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24. 遊女館の攻防【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭の子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。アビルーパに恋心を抱いていたが、諦めて真の意味で親友となった。

ダルドゥラカ
パータリプトラ出身の商人家系の子息。諜報活動員として働く肉体派の青年。

カーリダーサ
グプタ王朝の元宮廷詩人で劇作家。霊力を込めた詩文でたびたび時間ループの事件を起こした。

ラティセーナー
愛神カーマの妃、ラティの化身。パータリプトラの遊女館でアビルーパが訪れるのを待っていた。

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための3本の矢を捜しているアビルーパ、それに協力するヴァサンタとダルドゥラカ。
3人は首都パータリプトラで2本目の矢を得た。また詩人カーリダーサの罠による時間ループを抜けて、花街で前世の妻ラティと再会する。そんな最中、パータリプトラの街の所々で原因不明の暴動が多発した。

24. 遊女館の攻防


 表の通りは激化した暴動により塞がれていた。3人は寄宿舎の裏口から路地を経て遊女館へと向かった。道すがら、パータリプトラのあらゆる場所から戦闘音が鳴り響いてきた。いくつかの寺院からは火の手が上がっていた。ダルドゥラカの言った通り、宗教混淆の発達と受容が極まったこの首都には様々な信仰を持つ者たちが滞在している。暴徒化したのがほんの一部の信徒だったとしても、彼らはこの街のあらゆるところにいるのだった。
 アビルーパは妻ラティの、ダルドゥラカは幼馴染の無事を切に願った。昼過ぎからずっと駆け続けていたが、疲労が彼らの足を止めることはなかった。

 花街通りに入ると、さっそく暴徒の1人が屋台を木っ端微塵にしていた。目抜き通りや市場とは違って周囲は閑散としており、我を失った男がひとり暴れているだけ。その破壊行為はより狂気じみて感じられた。花街の人々は屋内に立てこもっているようだった。元々の、人目を忍んで遊ぶという街の機能が功を奏していた。
 暴れているのが信徒かもしれないと指摘したヴァサンタはもうひとつ重要なことに気付いた。《暴れているのは男だけだ》彼はひとり冷静に場を観察してそう考えたが、今度は敢えて口にしなかった。アビルーパとダルドゥラカに、余計な不安を煽りそうだったからだ。

 遊女館の前に辿り着いた。ダルドゥラカがためらいなく踏み込み、アビルーパとヴァサンタが後に続いた。入口と繋がる待合室には人っ子ひとりおらず、静けさの中で3人の息の音だけが響いた。
「無事……なのか?」
 しかしアビルーパが安堵の声を漏らした直後、館の奥から大きな物音と女性の悲鳴が響いた。ダルドゥラカが慌てて廊下へと飛び込んでいった。アビルーパも後を追おうとしたが、ヴァサンタが彼の腕を取って一旦引き留めた。
「アビルーパ、君はまずラティの部屋へ!」ヴァサンタはそう言うと、宙にかざした手のひらの、輝きの中から一本の弓を取り出した。植物の蔓や茎をって胴にした弓だった。
「これを、困った時は使って」アビルーパは弓を受け取ると、一目散にラティの部屋へと向かった。つい一刻前、女将に案内されながら通った廊下だったが、まさかこんな状況で訪れるとは思ってもみなかった。

「ラティ!」アビルーパは扉を勢いよく開けた。
 まず目に飛び込んできたのは、部屋の真ん中でうずくまる男の姿だった。小さく呻きながら身を悶えている。遊女ラティセーナーは部屋の角で矢を抱えながら、その男の動向を窺っていた。
「ラティ、無事だったか」とアビルーパが部屋に踏み入ったその瞬間
「カーマ、逃げて!」ラティセーナーの叫ぶ声とほぼ同時に男が起き上がり、もの凄い形相で襲い掛かってきた。アビルーパは振り下ろされた拳を素手で受け流すと、男の背に回って蹴りを入れた。男はつんのめって転がったが、すぐに顔を上げてアビルーパを睨みつけた。敵と認識するような吊り上がった目。とても正気とは思えなかった。反撃に臆したような様子もなく、再びじりじりと近づいてくる。暴徒と呼ぶことすら憚られる。その姿は狂気がそのまま人格と化したようだった。
 アビルーパは背中越しのラティセーナーを護るように構えた。男が一歩二歩と近寄ってくる。両腕を振り上げながら飛び掛かってきた刹那、アビルーパは咄嗟に弓を構え、右手で弦を弾き空砲を打ち出した。激しい風圧が巻き起こり、男を後ろの壁にまで吹き飛ばした。天界の雲の囲いを吹き飛ばしたときと同じ、名射手カーマの異能のひとつだ。
 アビルーパは額の汗を拭うと、男が気絶しているのを確認してほっと一息ついた。そしてラティセーナーの元へと駆け寄った。
「無事だったんだね、良かった」
 アビルーパは無意識に彼女の両肩を掴んだ。彼女は先刻会った時と違って、薄手の一枚衣だけを身に纏い、肉感的な姿態があらわになっていた。アビルーパは目のやり場に困ってそっぽ向くと、落とした視線の先に深紅の羽織を見つけた。それを手に取り「これを」と言って恥ずかしそうに彼女に手渡した。

 ふと、館内にまた悲鳴が響いて、2人は肩を跳ねさせた。「……広間の方からです」ラティセーナーは落ち着いた声で言った。アビルーパは壁にもたれて気絶した男を見遣った。《彼女をこの部屋に置いておくわけにはいかない。かと言って他に安全な場所があるという保証もない》考えた挙句「ラティ、一緒に来てくれ!」と言い、彼女の手を引いて部屋を出た。

 長廊下の突き当たり、広間の目前まで来ると、中から人の揉み合う音や振動が漏れ出てきた。アビルーパはゆっくり中を窺うと、別の男とダルドゥラカとが格闘の真っ最中だった。少し離れて、ダルドゥラカの幼馴染と思しき遊女が見守っている。
 相手はダルドゥラカを越える巨漢だ。並みいる衛兵たちを薙ぎ倒してきたダルドゥラカだったが、今度ばかりは相手に押し捲られていた。
「ぐわっ!!」激しい打撃音がして、ダルドゥラカの背が床に打ちつけられた。遊女が両手で目を覆う。男はすかさず馬乗りになり、首を絞めようと掴みかかる。ダルドゥラカは顔の前で腕を交叉して必死に抵抗した。
「今だっ」機を見計らっていたアビルーパが素早く弓弦を引いて弾いた。放たれた空砲はみごと男に命中し、その巨体を吹き飛ばした。のしかかっていた重みが瞬時に消えて、ダルドゥラカは唖然とした。
「おぉ、これが神の力ってやつか……やっぱすげぇんだな」そう言って苦笑いを浮かべた。

 すぐさまラティセーナーが遊女の元に駆け寄り、2人は抱き合って互いの無事を祝福した。
 しかしその時、倒れていた男が叫び声を上げた。急に立ち上がって、もっとも近くにいた2人の遊女に襲いかかってきた。不意をつかれたアビルーパ、床に倒れていたダルドゥラカ、2人ともすぐには動けなかった。凶悪な男の腕が女性たちの顔をめがけて振り下ろされようとしたその瞬間、
『ガーーーーン!』
 金属音が部屋中にけたたましく響き渡った。男の巨体がゆっくりと崩れ落ちていき、場に残ったのは、2人の遊女と、そしてもう1人女性の影だった。
「女将さんっ!」ダルドゥラカの幼馴染は、突然現れた遊女館の女将に抱きついた。泣きじゃくる遊女を女将とラティセーナーが包み込んだ。
 アビルーパとダルドゥラカは何が起きたのか俄には理解できず、女将の背中を呆然と見つめた。
「つ、つえぇ、もしかして女将は秘密戦闘員か何かか? それともまた神の化身か?」
 混乱するダルドゥラカに対し女将は、
「んなことあるかい! 商売道具に傷を付けられちゃたまったもんじゃないから、日頃から鍛えてるだけさ」と言って、手に持っていた鉄鍋を高く掲げた。
 広間の天井、ちょうど男が倒れている真上に、人ひとりが通れるくらいの穴が空いていた。女将はそこから飛び降りてきたようだった。


── to be continued──

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