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31. 花の矢をくれたひと 〜epilogue 【花の矢をくれたひと/完結】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

カーマ(アビルーパ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛の神。転生を繰り返す度に呼び名が変わる。現世では青年アビルーパ。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。アビルーパに恋心を抱いていたが、諦めて真の意味で親友となった。

ラティ
愛神カーマの妃で快楽の女神。現世では遊女ラティセーナーとしてカーマの訪れを待っていた。

ダルドゥラカ
パータリプトラ出身の諜報活動員。

カーリダーサ
グプタ王朝の元宮廷詩人で劇作家。

パールヴァティー
新たなる軍神の母となる宿命を背負う女神。

シヴァ
カイラーサ山にて眠る魔神。

【前話までのあらすじ】

神話世界で繰り広げられるデーヴァ神群とアスラ神群の死闘。シヴァ神がパールヴァティーを見初めることで新たなる軍神が生まれるとされ、その鍵を握るのが愛の神カーマ。
カーマは心を惑わす三本の矢でシヴァを射ようとしたが、反撃にあい親友ヴァサンタと妻ラティを焼かれてしまう。2人の亡骸が新しい矢となり、見事シヴァを射ることに成功する。悲嘆に暮れるカーマは自らの肉体を明け渡し、2人を蘇らせることをシヴァに懇願した。

31. 花の矢をくれたひと


〈おい、やめろ、アビルーパ!〉

 天から声が降ってきた。ダルドゥラカの声だ。あからさまに驚いたのはカーマよりもシヴァ神の方だった。
「詩人が人間の思念をこちらの世界に送っているのか、ふぅむ、なかなか……」
 感心するシヴァをよそに、カーマは天を仰いでその声に耳を傾けた。
〈そんなことしたってヴァサンタもラティも喜びはしねぇよ。街の暴動は収まった。お前だけでいいから帰ってきてくれ!〉
「ダルドゥラカ……」
〈お前らはよくやったよ。もうこれ以上はいいだろ。お願いだから……帰ってこい……〉
 友の必死の願いはしっかりとカーマの胸に届いた。数々の思い出が脳裏を過ぎる。しかし、もはや決意が揺らぐことはなかった。
「ありがとう。短い間だったけど、楽しかった。君に出会えて本当に良かった!」
 カーマは天に向かって叫ぶと、シヴァ神へと向き直って平伏した。
「さあシヴァよ。どうか俺の肉体を2人に!」
 カーマは憎むべき最高神に恩寵を求めた。畏れと悔しさにその顔を正視できず、足元だけを一途に見つめた。すると寄り添うパールヴァティーが、シヴァに声をかけている様子が見て取れた。かすかに聞き取れる言葉の端々から、何かを進言しているのが窺える。

 ややあって、シヴァは天に向けて雄々しく声を上げた。
「詩人よ、聞こえているな。この心猛き一柱の所業をしかと書き留め、後世まで讃える詩を完成させるがいい。それがお前の生涯の傑作となるだろう!」
 そして一転して慈悲深い顔になると、その眼差しを眼下に佇む小さな神へと向けた。
「愛の神カーマよ、そなたのことは記憶に留めておこう。そして蘇らせた2人、この者たちが必ずまたそなたを探し出すだろう。これが最後の天啓だ」
 再びシヴァ神の第三の眼が開かれる。月影のような優しい光がカーマを包んで、体を構成する分子がほどかれていった。
 煌めきの中でみるみるうちに半透明になっていくカーマ。すると彼の肉体のエネルギーを受け、その場に漂っていたヴァサンタとラティの魂が再び分子を纏い始めた。

 カーマはヴァサンタの頬にそっと触れてみた。互いに半透明同士、指先に受けたのはこれまでに得たことのない不思議な感触だった。
 森で膝枕をしてもらったあの日から、ガンジス川のほとりで抱きしめたあの日まで、数えるほどしか触れていない体。最期シヴァを射る直前に、彼は戯けてカーマの掌をなぞった。その指の感触をなくさぬように、手をぐっと握りしめた。

 次にカーマはラティの頬を撫でた。触れたところの肉体が次第に色濃くなっていくのを感じる。一方で、自身の体は確実に薄くなってゆく。カーマはその美しい顔を見下ろしながら、遊女館で言われた言葉を思い返した。
〈どうかもう一度……抱きしめてくださいませんか〉
《ラティ、もう一度とはいつのことを指して言ったのかい? 俺が最後に君を抱きしめたのはいつのことだったのか?》
 深い哀しみが込み上げてくる。
〈カーマ……好機は一度きりですよ〉
 ふたたびラティの声が脳裏に響いた。カーマはたまらなくなって、ラティの体を強く抱きしめた。戸惑い、焦り、衝動、猜疑心、後悔。込み上げては溶けて混ざり合うあらゆる感情。
《これだけの感情をいつも持ち合わせながら、なぜ愛しさの記憶だけうまく持ち越せないのだろう?》
 涙が頬を伝ってラティの胸へと落ちてゆく。彼女の皮膚はその雫を確かに受け止めた。
《おかしいよな。この腕に残る感触だけはずっと消えないのに》
 肉体はいよいよ妻の体を支えきれなくなった。カーマは彼女をそっと大地に横たえて、その胸に恋慕の矢を抱かせた。
「この花の矢はあなたが持っていて。
 俺はもう……持っていられないから……」

 遊女館の屋根裏部屋に光が充ちた。それは次第に収束していき、中から人影がふたつ現れる。
「か、帰ってきたぞ!」
 床に横たわるのは遊女ラティセーナーと少年ヴァサンタ。すぐさまダルドゥラカが駆け寄って2人の息を確認した。
「お前、無茶しやがって。カッコつけすぎだよ」ダルドゥラカは目を潤ませながら、眠るヴァサンタの髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
「……しかし、やはりカーマだけは帰ってこないか」
 カーリダーサの言葉が重くのしかかる。肉体を失ったアビルーパが戻ってくることはない。予想はしていたものの、2人は改めて口惜しさに身を震わせ、それぞれ自身の無力を呪った。
「こいつら、山で起こったことをどれだけ覚えているんかな?」ダルドゥラカが力なく呟いた。その瞳からは大粒の涙が溢れて出ている。
 突如、カーリダーサが叙事詩のつづりの中から何枚かを取って外して、思い切りよく破いた。そして白紙のページに向かい、先ほどまでよりずっと気迫のこもった顔で字を書きつけ始めた。
「おい、おっさん、何してるんだ!?」
「神話を改竄かいざんする」
「改竄って、いいのかよ、そんなことして?」
「神の所業を遠巻きに見て書くのが詩人の本懐だとしたら、儂は一介の劇作家として抵抗してみせるさ。ただのちっぽけでつまらない、人間としてもな」
「……訂正するわ。やっぱアンタ、意外とじゃなくいい奴だよ」

 こうして詩聖カーリダーサは叙事詩『新たなる軍神のクマーラ・誕生サンヴァバ』を書き上げた。
〈カーマ神とシヴァ神は、花の矢と第三の眼から放たれる焔とで “相打ち” となった。射抜かれたシヴァはパールヴァティーを見初め、彼女は後に新たなる軍神となる子・クマーラを産んだ。一方、肉体を焼き尽くされたカーマは世界を遍く彷徨うこととなる。彼の功績によって神話は男神優位から男女神双方の時代へと突入する。世界を動かす夫婦神めおとがみの傍らには、常に “体なき愛の神” がひとり矢をつがえて構えているのだ。そしての孤独な魂は待ち侘びている。愛する妻と愛する友に、ふたたび見つけてもらうその日を〉


epilogue

 その魂、体なき者アナンガ(またの名を美しき者アビルーパ)は気がつくと空の高きところを駆けていた。巨大な鳥に騎乗している。振り返ると、色とりどりの尾が風に伸びてはためいていた。その先に広がる雄大な空、3つの海と、世界で最も高い山脈とに囲まれた亜大陸。

「やあ、目を覚めされましたな、ご主人」


『花の矢をくれたひと』
──  Fin. ──

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次回作もどうぞご期待ください。

また明日、本作のあとがきと裏話も
公開しますので、ご興味のある方は
どうぞ遊びに来てください!

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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