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14. 衛兵を掻い潜れ(アルタ⑤)【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
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【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭バラモンの子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。武士クシャトリヤの子息で、アビルーパの親友。しかし彼には友情以上の好意を抱いている。

ダルドゥラカ
商人ヴァイシャ家系の子息で、諜報活動員スパイとしてアビルーパの父の僧団に潜入していた。若者同士つるんでいる方が楽しそうという理由でアビルーパの矢捜しに協力することに。


【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための3本の矢を捜していたアビルーパとヴァサンタ。諜報活動員スパイとして僧団に潜入していたダルドゥラカを仲間に加え、名うての情報屋がいると言われる首都パータリプトラにやってきた。火葬場の老聖者より矢は王宮宝庫にあるという情報を掴み、3人は潜入捜査を試みることとなった。


14. 衛兵を掻い潜れ(アルタ⑤)


 老聖者の話によると、マウリヤ朝伝説の宰相カウティリヤが設計した宝庫が、この首都パータリプトラの地下に眠っているとのことだった。そして、そこには神話の時代より伝わる矢が眠っていると。
 ダルドゥラカは諜報活動員スパイの情報網を駆使して、宝庫がどこにあるのか、どのような経路で繋がっているのか、どれだけの見張りがいるかなどを、迅速に調べ上げた。そして表向きは行商人の寄宿舎になっている、移動諜報活動員スパイらの集会所アジトの一室で、3人は潜入のための計画を練っていた。

 決行の晩、ヴァサンタはアビルーパとダルドゥラカとは別行動を取っていた。街外れにある建物の軒下で息を潜める彼は、普段とはまったく違う格好をしていた。襟ぐりとウェストのばっくり空いた紫色の上衣、ドレープのついた赤のロングスカート、透け感のあるショールを肩から垂らし、首、手首、足首を煌びやかなアクセサリーで幾重にも飾っていた。顔には白粉と紅を塗り、元々端正な目鼻立ちと相まってそれは美しい踊り子へと変貌を遂げていた。
 ヴァサンタはイライラしながらダルドゥラカの言葉を思い返していた。『第一関門、井戸の前にいる私服衛兵は女装男子ヒジュラー趣味だ』 そこで白羽の矢が立ったのがヴァサンタで、女装した彼が衛兵を誘惑して目を引いている隙に、アビルーパとダルドゥラカが井戸から潜入するという計画だった。地下宝庫へと続く経路は3つある。1つ目は王宮の内部から、2つ目は首都外のどこかに通じると言われる秘密の出入り口から、この2つは現実的に潜入不可能と思われた。そして3つ目がこの街外れの井戸だ。これらの経路はすべてカウティリヤが設計したとされており、王宮が襲撃に遭った際に、要人は密かに街外れや首都外へと逃げおおせる構造になっている。その途中に宝庫があるというわけだ。
「ダルドゥラカめ、大笑いしやがって。覚えておけよ。まあ、でも、アビルーパがカワイイと言ってくれたのは嬉しかったけど……」ヴァサンタは両腕にかかったショールを持ち上げたり振ったりしながら、小さく独りごちた。

 軒下に積まれた荷の影に隠れて、首都を囲む石塀の手前にある井戸を見やる。井戸には木の蓋が乗せられていた。その傍には更紗売りの屋台が置かれ、商人風情の男が2人がこそこそと何かを話しているようだった。しばらくすると男のうちの1人がその場を離れ、市街地へと消えていった。残された男は屋台の荷台に座って大きな欠伸をした。髪と髭、体型などの特徴から、ダルドゥラカの言っていた女装男子ヒジュラー趣味の私服衛兵に間違いなかった。
 ヴァサンタは緊張こそしていたものの、衛兵を確実にたぶらかせると思っていた。春の神としての矜持があるのは言うまでもないが、女装の出来栄えが彼に自信を与えていたのだ。
 ヴァサンタはおもむろに屋台へと近づき「ねぇ、お兄さん」と声をかけた。気怠そうに振り返った私服衛兵は、ヴァサンタを一目見て驚愕した。どの祭祀の場でも、どの行事の場でも見たことのない、煌びやかで美しい女装男子が暗がりに佇んでいたからだ。男の視線はヴァサンタの妖しい魅力にすっかり釘付けにされた。
「すこし見ていってよ」ヴァサンタはそう言うと、ショールをはためかせて舞い始めた。流れるような舞は春の風を意識したものだ。ヴァサンタは、手の返し、流し目、腰つきなど、あらゆる手管を男に見せつけた。
「あぁ、君は最高だ!」男は息を漏らした。ヴァサンタは横目で井戸を見やるが、さすがにこれほど近接していると潜入は難しいように思われた。そこで思い切って打って出た。
 ヴァサンタはにじるように男に近づき、その手に自分の手を重ねた。「ねぇ、もう少し、明るいところで」男の手を取ると、井戸からやや離れた松明の下へと誘って行った。その場所はちょうど屋台で井戸が死角となっていた。
「ねぇ、君。バラタナティヤムは踊れるかい? お金ならあげるからさ」私服衛兵はポケットから貨幣の入った袋を取り出すと、ヴァサンタの目の前で振って音を鳴らした。ヴァサンタは《ちっ、下品なエロジジイ》と心中で舌打ちしながら、男に対する笑みを絶やさずに踊り続けた。
 ヴァサンタが私服衛兵を遠ざけたのを確認して、アビルーパとダルドゥラカは足音を立てぬよう井戸に駆け寄った。そして木の蓋を外して1人ずつその奥へと入っていった。2人が井戸の方へ横切ったのを見て取ると、ヴァサンタは《Good Luck!》とウインクを送った。衛兵はそれを自分にされたものと勘違いしてますます見惚れたのだった。


 井戸は空井戸であり、ダルドゥラカの調査の通り、王宮からの地下道に繋がっていた。老聖者の描いた模様、そして仲間に集めてもらった情報を統合して、ダルドゥラカの頭の中には地図が描かれていたが、その地図と実際の構造とはそれほど違っていないようだった。
 暗がりの中、壁伝いに移動する2人は、ややあって一本の長い廊下に差し当たった。その真っ直ぐの道には少ないながらも松明の炎が灯っており、主要の経路であるように思われた。ダルドゥラカは《左へ行けば王宮、右へ行けば宝庫と首都外の出入り口》と頭の中の地図と照らし合わせた。
「さて、第二関門。分かってるな?」ダルドゥラカは振り返ってアビルーパに囁きかけると、彼はそれに頷いて応えた。
 2人がその場に身を潜めてしばらくすると、地下道に足音が響いてきた。その音は王宮の方角からアビルーパたちのいる丁字路へと近づいてくるようだった。息を呑む2人。やがて松明の灯りが近づいてくる人影を照らし始めた。制帽と軽鎧に身を包んだグプタ朝の衛兵。ダルドゥラカの読みによれば、宝庫の見張りの交代に向かう兵だ。
 衛兵が丁字路を横切る瞬間、アビルーパは勢いよく目の前に飛び出した。「なっ」衛兵が声を出すや否や、ソーマ酒の応用で作った麻酔薬を染み込ませた布をその口に押し当てた。間髪いれずにダルドゥラカが躍り出て、衛兵の顔を掴んで後頭部を岩壁に叩きつけた。衛兵は強打の衝撃で反射的に息を吸い込み、麻酔薬に容易く落ちてしまった。
 2人は《うまくいった》と互いに合図をし、意識をなくした衛兵の身包みを剥いでいった。アビルーパはその帽子と鎧を素早く身につけはじめた。ダルドゥラカは肌着姿になった衛兵の体を、突き当たり路の方へと押しやる。猿ぐつわを噛ませてから振り返ると、アビルーパの変装はすっかり完成していた。
「おぉ、なかなか似合うじゃねぇか。さ、宝庫の見張りでもしに行くか」
「よし、行こう!」


── to be continued──

【用語解説】

ヒジュラー
肉体的には男性だが女装をする集団で、古くはヴェーダの時代の文献から存在が確認されている。宗教的儀礼の際に踊り子を担う。その一方で売春を生活の糧にするなどで不浄と見做され、差別問題と隣り合わせにある存在である。

バラタナティヤム
3000年以上の歴史を持つと言われるインドの古典舞踊。神に捧げる舞として女性の踊り子にのみ許されていた舞踊だったが、19世紀以降に芸術として再興してからは男性の担い手も増えている。

地下逃走路
『アルタ・シャーストラ』には、王宮に関する規定、城砦都市の建築の規定などが記されている。危機的状況に対処するために、王宮には隠し扉、秘密の壁、空洞の柱、床が下降する機械仕掛けなどが用意されるべきと書かれている。

ソーマ酒
古代インドの神酒でインド神話に数多く登場する。高揚感や幻覚作用を伴う飲料で、詩人が天啓を得るために用いたとされる。何らかの植物の液汁と考えられているが、その同定まではされていない。

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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