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教育にお金をかけるほど子供は賢くなる?受験産業の闇を解説


今回は曲がりなりにも教育産業で会社を経営している僕が、受験産業の本音に切り込んでみたいと思う。

テーマは
「子供の教育にお金をつぎ込むと、それに比例して子供の偏差値は上がるの?」
である。


一部の教育に熱心なご家庭では、子供の教育に驚くほどのお金をかけている。
何個も塾を掛け持ちさせたり、巷で噂のめちゃくちゃ高額な教材を試してみたり。
本当に教育分野は、お金をかけようと思えばいくらでもかけられる。

試しにメルカリの学習参考書のジャンルで取引された商品を、価格の高い順に並べ替えてみてほしい。
数十万円クラスの目玉が飛び出るほど高額な教材が売買されてるはずだ。
これは子供の偏差値を上げたいがために、それだけ高いお金を出す親達がいるということを証明している。

受験産業の構造

謎の高額教材のハナシはおいておいても、一般的な塾でもやたらとお金を取ろうとしてくる。
実際に塾にお子さんを通わせている方は分かると思う。

基本の月謝数万円に加えて、長期講習費用は10万円を超えることもあるし、各種模試代金は重い負担である。

ウゲ、塾ってこんな金かかんの……?
とゲンナリされるご家庭も多いだろう。

塾側も子供の能力を煽ったりまた逆に不安を煽ったりしながら、うまいこと色々なオプションをつけさせてくる。

そもそも、塾経営にはそれなりに費用がかかっている。

・ネット広告、街の看板、テレビ CM、 電車の中吊り広告などの広告費
・講師やチューター、事務スタッフなどの人件費
・教室を借りている不動産賃貸費用
・教材発行費用

などの諸経費を回収するには、どうやってもお客さん(=保護者)にお金落としてもらう必要がある。そうでないと経営が成り立たない。

しかし、残念ながらたくさんお金を払ったからといって、結果が出る(=子供の偏差値が上がる)とは限らない。


値段が高いほど質が上がるサービスとそうでないサービス

そもそも世の中には、お金を多く払えば払うほどサービスの質が上がる分野と、全くそうでない分野がある。

サービスの質と値段が比例する典型は衣・食・住である。

・3万円で吊るし売りされているペラペラのスーツと、15万円するオーダーメイドのスーツはやはりデザインから質感から全く違う。
・3000円の居酒屋の料理と、1万円のフレンチでは素材が全く違う。
・家賃3万円の部屋と、家賃20万円の部屋も、広さ・新しさ・立地の利便性・住民の質が全く違う。

特に部屋の場合は、家賃が安いからという理由だけで物件を選ぶと後悔することが多い。
壁が薄すぎたりゴキブリが出たり水回りがすぐ傷んだりと、安いのには大抵理由がある。
このように、衣・食・住は、高いお金を払えば、サービスのクオリティが保証される典型例だと思う。

一方で、高いお金を払ったからといってサービスの質が上がるわけではない分野もある。
その典型は医療である。

癌になった時に謎の民間療法に頼り標準治療を拒否した結果、病状を悪化させてしまった著名人の話を時々聞くと思う。
彼らには多くの場合、「高い金を払うと、自分に相応しいプレミアムな医療サービスにアクセスできる」という信仰がある。

しかし、実態は全くの逆。
先人の努力の甲斐あって、少なくとも日本では標準医療こそが最高の医療なのである。
むしろ医療に関しては、ヘタに高い金を払ってプレミアムなサービスを追求することが裏目に出さえする。

教育は中間的な立ち位置

教育に話を戻す。
教育はこの二つの分野の中間的な立ち位置である。
つまり、

教育分野でも高いお金を払えばサービスの質は確かに良くなる傾向にある。しかし、お金を払えば必ずしも結果が出やすくなるわけでもない。

というのが僕の結論だ。

例えば経験豊富で実績もあげている講師を雇用する場合はそれなりに高い人件費を要求される。
塾や家庭教師会社も慈善事業ではないので、そういう講師を雇用する場合、どうしてもお客様から高めのお金をいただく必要がある。

または個別の生徒の状況にフィットしたサービスを提供するためには、教師一人当たりが受けもてる生徒数は2、3人が限界である。
この場合は薄利多売のビジネスモデルがどうしても成り立たない。

塾でなく、学校の場合も話は同様である。
先生の質や、周りの生徒のレベル、教育設備などが整った私立はどうしても学費が高い。

総合すると、教育分野においても、やはり高いお金払えば質の高いサービスを受けやすいという面はある。

一方で、金を払えば必ず結果が出るわけでもないのが難しいところである。

例えば、僕の大学の後輩に時給9000円で個別指導のバイトをしている学生がいた。
彼は高校時代から数学オリンピックで結果を残しており、その実績が買われてのことであった。
とはいえ、僕個人の感想を言えば、別に彼に1時間9000円も払って家庭教師をしてもらう必要は基本的にはない。

なぜなら、講師の学力が高いことと他人に勉強を教えるのが上手いことは必ずしもイコールではないからである。
むしろ講師の学力が高すぎるケースでは、「そもそも勉強自体あまり好きではない」というレベルの生徒とノリが違いすぎてうまくいかないことも多々ある。

また、とにかく塾に課金しまくって多くの講座を取れば良いというものでもない。
僕自身、塾講師として現場で教えていた経験もあるが、塾のかけもちや講座の取りすぎは良い結果にならないことが多い。

というのもそういう生徒は多くの場合、多すぎる塾のコマ数に疲弊しきっていて、授業中にただボサっと座っているだけになっているのである。
あの無気力な生徒の顔は忘れることができない。
(ちなみに生徒がそういう状態でも、保護者には「お子さんは今日も頑張っていました」みたいな報告をする塾も多々ある)

「お金を払う目的」を自覚すべし

結論として子供の教育に投資する時は、「何を目的としてお金を払っているのか」をしっかり認識するべきである。

例えば、「レベルの高い他の子供たちに早い段階から触れさせたい」という目的であれば、学費が高くても私立中学に入れるのは間違っていない。

「とにかく自分で問題を解く時間を確保させたい」と言うのであればマンツーマンの個別指導や家庭教師を付けるのも良い選択だろう。

問題なのは、ただ漠然と塾がすすめる講習を取りまくることである。
これは塾の思う壺で、結果的に生徒も保護者も疲弊してしまうだけである。

教育においては、不要なものは不要だと割り切る姿勢も大切なのである。


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