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自己プロフィールを綴る

はじめまして。Leo(@Jungle__Emperor)と申します。

現在は薬剤師として在宅医療に携わっています。大きな目標だった在宅医療に関わり始めて3か月。スタートラインに立ったばかりで、右も左もわからない日々ですが、首も座っていない今だからこそ、したためようと思いました。

☑在宅医療が目標とは**

大学一年生の頃から、病院薬剤師を目指していましたが、ファーストキャリアは薬局薬剤師にしました。それは、「在宅医療」に関わりたかったから。もう少し詳細にすれば「在宅緩和ケア」や「エンドオブライフケア」に関わりたかったからです。そのため、在宅医療に関わることが一つの目標でした。病院志望から薬局志望への変更に至るまでの出来事はいくつかあり、すべてのマイルストーンが線となって今の自分に繋がっているので、自己紹介を理由につらつらと綴りたいと思います。

☑薬学部を目指したきっかけ

高校時代は理工学部志望でした。太陽光発電に興味があって、
「太陽光発電が当たり前になれば世界のエネルギー問題が解決するじゃん!」
と歓喜していた青い過去があります。今でも興味はありますが、物理は全くの音痴なので、行かなくて本当に良かったと思っています。笑  

そんな中で薬学部を目指したきっかけは、高校2年生のときに見た「尊厳死」のビデオでした。当時高校のテスト勉強がつまらなく
「なんで先生の答えに合わせて答案を埋めなきゃいけないんだ!」
と採点基準が教師ごとに主観的であることに憤りを感じていた自分。
「死に方(生き方)は一人ひとり答えが違っていいんだなぁ」
と尊厳死の個別性に魅了されました。 

「よし!医療系に行こう!」
と決心し、化学が一番好きな科目だったので、一番それっぽい薬学部を志望しました。今から振り返ってみれば、医療者⊃薬剤師というカテゴライズは6年制移行前後の近年の考え方だと思いますし、よく当時そんなに調べもせずに行きついたなあと思ったりします。

☑病院薬剤師への憧れ

大学時代は病院志望でした。母校が臨床薬剤師を推していて、附属病院の薬剤師の講義がすることがあり、病棟業務やプレアボイド報告、PBPMの話など、病院の薬剤師が積極的に患者さんに関与している話を聞き、病院薬剤師ってかっこいいなあと憧れていました。

☑命の狭間に関わりたい

大学で一番面白かった講義はやっぱり医療倫理の講義でした。講義が終わる度に質問にいってましたね。今までの講義とは「正義の論理が異なる分野」なのでとても面白く、毎回わくわくを感じていました。今も将来もずっとこのような視点の仕事をずっとやっていたいなぁと思っています。 

母校では大学4年次にプレ研究室配属があり、そこでは医療倫理の講義を担当していた心理学の研究室に入りました。心理学系だったので、質的研究が主で、そこで治験(医師主導治験)に関わる医療者へのインタビュー調査を担当しました(逐語録作成は本当に大変でした)。 

治験はどうしても標準治療の後の選択肢というニュアンスが強いので、治療をやめて緩和ケアにするか(本来の緩和ケアの方針とは異なる表現ですが、選択する際の視点はこうなってしまいます)、治療を継続して治験にするかの2択に迫られます。その際の患者の苦悩をインタビューした先行研究があり、付随して医療者の苦悩をインタビューして学内で発表させて頂きました。 

命の不安に襲われている患者と向き合う医療者の姿勢には心打たれました。もちろん、インタビューした先生方が素晴らしい方だったという側面は強いと思いますが、覚悟をもって患者さんに向き合う医療者になりたいし、命の狭間で悩んでいる人の力になりたいと決意する経験でした。

☑緩和ケアとの出会い

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前項の経験もあり、治験に関わるか、緩和ケアに関わるかで迷っていました。治験に関わるとなると、自分の立場では、患者さんへの関わり方はCRCが主となり、少し事務的要素が増えるなあとも思っていました。 

そんな中での緩和ケアとの出会いは学生時代に参加した、昭和薬科大学で開催された日本社会薬学会第32年会でした。在宅緩和ケアのシンポジウムを聴講し、国立長寿医療センターでの取り組みが紹介されていました。
本人も家族も家に帰って最期を迎えたい。でも、残り何日かの命を受け持ってくれる医療体制が地域にない。そのため、病院のスタッフが在宅に行って、何とか最期まで乗り切った経験のお話でした。このシンポジウムには現代の多くの課題が象徴されていたわけですが、当時そんなことはつゆ知らず、 

「全力で患者さんを支える医療者かっこいい!こんな風になりたい!」

と感化されて、緩和ケアを志す大きなきっかけとなりました。
当時は病院薬剤師の憧れていたこともあり、病院薬剤師として、緩和ケア病棟で働くことを夢見ていました。現在、在宅緩和ケアに貢献している先輩方も多くは病院経験があります。先輩に相談した際も、ファーストキャリアでは病院を勧められました。在宅緩和ケアでは在宅輸液療法などが必要なこともあり、無菌調剤の技術が求められます。今でも、将来的に在宅に興味のある人が、ファーストキャリアに病院を選択することは自分は賛成します。

☑介護士として働いてみて

学生時代に特別養護老人ホームの介護士として働いていました。介護士として働こうと思ったきっかけは、 

「おむつ交換もできない薬剤師になりたくない!」 

といった理由でした。自分が薬剤師となってしまったら、きっと介護士として働くことはないだろう。次に介護する立場となるのは、親近者の介護。薬のことはわかるけど、介護のことはわからない。そんな医療者にはなりたくない。そう思って働くことにしました。 

リネンの交換、排泄介助、体位変換、食事介助、覚えることはたくさんありました。夜勤スタッフだったので、入浴介助を行うタイミングはなかったのですが、一通りの所作はできるようになりました。はじめはどのように接すればよいか、どのように体を動かせばよいか何もわからなかったですが、本人の持っている力を上手く使って、介助者側の負担にならないように介助することはとても重要だと体感しました。 

☑母の看取りを通して

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自分は母子家庭で育ちましたが、一昨年に母を看取りました。ステージⅣの胆管内肝臓がんだとわかってから3か月ちょっとの短い療養生活でした。すべてを投げ出して、真摯に付き添った3か月ちょっと。介護士の経験もあったので、介護は全部自分でできました。親孝行と思ってやったことも、3か月前まで普通に働いて、普通に生活を送っていた人にとっては本当に良かったのかわかりません。プライドを傷つけてしまったのではないか。そう反省するときもあります。本人の意思で最期は病院。と言われていたので、結局亡くなる当日の朝まで家にいました。最後は病院で、母が姉のように慕っていた友人が傍にいるときに旅立ちました。 

この話を綴ると長くなってしまうのと、やっぱりまだ少し書き始めると手が震えるので、詳細はまた後日にしますが、この経験が自分のファーストキャリアの方向転換のきっかけとなりました。 

当時は日本一在宅緩和ケアに詳しい薬学生だと自負していましたが、そんなことはただの思い上がりで、実際に目の前にしてみれば、衝撃と恐怖に飲み込まれていました。

「看取るということは、ある程度医療というものがわかっている自分でも、こんなにも大変なのか」
「最終的に在宅をやりたいと思っているならば、遠回りせずに、一番最初から一番やりたいことをやろう!」 

そう思って、在宅緩和ケアができる薬局薬剤師をファーストキャリアにしました。正しい選択だったかは今の自分には答えられませんが、今は日々奮闘するばかりです。

☑おわりに

こんな取り留めのない長文を最期まで読んで下さり、本当にありがとうございます。 

上記のような背景がありますが、今ようやく、薬剤師として在宅医療に関わり始めましたばかりです。毎日知識も実力もない自分に落ち込み、自己肯定感がなくなる日々もあります。それでも、少しでも早く、看取りという人生最後の大仕事の力になれるように、研鑽を積んでいます。まだまだ先は長いですが、患者さんのために、自分の志を絶やさずに、薬剤師哲学を磨きながら、健康な生活の確保に貢献したいと思います。 

質問等があれば、コメントでも、Twitterにリプライでもしていただければ返信させて頂きますので、お気軽にしてください。 

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