPVを見返して、改めて『ミスター』というタイトルを読み、はたと気づくのは、「初めて人を好きになった時」というのは、あくまで「好き」であって、特に限定していない。恋愛でもいいし、家族愛でも、それこそ推しへの愛でもいい。
好きと言える相手に出会えた、それだけで幸せなんだと。
それでも、「はじめて人を好きになった」人に向けて、「報われなくてもいいんだよ」というのは、そりゃそうかもしれんけど、いささか厳しくないかしら。

『ユーレイ』辻村深月。

小学校高学年だっけ、自分も家出騒動はやらかしました。自転車だったな。
一号線をドンドン走れば東京まで行けるかな、なんて思ってたけれど、迷子になって疲れ果てて、怖くなってヘタレてシオシオのパーで帰りました。
けっこうコンプレックスだったんだけど、その後、家出ネタは定番と知って、みんなやってんのかと安心しました。
「はじめて家出をしたときに読む物語」というけれど、この本を読んでいる時点で、帰宅していないかしら? はじめての家出なんて、失敗するに決まってる。だけど、失敗してもいいんですよね。そこから何を拾うかということ。
定番ネタだからこそ、細かい描写を丁寧に、しかし冗長にならないように、積み重ねないとダメ。このヒト上手いです。何より、自分が描いてるキャラクターを、ホントに愛してるなあっていうのが伝わってくる。読む側も、幸せになって欲しいという気持ちが湧いてくる。
家出に失敗した人に、広い世界への希望と勇気を与えるような、素敵な読書体験でした。

『色違いのトランプ』宮部みゆき。

「はじめて容疑者になったときに読む物語」ということですが、その予定はありません。
多重世界で、政治まで絡めた重厚な設定のSFなのに、すんなり入り込めてしまうのは、さすがの手腕。最後、より自分らしく生きるために、産み育てた両親から離れて、生まれ育った世界とは別の世界を選ぶというのは、ハッピーエンドと言っていいのかどうか、ちょっと迷うのですけれど。
ただこれは、異世界転移のジャンルでは共通の課題なのかしら。
で、YOASOBIの『セブンティーン』のPVを見て、ああなるほどコレはハッピーエンドだ、と理解。まだ生きてきた世界にしがらみがない世代にとっては、世界は自己実現のための舞台だ。特にこの物語の中では、複数の世界が既に干渉しあっていて、異世界ではあっても隣国のようになっているし、そも、現在の現実の世界だって、生きる環境が違えば異世界同然に隔絶していたりする。
ともすれば、異世界モノの流行というのは、格差だ断絶だと喧しいこの時代に、いや世界が違っても自分らしく生きることはできるんだと、そういう意識の表れなのかもしれない。
それはそうと宮部みゆき氏は、私なんかよりよっぽど現実の世界で活躍しているのに、別の世界にも行けるんだという若い世代の気持ちに応えられるというのは、やはり流石というか恐ろしいというか。 

『ヒカリノタネ』森絵都。

「はじめて告白したときに読む物語」まさにその通りで、書名『はじめての』のトリを飾るにふさわしい一遍。こういうのもタイトル回収というのかしら。
タイムリープネタなので、『時をかける少女(細田守版)』みたいな雰囲気も。ループ物のひとつの典型的なパターンのひとつ、時間をさかのぼってどんなにアレコレやっても、結局すべで元の木阿弥、というアレなのだけど、まさに、それをさらに掘り下げたような話になっています。
今まで、何度も同じことをくりかえしてきた、と思っていたけれど、そうじゃない。同じ事なんて一つもなくて、全てが初めてのことだったんだ、とでも言うか。前に進んでいないと思っていても、実は変化しているんだ、はじめてのという事は、それを経て自分が変化したという事なんだ、と言えばいいのか。
「はじめての」って何だろう、という所に至る。
ここで思い当たるのは、今まで各話に「はじめて〇〇したときに読む物語」とつけられていたキャプション、これが全て過去形であるということ。
何かをしても、それで自分が変化しないのなら、それは「はじめて〇〇した」とは言えないということ。誰かを好きになったり、家出したり、告白したり、それをした以上、変わっていかなければならない。行動した者に対する、そんなメッセージが込められた一冊だったのかもしれません。
初めて容疑者になった時のことは、さておくことにします。

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