見出し画像

桜から蓮までの羽ばたきよ【掌編小説/ストーリア4周年作品】

本作品は神話創作文芸部ストーリア4周年記念祭に寄せた掌編小説です。企画は、あみだくじで2つのテーマを割り振られ、それらをもとに作品を書くというもの。僕に与えられたお題は「鳥」×「家事」でした。さて、どう料理しましょうかね。どうぞお楽しみください!


「桜から蓮までの羽ばたきよ」


目を開くと、アーモンドの花が咲き乱れる下に立ち尽くしていた。樹はあちらこちらでめいっぱい花を湛えている。
美しい。カシミールの果樹園にも決して引けを取らない。ピンク色に染められたひとひらが、無数に身を寄せ合い、風にそよぎ、儚く落ちてゆく。
私は16000人の妻たちの、めいめいの顔を思い浮かべた。

行き移る人々が花を指差し「サクラ、サクラ」と感声を上げている。
これは、アーモンドの樹ではないのか?
彼らは一様に四角い板を掲げ、パシャリと音を立てる。それで満足そうな顔を浮かべ、同じ方向へと押し流されていく。
いったいなんの儀式だ?
あの板はいったいなんだ?

人通りには多く女性の姿もあったのだが、
全く不思議なことに、彼女たちは私に一瞥もくれない。左手には何か液体の入った透明な容器を、右手にはパシャリと音の鳴る板を持って、女同士笑い合いながら去ってゆく。
あの子も、あの娘も、あの女たちもだ。
おかしい。私の傍まで来て色目を使わぬ女がいるだなんて。そればかりか、素通りしていくだなんて。

あまりの屈辱に耐えきれなくなった。
咄嗟に、右の手に握られていた横笛を構えた。吹き口に下唇を押し当てる。そして女性の耳元で囁くように、優しく気息を吹き込んだ。
甘美な音色が「牛飼いの唄」を奏で始める。花咲き誇る公園の空に甲高い笛の音が響いた。

2023年春、ヴィシュヌ神第11の化身たる来栖凪くるすなぎが上野恩寵公園に転生した。
彼の独白から分かるように、クリシュナ神の──その美貌と美しい笛の音で牛飼い娘らをことごとく魅了し、16000もの妻を迎えたとされる最高神の──記憶を強く引き継ぐ男だった。
しかし、

「はえっ!!??」
一曲吹き終えて顔を上げた来栖凪は、思わず眼を剥いた。
女も男も老人も子どもも、ひとっこひとり立ち止まらない。誰も来栖をいっさい見ていなかった。そんなはずは……
彼らの興味は、左手のなんとかバックスのドリンクか、右手のなんとかフォンの見せるコンテンツか、頭上のサクラばかりだった。

失意の底に落とされ、来栖凪は公園内をそぞろ歩くくらいしかできなかった。
所々で行われている大道芸。凄腕ジャグラーも、1人5役のワンマンバンドも、人だかりを作るには程遠く、せいぜい数人ほどを立ち止まらせるのが関の山。いわんやただ一本の横笛をや、ということだ。
後から知ったことだが、公園の片隅で人知れずゆる〜く踊っていた女子高生2人組が、あの四角い板を通じて何万人もの視聴者を得ていた。大事なことは目に見えない。

そのうちに鈍色の池に辿り着く。重々しくギラつく水面を眺めながら、ふっと嫌な思念が脳をよぎった。
誰も愛してくれないなら、誰も見てもくれないなら、いっそ……
あっという間に膨らむ悲哀と絶望。来栖は錯乱し、池を囲う柵に手をかけた──

「ちょっと、あなた、何してるの!?」
掴まれた肩の感触に我に帰る。振り返ると、両眼に丸いものをかけた細身の女性が自分を睨みつけていた。
「こんな水深じゃ死ねないわよ、馬鹿なことはやめなさい」
来栖が立ち竦んでいると、女性は彼の腕を取り、体格に見合わない剛力で柵から引き剥がした。大地に腰を強打し痛みに苦悶する来栖。その顔を見下ろして女性はふと気づいた。
「あ、あなた、さっき桜の樹の下で笛を吹いていた……」
来栖は咄嗟に立ち上がり、たったいま自分を投げ飛ばした女の手を強く握った。
「聴いていてくれたんですか? 私の顔を覚えていてくれたんですか!?」
「え、ええ」
神の化身でありながら、通りすがりの女性に救われ、人目も憚らず跪いたのだった。
「あぁ、ありがとう、ありがとう、うぅ、うっ、ありがとう」

その女性、原田純香はらだすみかは日本の最高学府に学外研究員として籍を置くバリキャリ女子。私生活では二十代後半までダメンズウォーカーに勤しんだが、男に懲りてしばらくのあいだ色恋沙汰から遠ざかっていた。
かくして出逢った瞬間から共依存を発動した来栖と原田は、その日のうちに当たり前のように同棲を始めた。

「ねえ、スミカ。あなたもみんなも持っているその四角い板は何ですか?」
「スマホのこと? なにその異世界転生みたいな設定、ウケる」
冗談と思いつつ、彼女は即座にプリペイドSIMを用意してしまう。

「スミカ、この鳥をかたどった青いものは何ですか?」
「Twitterのこと? んー、世界の人に向けて自分すごいでしょって自慢したり、喧嘩を煽ったりする場所、かな」
「怖いですね」
「でも役立つ使い方もあるんだよ。ほらこの人とか、簡単レシピと動画を投稿してる」
「……これなら私にもできそうです」
「どうかなぁ、ナギは不器用そうだけど」
「私が料理したらスミカは喜びますか?」
「まあ、そりゃあね」

「──え、これ全部ナギが作ったの!?」
その夜、仕事で疲弊しきった純香を待ち受けていたのは、出来立ての唐揚げ、シュウマイ、そして鍋から立ち上る湯気の先にある凪の笑顔だった。
「女性を喜ばせることが私の使命です」

翌朝、カーテンから漏れ入る朝日が、眠る凪の頬をくすぐっていた。純香はその横顔を見るのが好きになった。まるで太陽のような人だと思った。

1ヶ月が経ち、2ヶ月が経ち、来栖凪は原田純香と愛を深めながら、すっかり現世に溶け込んだ。料理の腕を上げ、買い物もひとりでできるようになり、スマホの扱いにもだいぶ慣れた。


──それがかえって仇となる。


「なんで!? どうしてDMで誘ってきた女なんかにホイホイ会いに行ったりするの?」
「スミカ、スミカはどうしてそんなに怒ってるんですか?」
「は? 私が怒ってる理由が分からない?」
「私は、自分の妻たちには仲良くしてほしい」
「妻、たち?」
「そうです。私は、私を愛してくれる人を、妻として分け隔てなく愛します」
「最悪! 何その設定、意味不明。出て行って、もう顔も見たくない!」
「スミカ! スミカ!!」

家を追い出された凪は失意のままに彷徨し、いつの間にか上野恩寵公演を訪れていた。
春先に不穏な色を示していた不忍池は、蓮の葉でびっしりと埋め尽くされている。
思い返す、見つけてもらった日のこと。神の化身でも、美貌があっても、笛を吹いても、誰にも見てもらえなかった。純香だけだった。偶然の邂逅を果たせたのは。

そうだ、料理をすれば、きっとスミカは許してくれる。あれだけ喜んでくれていたんだ、許してもらえるに違いない。材料を買って、帰ろう。もう一度、やり直そう。
凪はスマホを取り出しホーム画面を開いた。しかしそこにTwitterのアイコンはなく、代わりに、黒い背景にバツの烙印が押されていた。
「どこへ、いったいどこへ?」
スマホを振っても掲げても鳥は現れない。かといって、そのいかめしいバツを押す勇気も出なかった。
凪は遣る瀬もなく、その場にうずくまり嗚咽を漏らした。

「分からない……分からない……」

2023年7月24日、世界から青い鳥が飛び立った。それと同時にヴィシュヌ神第11の化身、来栖凪も姿を消した。
明朝、不忍池にひときわ大きな蓮の花が開いたという。


── Fin. ──


本作のベースにあるのは『ギータ・ゴーヴィンダ』という中世インドの神話詩。
牛の乳搾り女であるラーダーと、ヴィシュヌ神の化身であり稀代のプレイボーイであるクリシュナの愛を描いた作品です。
元の詩では、不誠実なクリシュナは最終的にラーダーのもとに戻れるのですが、本作では戻れないという、より人間臭い展開にしてみました。
来栖凪くるすなぎはクリシュナの音から、原田純香はらだすみかはクリシュナの妻ラーダー、ヴィシュヌ神の妻ラクシュミーの音から名付けました。
またアーモンドとサクラは同じバラ科サクラ属に分類され、花が酷似しているそうです。クリシュナ/来栖にとって異世界間を繋ぐ花だったのかもしれません。
お楽しみいただけたなら嬉しいです。

#mymyth4anniversary #神話
#小説 #文学 #企画

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!