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サヨナラ30代② 私はパワハラで仕事を辞めたのか?

昨日、母と話していたら
こんな会話になりました

母「この前、同窓会で◯◯さんに会ったのよ。」

※◯◯さんは、母と同い年。元高校教員で定年退職なさっている。直接の知り合いではないけれど私のことを知っている。

母「その◯◯さんが、『娘さんお元気ですか』って聞いてきたからさ、『かくかくしかじかで、教師の仕事はやめて今はこんなことしてます』って伝えたんよ。そしたらえらいびっくりしてて。『パワハラです』って言うたら『あーそれは気の毒に』って言うてはったわ。」

私「‥‥?」

ちょっとひっかかることがあったのですが、説明がめんどくさいので

私「そっかー気にかけてくれてありがたいね。」

と、会話はそこで終わらせました。

あれ?わたし、
パワハラで教師の仕事辞めたんやっけ?

わたしは気の毒なんか?

ちがう。私はわたしの人生の主導権を取り返すために仕事をやめたんや。

以前、夫にもこう言われたことがあります

「アイツ(パワハラ校長)さえいなければ、
辞めなくて済んだのに。腹が立つ。」

私は夫にこう言いました。

「ちゃうで。多分、あの校長がいなくても、
私には似たようなことが起こっとったわ。
ほんで、結局辞めてたと思う。

私、今幸せやねん。
好きなことして、楽しいねん。
神様はな、私にわかってほしいことが
あったんやで。」

ちょうど、副腎疲労になり始めたころ
私はよく職場で「板挟み」になっていました。

気の強い先輩二人の板挟み
パワー系学年主任と他部署の板挟み
ワガママな時間講師と教務部の板挟み
パワハラ校長と、業者の板挟み

どっちの言っていることもわかるし、
どっちも悪い人じゃないし、
怒らせたくないし、
なんとか丸く収めたい。
でも全くうまくいかない。
両者の要求は大きくなる。
事態は悪化するばかり。
私はますます苦しくなる。

でも何でいつも私は「板挟み」になるんや?

すっぽり、きちっと、みんな私を間に挟む。

すっかり身体がぼろぼろになって
うつの診断を受けた私は
職員室の奥の印刷室で
プリントが出来上がるのを待ちながら
目に涙をためて
「私が今死んだら、『あ・・・しまった・・・』と
思う人ばっかりやろな。
みんなほんま、好き勝手やな」
と思っていました。

今思えば、
自分がそれを望んでいた
のです。
そういう世界を自分で作っていた
のです。

え?

そんな自虐ならんでいいで?と

思われるかもしれませんが
これは、私の人生を180度好転させる気付きでした

30代で得た大きな教訓の一つです。

【自分の周りで、繰り返し起こる同じパターンのネガティブな出来事は、あなたに変化を促している。あなたが気づくまで、神様は同じパターンを仕掛けてくる。同じことが起こり続ける。それをあなたが望んでいるから。】

私に繰り返し起こったことの特徴&キーワードは
✔ 板挟み
✔ パワー系の人が関与
✔ 自分が何とかしなきゃ
そして
✔ みんな私の苦しさをわかってない

でした。

私の潜在意識の最終目的は
「みんな私の苦しさをわかっていない」
これを感じたかったのです。
これを言わないと、私の中の「何か」が
保てなかったのです。

それを言うために、
登場人物をキャストして、
そういう事実を演出していたのです。

それに気が付いた私は
そこから抜け出すと決めました

そして、そこから抜け出す手段は
「教師を辞める」
しかなかったのです。
(今思えば他にもあったかもしれません)

厳密には、当時はここまではっきり
意図できていませんでした。

自分の問題について
言語化もできていませんでした。

でも「このままじゃいけない」という
自分の中の、奥底の、
「あんた、そんなんちゃうやろー!
こっから出してくれー!!」という
本当の私が起こした
世紀の大謀反だったのだと思います

きっと、「教師を辞める」という
わかりやすいアクションで
とにかく自分じゃない自分と
サヨナラしたかったのだと思います

そしてどうなったか?

教師を辞めたあとまだしばらく
私は「板挟み」を味わっていました。

変わるはずだったのに、
まだ同じことが起こります。

なぜか?

答えは簡単です。
まだちゃんとわかっていなかったから。

*やりたくないことは、「やりません」と言わなければならないこと
*自分を消耗する人とは付き合わない選択をする勇気を持つこと
*人に媚びなくても自分に価値があることを学ぶこと
*「かわいそうな自分」じゃなくてもちゃんと自分を認めること
*人に好かれることより、自分を愛することを学ぶこと

まずこれを自分の課題として認識し
そして行動することを
少しずつ覚えていきました

自分を消耗する人間関係は手放します
人と距離をとる方法を学びます
勇気を出して「NO」を言います
「自分の価値」を再構築します

ある日突然これができるようになったわけでは
ありません

変化はいつもグラデーションです

そもそも、これを
「自分の課題」として認識することが
一番苦しかったです。

当然ですが、自分の周りで起こる出来事を
「自分が望んでいる」なんて
受け入れがたいし、
それでもやはり「そうかもしれない」と
認めるのは、とても苦しかったです。

でもひとたびそれを受け入れたとき
世界は思っていたより
優しくて
広くて
可能性に満ちていて
ワクワクするものとして

初めからそこにあったことに
気が付いたのです

30代をあと少し残して
私は、自分の人生を自分の責任において
クリエイトするという
チケットを手に入れています

誰にも、何にも私の人生を左右させない。

もし、誰か周りにいる人や、
環境、健康状態のことで
私が悩んでいたら
それは、そういう世界を見たいから。
そこからの学びを得て
また次のドアを開けるだけ

そういう私にも
まだ握りしめているものもありそうです
「副腎疲労の私」です

まだ、体調がぶり返すときがあります。

え?
体調も?
それは不可抗力では?

いいえ。

私が握りしめているものです。

でもこれも、
あと数年以内に
手放せそうです

なぜなら、
内側の私が
手放すことを望んでいるからです

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