![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89646906/rectangle_large_type_2_bd2f9184d8f32c3720cd50114afd5002.jpg?width=800)
なぜ人は、自然に惹かれるのか。
こないだ久々に、
秋の森を歩いていて思ったこと。
僕は小さい頃から自然に触れてきたけど、そもそも触れる前から自然に帰りたかったような感じがする。物心がつく前から、そんな気持ちが根底にあったのだ。
小さな頃、車から見えた田園風景をみて、「田んぼ!田んぼ!」を連呼し、うるさいと親に殴られ怒られたくらいに、謎の自然への執着があった。(田んぼは里山であり、二次的な自然だけど)
何が僕をそうさせたのかは、全くわからない。
もしも「生まれ変わり」というものがこの世にあるのなら、僕は農家の生まれなのかも。
僕はなぜ、自然に帰りたかったのだろう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89648097/picture_pc_047228ce7a87568de65835298c05e82a.png?width=800)
先日、こんな光景をみた。メノコツチハンミョウのオスとメスが向かい合って、何かを話しているかのようなシーンだ。
この後オスは振られていたけど、こんな日常が、北海道の森のありとあらゆる場所で起こっているのだと思うと、それだけで幸せな気分だ。
実家の隣に流れている川では、サケが遡上を始めていた。オスメスがペアで泳いでいるだけで、尊いのだ。
数がピークを越したある時を境に、少し下流の淀みに「ほっちゃれ」が沈むようになった。
「ほっちゃれ」とは、北海道のことばで、
鮭の死体を指す。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/91562738/picture_pc_a01945538444b63a5d34bd01c616cd86.png?width=800)
北海道弁だ。今の人は使わないので、もっともっとサケがどこにでもいた頃の言葉だと思う。
There are places I remember
これからもずっと忘れられない場所がある
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89646505/picture_pc_a15dd3f1608255288e02d8148a1d1356.png?width=800)
All my life though some have changed
変わっていった場所
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89646546/picture_pc_db26780b057e7529f517ba987fe3088f.png?width=800)
Some forever not for better
良くも悪くも変わらない場所
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89646589/picture_pc_a0693f0a0b498b8d63ee4b114eb6cae6.png?width=800)
Some have gone and some remain
無くなったところや残っているところ
そういえばそんな冒頭がビートルズの曲、
『In My Life』にあった。
(この曲はラヴソングだけど)
故郷。
僕にとって自然は、帰る場所だ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89989433/picture_pc_b736a365ee6c7bc2ef0418a37aedfcf2.png?width=800)
網で水生昆虫を観察している。ここは「ゲンゴロウ」が沢山いる美しい池だった。僕はこの池を「ゲンゴロウ池」と名付け親しんだ。
僕はまだ25年しか生きていないけど、
少しずつ変わらない場所、変わった場所を感じるようになった。
「いや、変わる事は悪い事ではない。また新しいものが生まれる前提にある場合は。新しい自然が育まれるのには、とても時間がかかるから、ちょっと悲しいだけ…」
昔は悲しかったけど、
今はある程度そうやって理解している。
というのも今の時代は少し特別だ。
周りに同じような自然が沢山あればいいけど、今のご時世そんな余裕のある自然なんて、どこにも残っていない。
「かけがえのない自然」という場所が、どんどん消えてゆく。
人の手によって変化する自然は虚しい。
自然のサイクルで''移り変わる''自然を見ていると、尚更そう思うのだ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89998973/picture_pc_8dc036ab497df5f198435e197e455d12.png?width=800)
思えば、自然写真家は、
「自然、動物に求められて」なる存在じゃない。
自然を観て幸せを感じる人間がいるから、
成り立つ仕事だ。
カメラマンは被写体に「撮って」とお願いされて撮るのが大抵のお仕事。だけど僕は何も語らぬ自然を心から撮りたいと思い、届けたいと思い、今日もこうして撮っている。
自然は、何も言わない。
だから僕が守らないと。
そう思うのは、僕がヒーロー映画を観過ぎているからだろうか?
そんな事はないと思う。
きっと、
みんなの心の中にも、
宿っているはずである。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89989385/picture_pc_91998401fcad4ec563b1b85a6730b556.png?width=800)
大切なのは必ずしも、
目の前にある自然ではない。
消えゆく森、湿原。
どれも実感するには勇気がいる。
だからせめて僕の撮った写真を観て、
何か感じたときは、
「自然を守りたい。」
そう強く願ってほしい。
その願いを増幅させるのも、僕の仕事のうち。
それこそが、僕が一番やらなければいけない思想の根幹だと思っている。
人はなぜ、自然に惹かれるのだろう?
僕はただシンプルに、
「人が動物だからだ」と答えたい。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89989778/picture_pc_0c0806f3f35d6715fcd02b37d53a62cf.png?width=800)
訊かれたら、
一言。
そう答えることにしている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?