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19. 詩人は運命を弄ぶ【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭バラモンの子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身で武士クシャトリヤの子息。アビルーパには友情以上の好意を抱いている。

ダルドゥラカ
商人ヴァイシャ家系の子息で、諜報活動員スパイとしてアビルーパの父の僧団に潜入していた。

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための3本の矢を捜しているアビルーパ、それに協力するヴァサンタとダルドゥラカ。3人は首都パータリプトラで2本目の矢を得た。
その日、アビルーパとダルドゥラカは花街へ向かい、遊女館の待合室で謎の劇作家とすれ違った。
一方でヴァサンタは、2人に相手にしてもらえないことに憤り、宿舎を飛び出し中心街へと向かっていた。

19. 詩人は運命を弄ぶ


 やけになって寄宿舎を飛び出したヴァサンタは、気晴らしに中心街を訪れていた。しかし露店の更紗も装飾品も、踊り子たちの衣装も舞も、昨日とは打って変わってすっかり色褪せて見えた。もちろん雨のせいではなかった。彼は目抜き通りの軒下にしゃがみ込みながら、道行く人の流れをぼうと眺めていた。
 ふと竪琴を携えた男が雨宿りのために駆け込んできた。濡れた前髪を掻き上げると、眼下にヴァサンタの姿を見つけて言った。
「おお、少年よ。どうなさいました、浮かない顔をして」しかしヴァサンタはうつむいたまま、取り合わないでいた。
「さては恋煩いですな?」
「……放っておいてよ」
 ヴァサンタが拒絶すると、吟遊詩人と思しき男は竪琴を構えていちど掻き鳴らした。雨に濡れた弦の音はくぐもっていた。
「慰みに詩のひとつでも聴いて行かれませんか?」
「いらない! そんなん聴いても何も変わらないもの」ヴァサンタはつと立ち上がってそっぽ向いた。
「そうですか。古来より〈詩こそ天啓、詩人は人の運命をもてあそぶ〉と言われます。吟じること、聴くことで、人はめいに従順になります。あなたの中でも何か変わればと思ったのですが」そう言って次は別の和音を鳴らした。
「……ありがとう、お兄さん。でも、今日は遠慮しておくよ」
 ヴァサンタは雨の下へと独り歩き出した。見知らぬ人の優しさ寄りかかったとしても、親友とのわだかまりを解消しないことには憂いは晴れないと分かっていた。
「それでは川でも見に行かれては? 少しは気も休まるでしょう」吟遊詩人の見送る声は次第に雨音に埋もれていった。

 ヴァサンタはしばらくそぞろ歩きした後、いつの間にかガンジス川のほとりに立っていた。朝から降り続ける雨は川の水位を上げ、波が立ち、ボートの側面が桟橋にしきりに打ち付けられていた。
 頭を打つ雨粒が急に重くなったように感じた。ほどなくして小雨はスコールに変わり、ヴァサンタは小走りで川辺を離れた。街路に入ると、そこからは全速力で寄宿舎へと駆けて行く。小雨のときは散々憂い悩んでいたのに、スコールに降られたこの時だけは何も考えずにいられた。
 寄宿舎に戻ると、アビルーパとダルドゥラカはまだ帰ってきておらず、部屋の中はがらんとしていた。ヴァサンタは静寂の中で、スコールが止み、降り始め、また止み、また降るのを、繰り返し聞いていた。

 そのうちに夜がやってきた。
「うぃ〜、帰ったぞ〜〜〜」
 戸を開けたのはダルドゥラカだった。すっかり酔っ払っているようで、その肩には意識の朦朧としたアビルーパが担がれていた。
「うわっ酒くさっ」ヴァサンタはわざと顔をしかめて嫌悪感をあらわにした。
「ははは、もう、飲めませ〜〜ん」ダルドゥラカの巨体が弧を描くように寝床へ飛び込んだ。続いてアビルーパが折り重なるように倒れ込む。
「もう、コイツら何なの!?」ヴァサンタはアビルーパを引き剥がして別の寝床に運ぶと、雨でびしょ濡れになった髪を拭いてやった。見たことのない親友の醜態に戸惑いながら、眠る横顔をじっと見つめた。「アビルーパのバカ……」


 翌朝もまた、パータリプトラの街は雨雲に包まれていた。ヴァサンタが一番に目を覚まして、気持ちよさそうに眠る2人の顔を見下ろした。《人の気も知らないでさ》と胸の内でぼやく。
 やがてダルドゥラカが目を覚ました。ヴァサンタは彼と話す気になれず、壁の方へそっぽ向いていた。おととい露店で購入した装飾品を床に並べ、夢中にいじっている風を装った。そのうちにアビルーパが目を覚まし、ダルドゥラカと軽く挨拶を交わして水場へと消えていった。
《謝ってくれたっていいほどなのに》ヴァサンタは何も言ってこない2人に腹を立て《もう絶対口きいてやらない!》と唇のふるえを必死に堪えた。
 しばらくしてアビルーパが水場から戻ってくると、ダルドゥラカは立ち上がって言った。
「なあ、今日は花街へ行こうぜ!」
 ヴァサンタは自分の耳を疑った。昨日の今日で、まだ女遊びにうつつを抜かそうと言うのか。
「うーん、興味は……ある……かな」アビルーパの曖昧な返答がますますヴァサンタを苛立たせた。《昨日も遊んできたくせに、今更うぶなフリなんてして》怒りを通り越して、幻滅してしまいそうだった。《僕たちはずっと親友だったのに、たった一日遊んだだけで、どこの馬の骨とも知れない遊女の方が大事になったというの?》ヴァサンタは湧き上がる嫉妬を抑え切れず、泣き出す寸前だった。
「わりぃ、ヴァサンタ。ってなわけで、今日は好きに遊びに行ってきてくれ」ダルドゥラカの声に悪びれた様子が感じられず、ヴァサンタの怒りは瞬時に沸点まで達した。
「言われなくとも遊んでくるよ!
 バーカ、ダルドゥバカ!!」
「な、なに怒ってんだよ! 変な奴だな」
 急に暴言を吐かれてダルドゥラカも反射的にいきり立った。睨み合う2人。アビルーパが間を取り持とうと試みたが、何を言ってもヴァサンタは押し黙ったままで、取り付く島もなかった。ややあって、2人は彼に見切りをつけ、困惑しながら寄宿舎を出ていった。
 ヴァサンタはすっかり機嫌を損ねて、その日は出かけもしなかった。床に寝転がり、鸚鵡シュカにダルドゥラカの悪口を仕込んだりして、無為に時間を過ごした。
 そのうちに寝落ちしてしまったが、夜になり仲間の帰ってきた音で目を覚ました。2人は昨晩と同様に酔っ払っているようだった。ヴァサンタは心底面倒くさくなって寝たふりを続けた。


 雨は……次の朝も降り続いていた。目を覚ましたのはヴァサンタ、ダルドゥラカ、アビルーパの順。会話を拒んで壁を向くヴァサンタ。挨拶を交わすダルドゥラカとアビルーパ。そして、
 アビルーパが水場に顔を洗いに行って戻ってくると、ダルドゥラカが意気揚々と言い放った。
「なあ、今日は花街へ行こうぜ!」
 ヴァサンタは目を丸くした。昨日や一昨日のような怒りは湧いてこなかった。代わりに背筋が寒くなっていくのを感じた。アビルーパとダルドゥラカは何に巻き込まれているのか、いったい花街で何が起こっているというのか。


── to be continued──

引用・参考文献)
・藤山覚一郎・横地優子訳『遊女の足蹴』春秋社
・岩本裕訳『完訳カーマ・スートラ』平凡社東洋文庫

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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