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原作を忠実に再現した映画 【悪口】

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創作に時間を割けなくなってひと月ほどが経った。noteは、よほどの実力者や人気者でない限り、相互フォロー・相互鑑賞のプラットフォームだと思う。
自分のために使える時間がない中で、他のクリエイターの作品にまで目を通すのは難しいのだが、note神話部の活動はしっかりと続けたいし、毎回リアクションを下さる方の記事にはできる限りアクセスしたい。

note内での立ち振る舞いだけでなく、興味あるコンテンツに触れるのも一苦労である。ひとつの創作の背景には、その何倍ものインプットが必要だ。物語や言葉は、何もせずに降ってくるわけでも湧いてくるわけでもない。啓示となって顕れたものは、蓄積のほんの一部なのだ。それは忘れた頃にやってくるから啓示っぽいのであって、実際には自分が吸収したものが醸成したものなのだ。

このように、すべての状況が僕に後の創作をできないことを示しており、それを仕方ないと受け入れる僕がいる。月並みな慰めは遠慮しておく。精神論で作品は書けない。そしてリアリズムこそ人間最大の防衛機制だと、僕は信じてやまないのだ。

愚痴や弱音ばかりを吐いていてもしかたないので、、、もっとちゃんと過激な悪口を吐いていこうと思う(!?)

なけなしの時間をはたいて、酷い映画を観てしまった。とあるBLコミックの実写版なのだが、まあ原作の良さを悉くぶち壊していた。実写版なんてそんなものだよね、別物として考えるべきだよね、、、
いや、その映画の出来が酷かったのは、むしろ「原作に忠実であった」からなのだ。つまり、原作のストーリーを曲解されぬよう、演技も台詞もよく再現され、ところどころ解説が入り、心の声まで俳優に喋らせた。それがすべて悪手になってしまっていた。

文字の受信と声の受信にはかかる時間が大きく異なる。ひとコマのひとつの台詞なら1秒もかからずに把握できるだろうが、喋っているのを聞くには数秒かかったりする(俳優さん達は心情表現のためにご丁寧に「タメ」を用意したりもする)。原作の持つ流れの良さが消え失せ、なんだかもったりとした陰鬱な印象に変わってしまった。

これは完全に私論なのだが、BLが陰鬱としていていい時代はとうの昔に終わっているのだ。今のBLは、痛快で明朗で、ファンタスティックでファンタジーでなくてはならない。そんな中にも二重写し三重写しの共感や尊さを得るのが、今のBLの面白さである。社会や常識を敵にした悲恋、みたいなものは古臭くて堪らない。

原作コミックはそのような古典的な内容を上手に表現していた。淡々としたコマ送りで描くストーリー、必要最低限の台詞。まるで無音映画のような魅力に溢れている。それが映画化され、忠実に演技をして台詞を喋ると、まったく残念な結果になってしまったのだ。

そしてこれは、文学的に非常に重要な問いを喚起してくれる。テキストとは果たして「時間芸術」なのか、それとも「空間芸術」なのかという問いである。思うにコミックの中のテキストは、かなり「空間芸術」の要素が強いのだろう。絵と共に一挙に受信する、詩的な文章。それを映画内のセリフにするなら、小説内の文章にするなら、、、忠実でなくなるのが文学的な営みであるはずだ。

このような受け入れ難い映画でも、使用料が原作者の懐に入り新たなモチベーションを与えてくれるのならば、受け入れざるを得ないのがヲタクの心情でもある。


書き殴っただけの雑文にて失礼しました。

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