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ダヴ・ダディダディロ

暑い、乾燥、低気圧、雨、寒い、湿気、よく分からないけど花粉?……  感官が壊れている。体調が悪かった。治らない2週間の風邪の次は胃腸炎。踏んだり蹴ったりだった。体調が悪い日が続くと絶望しがちだ。このまま体調が悪いまま一生過ごすのではないか、何も楽しめず、何も生み出せずに、死ぬことさえ通り越して腐乱していくのではないか、などと不安になった。ふだん絶望の1cm上を浮遊している僕にとって、絶望に陥ることは珍しいことだった。

山が珍しい色をしていたんだ。僕の住む町を見守るように静かに佇むその山は、あらゆる天候や景物や人工物を包み込むように、いつだって優しく聳え立っていた。しかしこの数日はさまざまなものを拒絶するような態度を見せていた。正直、恐ろしかった。自然はいつだって見捨てない、分断しないと思っていた。しかし稀にそういう日もあるようだ。どうか早く機嫌が直りますように。

体調が悪く、自然にも見放されている中で、そこそこ忙しく過ごしていた。やるべき事と考えるべき事が、いつもは余白がちな日記を汚していた。……いや、楽しいこともあった。誕生日だった。30台半ばを過ぎて、誕生日というイベントがようやく嬉しいものに変わってきた。最小限の大事な人たちから最大限に祝って頂き、今年の誕生日は気分が良かった。ただ良いイベントだってまた、日記を埋める要素の1つで、その日を跨いだ前後は心の日記が真っ黒だった。嬉しいこともストレスの一種だ。誕生日が年に一度だけで良かった。

生まれて来なければ良かった……などと今は思わない。真剣にそう思ったこともない。ただ自分は37歳で生を終えるものだと勝手に思い込んでいた。もう少しでその年齢に手が届きそうだけど、今のところ若かりし頃の妄想は妄想で済みそうだ。(この手の妄想は僕だけではなく、他に何人かの人からも同じ気持ちを聴いたことがある。なんなんだろうね?)きっと体調も良くなるし、山もまたいつもの顔を見せてくれるだろう。

ただ気がかりなことが1つある。「矢口さん、今度の集まりでのディスカッションのテーマを何か挙げて下さい」と友人に頼まれて「反出生主義」と答えてしまったことだ。頭の中に引っかかっていたことを何気なく漏らしただけだったのだが、友人はすっかり乗り気になってしまった。他の人が挙げた案は「喫煙所問題」だったそうで、確かにそれよりは面白そうだけど……このテーマは人が気付かないで良いような自身の暗いところを炙り出してしまいそうで怖い。え、僕だけ……かな?

あとね、訳詩に取り掛かっているんだけど、これがまた大変。これからの人生、どうなることやら……

暗いこと、重いことを抱えていると、臨界点を越えたところで脳がふざけはじめる。ストレスが溜まると、たいていは脳が勝手に歌い出す。若い頃は辛い状況を打破するために、それこそ奮い立つような曲を脳内再生していた。しかし最近は、ただただふざけて歌っている。既存の曲の歌詞が可笑しなことになっている。言葉が「意味をなす」手前で、テキトーに抜けていく、そしてぶら下がる。原住民の言語のような……と言ったらコンプライアンス的にアレだけど、まさに近代以降の文明(現実)から遠ざかりたい感じだ。ライバルは黒沢かずこ。

それではどうぞお聴きください。松浦亜弥で『ダヴ・ダディダディロ』。



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