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20. 詩聖カーリダーサ【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭の子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身で武士の子息。アビルーパには友情以上の好意を抱いている。

ダルドゥラカ
パータリプトラ出身の商人家系の子息。諜報活動員として働く肉体派の青年。

New! カーリダーサ ???

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための3本の矢を捜しているアビルーパ、それに協力するヴァサンタとダルドゥラカ。
3人は首都パータリプトラで2本目の矢を得た。
ある日、アビルーパとダルドゥラカは花街へと遊びに行った。しかし2人は翌日も翌々日も花街へ行こうと言い出し、ヴァサンタはその不自然さの裏に事件の存在を疑うのだった。

20. 詩聖カーリダーサ


「な、何言っているの? ダルドゥラカ。昨日も一昨日も行ってきたよね?」
 3日間連続で花街に行くと言い出したダルドゥラカにヴァサンタは困惑の色を隠せなかった。しかもその勧誘の言葉は一言一句違わず、まるで同じ朝を繰り返しているように思えた。
「はぁ? 変なこと言うなよ。昨日は3人で露店街に行ったじゃねぇか」ダルドゥラカはそう返答したが、ヴァサンタの記憶では露店街に行ったのは3日前の出来事だ。
「……ごめん、今日は別行動で!」ヴァサンタはそう告げて、勢いよく部屋を飛び出した。

 寄宿舎を出て、走りながら考える。《何が、いったい何が起きているんだ?》進むたびに小雨が顔を濡らしていった。《雨……そうか雨だ!》ヴァサンタはある事を思い立って、進路を変えた。向かうのは街に接して流れるガンジス川。一昨日もその川縁かわべりに立ったはずだ。
《もし僕の考えが正しければ……》10分ほど走って息が上がり始めたころ、ヴァサンタはガンジス川のほとりに到着した。
「やっぱり」川を見下ろして絶句した。ボートが桟橋の横で揺られていたが、それは2日前に見た光景と全く同じだった。
「あれから水位が上がっていない。丸3日間も雨が降り続いていたのに!」
 時間がループしている。それは間違いなさそうだった。しかしヴァサンタの意識の時間はちゃんと進んでいる。《同じ日を繰り返しているのは、本当にアビルーパたちの方なのだろうか。もしかしたら僕の時間が巻き戻っているのではないか?》ヴァサンタは悩みに悩んだ結果、記憶の中のひとりの男にたどり着いた。《そうだ、彼に会えば分かるに違いない》そして再び市街地へと駆け出していった。

 一昨日、物憂さを晴らすために訪れた中心街の目抜き通り。そこで出会ったのは……
「お兄さん! 吟遊詩人のお兄さん!」ヴァサンタは軒下で雨宿りする男を見つけて声をかけた。吟遊詩人は一瞬驚いたような表情を見せたが、
「おお、少年よ。どうしたのですか、そんなに息を切らして」とヴァサンタを労いながら、友好的に応えた。
「はぁ、はぁ……お、お兄さんと僕って一昨日ここで会ってますよね?」ヴァサンタの詰問するかのような語気に対し、吟遊詩人は終始穏やかな口調で言った。
「ええ、少年。覚えていてくれて光栄です」と、また竪琴の和音を掻き鳴らした。《やはりループしているのはアビルーパとダルドゥラカの方だ》ヴァサンタは確信した。
「ところで今日はわたしの詩を聴きに来てくれたのですか?」
「あ、いや、そうじゃなくて。お兄さん言っていましたよね。〈詩こそ天啓、詩人は……〉その続きって何でしたっけ?」
「〈詩こそ天啓、詩人は人の運命を弄ぶ〉ですね。それがどうかしましたか?」
「……実は、友達がなんか変なんです。街やこの雨も、まるで同じ日を繰り返しているみたいで、何者かに弄ばれているような……」
 ヴァサンタの言葉に吟遊詩人はハッと閃くと、雨雲を見上げて深いため息をついた。
「はぁ、カーリダーサ、またですか……」
「カーリダーサ?」ヴァサンタはその謎の言葉を繰り返した。
「宮廷詩人の名です。私とは、いっとき同僚の関係でした。霊感に満ちた人物で、界隈では詩聖と崇められていました。ただ彼の書く詩は呪術的な力が強すぎて……ある事件をきっかけに今は宮廷に出入り禁止となっています」
「ある事件って?」
「……時間戻しですよ。カーリダーサは悪い大臣に詩の霊力をかけ、彼が不正を働いた日を延々と繰り返したのです。そうして悪事の証拠を掴んで大臣を告発しました。それは王朝にとっては正義の行いに違いなかったのですが……カーリダーサの霊力を恐れた王族たちが後に彼を追い出したのです」
 にわかには信じられない話だったが、ヴァサンタは自分達の身を振り返ってみた。神の化身、大空を翔ける鸚鵡、自分にだって花を咲かせる能力が備わっている。この世界では何が起きてもおかしくないのだ。
「今は表立った詩作は控え、大衆向けの演劇を書いて生計を立てているそうです」
 宮廷を追われた霊的詩人が今は劇作家となって市街に出ている。ヴァサンタは今回の事件にもカーリダーサが関わっている可能性が高いと考えた。
「ねえ、その人の居場所は知らない?」
「ああ、それなら花街通りの高台にある石造の館に行ってみるのが良いかと。今パータリプトラでは遊女劇が流行っていましてね、その遊女館は劇作家らの御用達ですから、彼とも何か縁があるかもしれません」
 彼が言い終わらぬうちにヴァサンタは再び駆け出していたが、そう離れていない場所で振り返って大声で言った。
「ありがとう! 今度こそちゃんとお兄さんの詩を聞きにくるよ」
 吟遊詩人は笑顔でそれに応えた。

 ヴァサンタは遊女館の扉を開け、躊躇なく中へと踏み込んだ。待合室の中ほどまで進んで見回すと、部屋の隅にいる男に気づいた。男の前には何枚もの紙が広げられており、それぞれにびっしりと文字が書き付けられていた。
「ねえ、おじさん。いったい何を書いてるの?」ヴァサンタはこの男こそがカーリダーサだと確信して近寄っていった。状況がそれを教える以上に、男から漂う霊気が白檀香よりもずっと濃く明らかだったからだ。
「気付くのがずいぶん遅かったな。待ちくたびれたぞ……春の神、ヴァサンタ」ほの暗く、すべてを心得たような顔。その口元に笑みが浮かんだ瞬間、ヴァサンタは息を呑んだ。
「カーマに悪戯いたずらするのも飽きてきたところだ。せっかく来てもらったのに悪いが、儂はこれでおいとまするよ」男は立ち上がって卓上の紙を束ね、そのうちの一枚をヴァサンタに差し出してきた。受け取った紙に目を落とすと、案の定そこにはこの一日の台本シナリオが書き記されていた。
〈朝から降りしきる雨……連れに誘われて花街へ向かうカーマの化身……遊女館での女将とのやり取り……呑んだくれて帰る夜〉こんな小さな紙の霊力がループの原因かと思うとヴァサンタはぞっとした。立ち尽くす彼をよそに、男は紙の束を小脇に抱えて館を出て行こうとした。
「待って、カーリーダーサさん。なぜ僕たちの名前を? あなたは一体……」ヴァサンタの言葉が彼の足を止めることはなく、扉の閉じる素気すげない音がした。
 カーリダーサと入れ替わるように、女将が待合室に戻ってきて「コラッ!」と少年を一喝した。
「ここは子どもの来るところじゃないよ。とっとと出てお行き!」
 女将の顔をまともに見ることもなく、ヴァサンタは遊女館を追い出された。外にはもう劇作家の姿は見当たらず、彼は館の前でしばし呆然としていた。そしてふと我に返ると、手渡された台本シナリオの紙を破り捨てた。


── to be continued──

引用・参考文献)
・藤山覚一郎・横地優子訳『遊女の足蹴』春秋社
・岩本裕訳『完訳カーマ・スートラ』平凡社東洋文庫

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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