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マスターの退屈 【舞師と楽師/episode 23.5】
【舞師と楽師/episode】は連載小説『葬舞師と星の声を聴く楽師』のサイド・ストーリーです。 今回は〈葡萄の冠〉のマスターとカースィムが主人公。カースィム誘拐事件(21〜23話)とエルジヤド家の葬儀(24話)の間のお話です。
【登場人物】
マスター:酒場〈葡萄の冠〉の店主の男。トラブルを密かに面白がる節がある。
カースィム・エルジヤド:ラウダナ国の貴族の次男坊で本来は極度のアル中。好意を寄せていたアシュディンに命を救われた。
アシュディン:ファーマール帝国の才能のある伝統舞師。この店では女装ダンサーとして舞台に立っている。
*
《んぁ〜〜〜、退屈だなぁ》
〈葡萄の冠〉のマスターは大きなあくびをした。カウンターに頬杖をつき、逆の手ではグラスに浮いた氷を指でカラカラいじっている。平々凡々とした日々に飽き飽きしていたのだ。
《アシュディンもすっかり店に馴染んじまったしなぁ》
舞台を見やると、美形の男舞師は女装をして華麗なダンスを披露している。だからといって特段大きな盛り上がりを見せているわけではなく、見入っている客もいれば、見向きもしない客もいる。フロアの席は全然埋まっていないし、誰の手元のグラスも空いていない。
初めはこの店にも物珍しさに客が集まったが、今やほぼ通常営業に戻っていた。アシュディン目当ての客はみんな〈魅惑を放つ〉の方に行ってしまう。あっちの店には彼の恋人の楽師がいるからだ。みんな〈尊さ〉を求めているのだ。
《最近はカースィムもぜんぜん店に顔を出さないしなぁ。心を入れ替えて仕事に打ち込んでいると聞いたが。あ〜〜〜、退屈だ!》
マスターの心の叫びが頂点に達した瞬間、カランカランとドアベルが鳴った。顔を出したのはすっかりご無沙汰のカースィムだ。
「いらっしゃ……おぉ、カースィム! ってお前、なんだその格好!?」
カースィムは髪を光沢のあるオールバックに纏めて、よく仕立てられた白シャツに豪華なジレを身に付けていた。顎の下で蝶ネクタイがダンディーな笑みを浮かべている。
「ふっ、驚いたか。僕だって貴族の端くれなんだ。本編では気味悪い姿や駄目駄目な姿しか見せられなかったから、読者サービスをしようと思ってやってきたよ〜」
兄ユスリーによく似た気取った物腰でカウンターチェアに半分だけ腰を下ろす次男。堕落した貴族坊のとんでもない宣言を聞いて、マスターは腹を抱えて笑った。
「ははっ、お前は呑んだくれてくだを巻いてるのがお似合いだよ。まあ一杯やれよ」
棚から葡萄酒の瓶を下ろそうとするマスターを、カースィムは気障に手をかざして遮った。
「結構だ。ぶどうジュースを、ひとつ」
「ぶ、ぶどうジュースだぁ!? お前、なめてんのか。ここは酒場だぞ!」
「ふっ、今日は大事な日なんだ。酒に溺れるわけにはいかないんだ。今日はアシュディンを……」
言い淀んで、わずかに頬を赤らめるカースィム。
「アシュディンをダンスに誘おうと思って。いつかの謝罪と、いつかの感謝と、これからの愛を込めて……」
マスターの食指が動いた。《こいつは面白そうだぞ、退屈しのぎにピッタリだ!!》
「おお、おお、いいじゃねぇか」大きな手でカースィムの肩を豪快に叩くと、意味ありげな含み笑いで彼の顔を覗き込んだ。
「しかしカースィム。お前、ラウダナ国とファーマール国じゃ社交ダンスのステップが違うことは知ってるのかい?」
カースィムは驚いてつと立ち上がった。
「何っ!? それを早く言ってくれ。ファーマール国のステップはどんなだ?」
マスターはカウンターから出てくると、絶対に踊ったことのない人間の無茶苦茶な足取りでステップを踏み始めた。
「こうさ。ワン、ツッ、スリー、ワン、ツッ、スリー」
それは明らかにおかしなステップだったが、カースィムは従順に真似をした。
「ワン、ツッ、スリー、ワン、ツッ、スリー、こうだな! 良かった、アシュディンに恥をかかせるところだった」
「バッチリだ、カースィム。バシッと決めてこい! 壇上で告白してチューしちまえよ」
マスターが強めに背中を叩くとカースィムは前につんのめって、そのままの勢いでステージへと向かった。
「あぁ、行ってくるよ。ありがとう、マスター!」
カースィムのダンスの誘いにアシュディンは快く応じた。舞台の真ん中で右手と左手を重ね、身を寄せ合うふたり。見目だけは麗しい貴族と美しく女装した美形のカップルは多少の〈尊さ〉を帯びていた。
楽師が奏でる優雅な曲に合わせて、ふたりの第一歩が踏み出された。
「いっ!」「あっ、ごめん」
初っ端っからアシュディンの足を踏みつけたカースィム。
「てっ!」「す、すまない」
当然のごとくステップの合わないふたり。カースィムは足を踏みつけるたびに申し訳なさそうにしたが、アシュディンはむしろ好奇心を滾らせた。
「カースィム、お前、すげぇ面白いステップするんだな! そのまま続けてよ!」
カースィムの踏む妙ちくりんなステップをうまく交わしながら、アシュディンは身をのけ反り、腰を深く沈め、華麗なターンを次々と決めていった。
「よっ」
アシュディンが勝手に踊ってくれるものだから、カースィムも自分が上手く踊れているような気になった。教えてもらったステップがおかしいなどとは露ほども思っていない。
「はっ」
アシュディンの機転により〈葡萄の冠〉のステージには、ほのぼの〜とした社交ダンスが繰り広げられた。特に見応えもなく、客たちはいつも通り談笑し、同じペースで酒を呑んでいる。
《チッ、つまんねぇな、あいつら。ちっとは俺と店に貢献しろよ。やっぱカースィムは酒漬けにしてやらねぇとダメだな》
マスターの退屈な日々は続く。
──fin.──
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