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30. 花の矢は反旗の標 【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

カーマ(アビルーパ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛の神。転生を繰り返す度に呼び名が変わる。現世では青年アビルーパ。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。アビルーパに恋心を抱いていたが、諦めて真の意味で親友となった。

ラティ
愛神カーマの妃で快楽の女神。現世では遊女ラティセーナーとしてカーマの訪れを待っていた。

パールヴァティー
創造主の娘にしてヒマーラヤ山脈の娘。インドラに代わる軍神の母となる宿命を背負う。

シヴァ
カイラーサ山にて眠る魔神。

【前話までのあらすじ】

神話世界で繰り広げられるデーヴァ神群とアスラ神群の死闘。シヴァ神がパールヴァティーを見初めることで新たなる軍神が生まれるとされ、その鍵を握るのが愛の神カーマ。
カーマは心を惑わす三本の矢でシヴァを射ようとしたが、反撃にあい親友ヴァサンタと妻ラティを焼かれてしまう。2人の亡骸が新しい矢となり、見事シヴァを射ることに成功する。

30. 花の矢は反旗の標


「パールヴァティーよ、今日から我はあなたの奴隷だ。あなたの苦行によって我は買われた」

 カーマの矢に左胸を貫かれ、心惑わされたシヴァはついにパールヴァティーに恋い焦がれた。すぐさま彼女の腰を抱き寄せて、熱い唇の愛戯を教えた。
 しかしそこは愛を契る場として相応しくない、すっかり荒れた地と化していた。焼け焦げた大地には、枝葉を吹き散らされたヒマラヤスギがたった二本。その脇で哀しみに暮れる神が一柱。
「ヴァサンタ……ラティ……」
 彼らの亡骸はどこにも見当たらない。シヴァの劫火に焼き尽くされ、灰まで吹き飛ばされてしまった。カーマはスギの周りでふたりの魂が漂う幻影を見た。水滴のような無数の光の球が宙に浮いている。それらは意志を持たず、ただ自然の法則によって揺らめくだけだった。

 怒りがふつふつと沸いてくる。この手で射抜いたシヴァが目の前で女神を娶っている。一方で自分は……使命の遂行にかかった代償はあまりに大きかった。
《神々の戦争がなんだ、新しい軍神など知ったことか、もはや街の暴動も俺には関係ない、俺は、俺は……》
 口汚い言葉がカーマの頭を駆け巡る。その声が心を埋め尽くし、真っ黒く染め上げるまで、大して時間はかからなかった。
 カーマは動悸を感じて胸元を抑えた。身震い、過呼吸、眩暈、次から次へと体を襲う異変。しかし彼の肉体は知っていた。それらを解決するたったひとつの手段があることを。
 カーマは覚束ない足取りで歩き出し、禿げた大地に突き刺さる一本の矢の元で止まった。

「なんだ?……お前は……」
 シヴァが横目で見取ったのは、最高神と謳われる自分に矢を向けている命知らずな青年の姿だった。怨みがましいその顔の持ち主をシヴァは知らない。第三の眼は敵の襲撃に反射的に開かれただけで、瞑想中のシヴァの意識には全く昇っていなかった。
 パールヴァティーはこの修行場で起きた出来事を包み隠さずシヴァに話した。しかしその経緯いきさつがシヴァの同情を誘うことはなく、むしろ怒りの導火線に火をつけた。
「この我に三度みたびも矢を向けるとはな!」
 シヴァの好戦的な眼差しを受け、カーマも怒りをたぎらせた。
「ヴァサンタとラティを返せ!」
「返せとはどういう意味だ。対価として我が命を奪うとでも言うのか? そんなひ弱な矢でこの胸を貫けるとでも思っているのか」
 シヴァが挑発するように胸を張り出すと、首からぶら下がる蛇までもがカーマを威嚇した。
「……大自在天イーシュヴァラを冠せられるあなたなら、神の二柱を蘇らせることなど造作もないはずだ」
「断る。お前の弓などまったく脅威ではない。何よりお前自身がその矢を放つことはできない。万が一にも我が倒れるようなことがあれば、新たなる軍神は誕生しないのだからな」
「っ!!」
 カーマが怒りに任せて弦を引き絞ると、それはブツと情けない音を立てて切れてしまった。もはやシヴァを射ることはできなくなった。

 それでもカーマは構えを解かず、二神の睨み合いはしばし続く。シヴァにはいつでも彼を焼き払うことができた。しかしパールヴァティーの眼差しがそれを引き留めていたのだ。
 ふと、シヴァが心底面倒臭そうにため息をついて言った。
「我とて肉体を失った神を復活させるのは容易ではない。肉体を呼び戻すには肉体に固有の資材が必要になる。我とパールヴァティーは、これから新たなる軍神を誕生させる使命がある。末端の神の蘇生のために、肉を分け与える余地などない」
 諦めろと諭すシヴァの言葉。カーマは絶望に打ちひしがれそうになったが、すぐさま別の考えに至った。
 彼はおもむろに弓を下ろし、花の矢を大地に突き立てた。そしてその横に膝をついてシヴァ神に懇願した。
「ならば俺の体と引き換えに、2人を蘇らせてくれ」
「……お前、正気か?」
 シヴァはそのような自己犠牲を馬鹿らしいと嘲笑った。見かねたパールヴァティーが口を開く。
「カーマ、2人はこのようになることを見越してここまで付いてきました。誓願を成就した魂は天に召され、決して自身の死を悔いることはないでしょう」
 大母神の説法がカーマに重くのしかかる。それでも彼は諦める素振りを見せない。
「……俺は、記憶を持ち越せないんだ」
 魂の幻影が宙に舞うのを見渡しながら、カーマは言葉を続けた。
「転生をするたびに友のことも、妻のことも忘れてしまう。次に転生するときも同じかもしれない。そんな俺の方こそ、魂だけの存在となるのにおあつらえ向けだろう」
 自嘲的な言葉は紡がれるごとに語気が強くなっていく。
「それに2人がこの山頂の記憶をそのまま来世に持ち越すのだとしたら、俺にはそれがもっとも我慢ならない!」
 シヴァはその声を無感情のまま聞いていた。パールヴァティーだけが深い同情を寄せた。
「カーマ、記憶は個人だけのものではありません。あなたの所業は詩人が記録することでしょう。残された2人がこの事を後に知って、平静でいられるとは思えません。あなたの想いが逆に彼らを──」
「頼む! シヴァよ、パールヴァティーよ」
 大母神の言葉すら遮って、カーマはますます頭を垂れた。もうこれ以上話すことはないといった強い意志が見て取れた。

 パールヴァティーが継ぐ言葉を探していると、
〈──おい、やめろ、アビルーパ!〉
 突然、天から聞き馴染みのある声が降ってきた。


── to be continued──

次回『花の矢をくれたひと』最終回です

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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