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パトスの木(詩集『巡る風花』より)

拙著、詩集『青い風花/巡る風花』より
一部作品を掲載させて頂きます。

  パトスの木

 祈り 涙に 変わり
 木が癒しではなくなった
 口にしたんだ 愛されたい と
 その前にあった 好き は言えずに

 その実 誰かの ために
 木が育ててきたわけじゃない
 もぎ取ろうとして 手を伸ばす
 触れられないよ 好き がこわくて

 誰にも さらわれないで ほしいよ
 誰のためにも ならないでいて
 膝をついて手を組んでみた
 願い わたし よわい

 ああ 春の陽気は オリーブの木は
 こころの 穴を 教える色だ
 その深みから目を離せない
 瞳 きみの ひとみ

第一詩集『青い風花』、第二詩集『巡る風花』では、詩の持つ音楽性を模索・追及しながら言葉を編んでおります。言葉の持つ律動や音韻*はもちろんのこと、詩全体に拍子や調性**を醸し出せるか、眺め見た時に楽譜にあるような静謐さや期待感を膨らませられるか、など様々な試行を重ねて出来上がった作品です。

*韻律・音韻は韻文文学の基本的作法。日本語の場合、母音の数を合わせることで定型とするのが伝統的な詩歌の手法。海外詩では文末の母音を揃えたり(いわゆる韻を踏む)、同じ子音を繰り返すことなどをして、言葉に音楽性を吹き込む手法がある

**拍子は3拍子, 4拍子のように曲全体・一部のリズムを規定する概念。調性はへ長調, ハ短調のように音階や和音の展開に規定を与えるもので、曲の雰囲気や喚起する感情を整えることができる。

有史以降、詩と音楽は常に緊密な関係にありました。現代では言語の持つ多面体構造に着目し、思想哲学・言語学・心理学などの様々な視座からことばが練り上げられて詩が書かれています。しかし詩から音楽性が完全に消失することはないと私は考えています。

詩に音読・朗読は必須ではありませんが、声に出すことによってしか感じられない風味があります。たとえ黙読でも、意味を追いかけるだけの読み方と、心の声に耳を傾けるのとでは、受け取ることのできる芸術性は大きく異なってくることでしょう。

「詩は詩集の構想から生まれる」と言った詩人がいました。それと同様に、一編の詩のことばは詩集の中でこそ響いてくることがあります。
第二詩集までで詩と音楽の探求が完成したとは到底思っておりませんが、ここまでの未完成交響曲、未完成組曲を手に取って頂けたら誠に幸いです。

詩集『青い風花』は旧ペンネーム「矢口蓮人」名義で幻冬舎MCより刊行されています。3つ形態があり、内容や価格が異なるのでご注意ください。

① 文庫版:A6サイズ, ソフトカバー
② Kindle版
* ①と②は「青い風花」(16篇)と「巡る風花」(19篇)を収録

③ 単行本:小A5サイズ, ハードカバー
*③は「青い風花」(16篇)のみ収録

アマゾンで①③は品切れとのことです。環境の整っている方には②をオススメします。残念ながら重版の予定はありません。

読者の皆さまと詩の時間を謳歌できたらと思います。今後ともよろしくお願い致します。

矢口れんと 拝

#詩 #詩集 #恋愛 #音楽

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!