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特別な人②お隣の国の友達

 2年前のある日、ひょんなことから韓国人の友達が出来た。手打ち蕎麦が食べられる小さな居酒屋に、お酒好きの知り合いと行って偶然出会った。彼女は近くの国立大学へ留学生として4ヶ月間滞在している間に、この店の常連となっていたのだった。お酒は嗜む程度だったが、日本の手打ち蕎麦と、この店のもてなしと、集まる人々が気に入ったようだった。二十歳そこそこの異国の友達は、定年退職したばかりの私の人生を大きく変えたのだった。
 冬のソナタ以後、韓国ドラマの視聴は週末の楽しみの一つとなっていた。コロナ禍では愛の不時着にもどっっぷりハマり5回は見た。ある日「これ程韓国ドラマを見ていて、日本語に似ている言葉もたくさん出てくるのに、なぜ字幕を見ないと理解できないのだろうか?」とふと思った。その頃K-POPにも関心を持ち始めていた。韓国人青年の兵役情報や、愛の不時着の影響で二つに分断された国の38度線にも興味が出ていた。

最初の一歩


 韓国語の習得に挑戦してみようと思い、NHK講座のテキストを買って勉強を始めてみた。けれど、発音も文法も予想以上に難しかった。それでも、ハングルは表音文字なので、慣れると少し読めるようになり、読めると単語の意味を調べてみようと思うようになり、スマホの言語設定にハングルを追加してみることにした。それから少しして彼女と出会った。まるで神のお導きのような最初の一歩だった。
 彼女との会話は日本語だった。日本に来ているのだから当然かもしれないが、彼女はかなり流暢な日本語を話した。“オー”という発語(日本語で“えーと”にあたる)以外は日本人と変わらない。どんな難解な本でもスラスラ読むし、小さな字で書いた漢字混じりの手紙を何度かもらったこともある。わからない日本語があったらどうするのか聞いてみた。すると、「翻訳アプリを使う。画像をスキャンすればいい。」と教えてくれた。スムーズな意思疎通を優先すると、私のつたない韓国語を口に出すチャンスはほとんどなかった。なので、最初のLINE交換時に思い切ってハングルを入力してみた。「間違えてるけど、とても嬉しい。」と言ってくれた。それからのLINEは、時間があれば翻訳アプリを使いながらハングルで書くことにしてみた。ハングルでの返信は、日本語に翻訳して理解しながらやり取りした。待ち合わせの駅で届いたLINEに「授業が長引いて待ち合わせ時間に遅れる」らしきハングル文字が見えた時はかなり焦ったが、会話はしなくてもハングルに少しづつ慣れていった気がする。
 日本滞在中に、日本のあらゆる事を理解してもらおうと色々な所へ出かけた。皇居、丸の内、築地、銀座などの観光地のほか、国立国会図書館の入館証を作り勉強した。フルーツ狩りや懐石料理や流行のスイーツも食べに行った。けれど、彼女は想像以上に日本の事をよく知っていた。世代の違いかもしれないが、アニメ関連の事など、私が知らない事も多くあり、逆に教えてもらう程だった。ご祝儀袋の熨斗はどういう意味かと聞かれて答えられなかった事もある。彼女のおかげて気づく日本文化があった。
 4ヶ月の留学を終えて帰国する際には、寮の片付けを手伝って成田空港へ見送りに行った。検査場で別れてすぐ「東京ばな奈が買えなかった」と悲しそうな電話があった。大学の親友に東京ばな奈を買ってきてと言われていたらしい。もっと早く言ってくれれば…と別れの切なさが増し、次は私が東京ばな奈を持って韓国へ行くからと心に決めたのだった。

次のステップへ


 東京ばな奈を持って、ソウルでの再会を果たしたのは、出会ってから1年程経った頃だった。それからソウルに魅せられて、数ヶ月に1度は行く程になった。彼女とは大学の休みを中心にLINEでやり取りをして、私が行きたい場所や旅行計画を伝え日程調整をした。最初の訪問時に、滞在するホテルまで来てくれるというのでホテルの入口で待っていたが、5分経っても現れない。電話してすぐ現れたのでどうしたのか聞くと、早めに来てロビーで勉強していたのだという。次の日も観光地を案内してもらって、私が買い物する間はベンチで座っていてと言ったら、壁にもたれて寝ていた。深夜2時頃までレポートを書いていたと言う。韓国の大学生は本当によく勉強するのだと感心したのだった。
 彼女の実家の近くを散歩した際に中学校の横を通った。この中学校は幼なじみは通っていたが、自分は行っていないと言う。「もしかして飛び級?」と冗談混じりに聞くと、そうだと言う。これまでの言動で彼女の頭の良さを感じてはいたが、幼少期から神童だったようだ。韓国の教育事情はドラマで見る範囲でしか知らないが、優秀な人材を奨励する風潮を羨ましく思った。
 昼食を共にして私が食べきれず、「韓国の食事は日本に比べて量が多いね。」と言うと、「日本で留学していた4ヶ月間は、3食ちゃんと食べてもいつもお腹がすいていた。」と照れ笑いした。身長は170センチ以上あるし、アスリートのような筋肉質だから日本の食事では不十分だったのだ。同じアジア人種なのに、韓国人は男子も女子も平均身長は日本より高く、街中でも肥満体型の人はあまり見かけない。年齢層が高い人々でも皆スタイルがいい。韓国人の体格は、食事の量と質に秘密があるのかもしれないと、これもまた羨ましく思った。

これからの一歩

 LINEのやり取りは今も続いている。ある時、彼女が台湾を旅行したと報告があり、私が「“日韓併合時代”と同じで台湾も…」という言葉を使った。慎重に言葉を選んだつもりだったが、「そんな言葉は聞いた事がない。“日本による植民地時代“または”日本統治時代“だ。」と訂正された。これにはかなりの衝撃を受けた。正しい歴史を学ぶ機会がなかった事を心底悔やんだ。それからその時代の映画やドラマを漁るように見た。小説も読んだ。その中には、ヤンヨンヒと言う女性映画監督がいた。日本ではどうしても見る事ができなかった映画が1本あるとLINEしたら、ソウルへ行った際に彼女の大学図書館でDVDを見せてくれた。韓国語部分の通訳と説明のおかげで、さまざまな背景を少しだけ理解したような気がした。

 彼女は、医者である父の後を継ぐ事はないと断言し、物理化学の勉強を続けて将来に繋げたいと言う。そのために日本の大学院も視野に入れているようだ。
 私は、近現代史を公平な立場でより広く深く学ぶ努力と、韓国語の独学も続けている。彼女に誇れる歴史観を持ち、どちらの言葉でも自然に会話できるようになる事が目標だ。まだまだ時間がかかるが、継続すればいつかは達成できると言い聞かせている。日本の大学院に合格したという彼女のLINEを待ちながら。
 
 


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