篠田桃紅『107年のキセキ』(その3)

前回からの続き。


一通り、古川美術館の展示を見終わったので、別館の爲三郎記念館に異動。

記念館入り口。

爲三郎記念館

古川美術館創設者、古川爲三郎氏の私邸。
没後、市民の憩いの場にという遺志により、数寄屋造りの邸宅や、その庭園が公開されている、とのこと。

数寄屋de dcafe

日本庭園を眺めながらお抹茶をいただく。

数寄屋造りの母屋には、数寄屋de dcafeと銘して喫茶の提供も。季節折々の和菓子に、器も作家モノです。今回、私が出していただいた抹茶椀は、漆芸家、浅井啓介氏の作でした。

手に取れば、陶よりもはるかに軽く、唇に当たる感触もコロコロして、触れてるや否やと疑わんばかりのさりげなさ。
すするように息をすれば、スゥと香りが喉に滑り込みます。
涼しさを呑むような気分に、目に映る、湿り気の強い庭の緑もまた、涼しげに見えてくるからアラ不思議。
それが器の力というものか。

日本庭園をめぐる

庭を通り抜ける。

庭は、住宅街の中だし、実際の広さはそれほどでもないはずなんだけど、クルクルとどこまでも通り抜けられるような造りになっていて、いつまでも散策していられる。

茶室「知足庵」

庭の中にお茶室もポンと。
覗き込むと、お茶室の床の茶掛けも、篠田桃紅リトグラフ『Yuki』。書いてある字が雪って、なかなか読めませんでしたが、梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後、暗い茶室を覗き込めば、確かに涼を感じるのでした。

木陰から母屋を振り返る。

高低差のある土地で、庭園も邸宅もそれを生かした造り。
門から横切る流れが、母屋と茶室の間に横たわっていて、渡り廊下でつながった離れは、二層になっている。

渡り廊下をくぐった向こうには、小さな中庭がありました。

木々も建物も、風が通り抜けるような配置。敷かれた石をたどって歩けば、おのずから風を追うような心持ち。

一通り廻って母屋に戻る。

なんとなく雲が厚くなってきた。ポツリと雨粒らしき感触。
湿気を吸って、濡れたように光る葉を見ながら母屋に帰る。

篠田桃紅リトグラフ展示

母屋では、篠田桃紅リトグラフの展示がされていました。
その数、三十点あまり。

雲あり木陰ありとはいえ、七月の明るい午後のせいか、しっかりと手入れをされた、古い上質な和式建築の、特有の飴色の木肌が、妙に黒々と見えて、砂磨りの白い壁もまぶしくて。
そこに、すらすらと綴られた文字のように、並び掛けられたリトグラフの白と黒は、ますます映える。
語る人の顔ほど、あるいは手ぶりほどの大きさなのが、ますます、その一つ一つが言葉のようで。
作品によっては、手彩色が施されていたり、箔や朱や胡粉が入っていたり。
それが、句読点のように流れを作っている。

美術館の展示では、知らず知らずのうちに、作品に意識が集中していくように感じましたが、和室にさりげなく並べられていると、そういった感触はない。
室内に調和しているというか、溶け込んでいるようで。
最初から、調度の一部としてそこにあったかのように。
庭の緑が覗く窓とは別の、異世界が見える窓が、ポカリと開いているような。
いや、風景というには観念的すぎるかな。
昔、誰かがふとつぶやいた声が、そこに残っていたけれど、いつのまにやらかすれてしまい、明確には判別できないが、なんとなく言おうとしている事はわかる。
そんな雰囲気。

やはり、篠田桃紅氏の作品は、書なのでしょう。
崩し字というのか、独特の書体で、読めないけれど、文字であることは、なぜか伝わってきて、気が付けば意味を想像している。
言葉でなければ、文字でなければ、書でなければ、こんな気分にはならないと思う。

画廊のスタッフの方にお話を伺う。

何かの声に振り返ると、傍らの人に問われるままに、書かれた文字を読み解いている人がいた。
しばらく聞き耳を立てていると、どうも玄人っぽい。
美術館の学芸員解説みたいな雰囲気だけど、アカデミズムっぽさがなくて、好きなものを語るファンの口調に近い。

ちょうど、そこには『Journey』と題されたリトグラフが展示されていた。
「書かれている文字は、『華』『月』と、何でしょう? 『遊』か『族』のように見えますが」
「これはタイトル通り、『旅』じゃないでしょうか。字体がが少し違いますね」
そんな会話を聴いているうちに、自分も語りたくなって、話しかけてみた。
「私にはこの『旅』の字、旅人のシルエットに見えます」
そのまま、自己流の解釈を開陳する。
「中央の胡粉の流れの中に書かれた『月』の字は、川の流れの中に映った月影のようです。
反対側の薄墨の中に『華』の字が、本当に川岸にスッと立っている花みたいなので、
全体は、月影の映る川岸に立った旅人が、対岸の花を見つめている、まるで一幅の絵ですね」
話し終えてちょっと恥ずかしくなったけれど、その方は感心したように聞いてくれました。

その方はネームプレートをつけていて、そこには
「有限会社ザ・トールマン コレクション」の文字。
お話を伺うと、今回、展覧会の監修と作品提供に当たった、画廊の方とのこと。

実際に、篠田桃紅先生とも長くお付き合いをされていたそうで。
「篠田先生は、川の字について『線が三本だけなんてつまらない、もっと書きたい』などとおっしゃっていましたね」
等々、まるで尊敬する恩師のように、その想い出をいくつか話してくださいました。
「川の字を、もっとたくさんの線で書きたいとか、篠田桃紅氏は、まるで、文字を生み出した人々のような想いを持っていたんですね」
という私が応えると、
「まさに、そのとおりです」
と大きくうなづかれました。

他にもお話はしてくださったけれど、私は実際に篠田桃紅氏の作品に触れたのは、今回が初めてで、知識もなかったので、ちゃんと理解できなかったのが、どうにも悔しかった。

とはいえ、今回の経験で、篠田桃紅作品への入門は叶ったかと。
幸いなことに、頑張れば通える場所に、岐阜現代美術館がありますから、これから篠田桃紅作品について、どんどん勉強していこうと決心した一日でした。

今後の目標ができました。

篠田桃紅作品について、次は岐阜現代美術館での観覧後に、また書こうと思います。

その後、NHKEテレで、篠田桃紅氏が作品について話したり、作成している姿の映像を見ました。
和装は地味な色合いながら、生地と仕立ての良さが画面越しにも伝わってくる質感で、背筋の伸びた姿はまさに「凛とした」という言葉そのままで、墨をするのも筆を走らせるのも、茶道か生け花のような切れのある動作、全くぶれない立ち居振る舞い。
アトリエの整理整頓された棚も、磨かれた棚や机、手入れの行き届いた道具類も、作品と同じくらいに美しくて。
篠田桃紅氏という人物と作品を、より深く学び味わえば、自分の人生が豊かになる事は間違いないと確信しました。

古川美術館や為三郎記念館についても、また別の展覧会があった時に、もっと詳しくご紹介したいと思います。
とても素敵な建築だったので、その際は、施設内撮影可能、ネット投稿OKだといいなあ。

読了ありがとうございました。また展覧会の閲覧報告や、読書の記録なども投稿いたします。投稿時にはTwitterで報告いたしますので、よろしければフォローをお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?