サヨナラ30代② 私はパワハラで仕事を辞めたのか?
昨日、母と話していたら
こんな会話になりました
母「この前、同窓会で◯◯さんに会ったのよ。」
※◯◯さんは、母と同い年。元高校教員で定年退職なさっている。直接の知り合いではないけれど私のことを知っている。
母「その◯◯さんが、『娘さんお元気ですか』って聞いてきたからさ、『かくかくしかじかで、教師の仕事はやめて今はこんなことしてます』って伝えたんよ。そしたらえらいびっくりしてて。『パワハラです』って言うたら『あーそれは気の毒に』って言うてはったわ。」
私「‥‥?」
ちょっとひっかかることがあったのですが、説明がめんどくさいので
私「そっかー気にかけてくれてありがたいね。」
と、会話はそこで終わらせました。
*
あれ?わたし、
パワハラで教師の仕事辞めたんやっけ?
わたしは気の毒なんか?
ちがう。私はわたしの人生の主導権を取り返すために仕事をやめたんや。
*
以前、夫にもこう言われたことがあります
「アイツ(パワハラ校長)さえいなければ、
辞めなくて済んだのに。腹が立つ。」
私は夫にこう言いました。
「ちゃうで。多分、あの校長がいなくても、
私には似たようなことが起こっとったわ。
ほんで、結局辞めてたと思う。
私、今幸せやねん。
好きなことして、楽しいねん。
神様はな、私にわかってほしいことが
あったんやで。」
*
ちょうど、副腎疲労になり始めたころ
私はよく職場で「板挟み」になっていました。
気の強い先輩二人の板挟み
パワー系学年主任と他部署の板挟み
ワガママな時間講師と教務部の板挟み
パワハラ校長と、業者の板挟み
どっちの言っていることもわかるし、
どっちも悪い人じゃないし、
怒らせたくないし、
なんとか丸く収めたい。
でも全くうまくいかない。
両者の要求は大きくなる。
事態は悪化するばかり。
私はますます苦しくなる。
でも何でいつも私は「板挟み」になるんや?
すっぽり、きちっと、みんな私を間に挟む。
すっかり身体がぼろぼろになって
うつの診断を受けた私は
職員室の奥の印刷室で
プリントが出来上がるのを待ちながら
目に涙をためて
「私が今死んだら、『あ・・・しまった・・・』と
思う人ばっかりやろな。
みんなほんま、好き勝手やな」
と思っていました。
今思えば、
自分がそれを望んでいた
のです。
そういう世界を自分で作っていた
のです。
*
え?
そんな自虐ならんでいいで?と
思われるかもしれませんが
これは、私の人生を180度好転させる気付きでした
30代で得た大きな教訓の一つです。
【自分の周りで、繰り返し起こる同じパターンのネガティブな出来事は、あなたに変化を促している。あなたが気づくまで、神様は同じパターンを仕掛けてくる。同じことが起こり続ける。それをあなたが望んでいるから。】
私に繰り返し起こったことの特徴&キーワードは
✔ 板挟み
✔ パワー系の人が関与
✔ 自分が何とかしなきゃ
そして
✔ みんな私の苦しさをわかってない
でした。
私の潜在意識の最終目的は
「みんな私の苦しさをわかっていない」
これを感じたかったのです。
これを言わないと、私の中の「何か」が
保てなかったのです。
それを言うために、
登場人物をキャストして、
そういう事実を演出していたのです。
それに気が付いた私は
そこから抜け出すと決めました
そして、そこから抜け出す手段は
「教師を辞める」
しかなかったのです。
(今思えば他にもあったかもしれません)
*
厳密には、当時はここまではっきり
意図できていませんでした。
自分の問題について
言語化もできていませんでした。
でも「このままじゃいけない」という
自分の中の、奥底の、
「あんた、そんなんちゃうやろー!
こっから出してくれー!!」という
本当の私が起こした
世紀の大謀反だったのだと思います
きっと、「教師を辞める」という
わかりやすいアクションで
とにかく自分じゃない自分と
サヨナラしたかったのだと思います
*
そしてどうなったか?
教師を辞めたあとまだしばらく
私は「板挟み」を味わっていました。
変わるはずだったのに、
まだ同じことが起こります。
なぜか?
答えは簡単です。
まだちゃんとわかっていなかったから。
*やりたくないことは、「やりません」と言わなければならないこと
*自分を消耗する人とは付き合わない選択をする勇気を持つこと
*人に媚びなくても自分に価値があることを学ぶこと
*「かわいそうな自分」じゃなくてもちゃんと自分を認めること
*人に好かれることより、自分を愛することを学ぶこと
まずこれを自分の課題として認識し
そして行動することを
少しずつ覚えていきました
自分を消耗する人間関係は手放します
人と距離をとる方法を学びます
勇気を出して「NO」を言います
「自分の価値」を再構築します
ある日突然これができるようになったわけでは
ありません
変化はいつもグラデーションです
そもそも、これを
「自分の課題」として認識することが
一番苦しかったです。
当然ですが、自分の周りで起こる出来事を
「自分が望んでいる」なんて
受け入れがたいし、
それでもやはり「そうかもしれない」と
認めるのは、とても苦しかったです。
でもひとたびそれを受け入れたとき
世界は思っていたより
優しくて
広くて
可能性に満ちていて
ワクワクするものとして
初めからそこにあったことに
気が付いたのです
*
30代をあと少し残して
私は、自分の人生を自分の責任において
クリエイトするという
チケットを手に入れています
誰にも、何にも私の人生を左右させない。
もし、誰か周りにいる人や、
環境、健康状態のことで
私が悩んでいたら
それは、そういう世界を見たいから。
そこからの学びを得て
また次のドアを開けるだけ
*
そういう私にも
まだ握りしめているものもありそうです
「副腎疲労の私」です
まだ、体調がぶり返すときがあります。
え?
体調も?
それは不可抗力では?
いいえ。
私が握りしめているものです。
でもこれも、
あと数年以内に
手放せそうです
なぜなら、
内側の私が
手放すことを望んでいるからです
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