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小説『あれもこれもそれも』1. ⑨

*過去の話はコチラから*

小説『あれもこれもそれも』
 story1. 呪術的な日常 ⑨

 教授の講義は上の空で聞いていたのだが、主に呪術の具体的手法ばかりを話していたことは雰囲気で感じていた。おそらく、動機や源泉のようなものについては話されていなかったかと。勝手なイメージだけど、そこには〝憎しみ〟も含まれるのではないかと思っている。もし健斗に対する名付け難い感情が、呪いとかいう得体の知れないものと通底していたら……自分ではどうしようもないと割り切れるし、また少し面白いかったりもするかな。
「勉強熱心だね。ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』は読んでみたかな?」
「いえ」
「僕の授業をとっているなら読んでおくといい。参考図書でも挙げたからね」
 いや存在は知っているが、一般教養であの分厚い本を読むのは正直コスパが悪いと思う。
「共感呪術に関しては講義中に話したはずだから分かるな。類似性をもとに人に危害を及ぼそうというものだ。日本で有名なものは丑の刻参りだが、このような風習はどの地域や民族にも見られる。藁人形というと日本人は憎しみ・恨みつらみを連想しがちだけど、君はどうかな?」
「はい、僕もそう思います」
 やはり憎しみは呪術に通じていそうだ。
「同じ共感呪術の事例として、人の影を踏んだりナイフを突き立てることで、相手に危害を加えるというものがある。こんな言い伝えが『金枝篇』の中に書かれている。インドの思想家シャンカラがネパールを旅した時に、ダライ・ラマに会って論を交わしたが、意見を違えてしまった。そこでなぜだか、シャンカラは宙へと舞い上がってみせた。ラマは地面に映る彼の影を見つけて、そこに短刀を突き立てる。するとシャンカラは落ちて首を折ってしまったという。この言い伝えにおいて、なぜ先にシャンカラは宙に浮かんだのか。君はどう思う?」
「……何か力を見せつけたいと思ったのですか?」
「そうだ。シャンカラは自分の超自然的な力を証明しようとしたのだ」
 教授は両腕を大きく広げ、まるで彼自身が超自然的な力を見せつけるかのごとく、したりげに言った。確か……昔やったゲームでこんな敵キャラがいたっけ。リアクションに困る僕をよそにして、教授の話は続く。
「ここで呪術の本質だ。太古の人々は、超自然の力に対する人間の力の限界というものを認識できなかった。神々と人間が同じ世界に住んでいたと言ってもよい。われわれが超自然と呼ぶしかない、世界に影響を及ぼすある種の能力を、自分のみならず全ての人間が備えていると考えられていた」と言った後に小さな声で「まあ、現代においては無知や非合理に依拠する妄想とされてしまうものだが」と付け加える。
 ん……話が進むにつれて、よく分からなくなってきた。教授の早口のせいか、単語が断片的に脳に浮かぶだけで、それらはうまく繋がらず単語の意味を超えない。いや意味を超えるどころか、音声だけが眼前をすり抜けていくようになる。
「では聞くが、例えば君が藁人形を僕に見立てて、釘を打つことは可能かな?」
 唐突な質問に対して、僕の顎は反射的に頷いた。物理的に、ということなのだろう。
「そのように生存権を侵害されることの恐怖がそこかしこに潜んでいたんだよ。なんせ呪術は万人に解放されていたのだから。その恐怖のことを〝魂の危機〟とフレイザーは言っている。自己の存在性に対する不安というものが文明以前から存在していたということは興味深いな。だから共感呪術を皆が侵さないようにするために多くの予防措置が出来た。それをタブーと呼び、社会や法の基盤になった」
 魂の危機? 自己の存在性? 予防措置?
 僕はついに専門用語の波に溺れてしまい、その海を泳ぐことを断念した。黙って、時が過ぎるのを待つことにした。

「ところで君、呪術に興味があるなら僕のコレクションでも見ていかないか」
 教授はそう言って、デスク横の棚から油染みでよれよれになった段ボール箱を取り出す。まるで玩具遊びを始めようとする子供みたいに、嬉々としてその中を漁る。僕はその後ろ姿を呆然と見つめた。
 質問に対する答えはこんなものだろうか。人に相談をして納得のいく回答なんて返ってきたためしがない。芳彦に聞いたときだってそうだった。そして、この感覚は最近特に増しているような気がする。しかし責任の所在はおそらく、何が分かっていないかも分かっていない僕の方にある。ことばにできない思いや考えばかりが増えていき、途方に暮れている。みんな普段どんな想いで生きているのだろうか? この教授も、芳彦も、なんだか楽しそうだ。同年代の健斗だってそうだ。

 ただ、この部屋に来て確信を持てたことが1つだけある。この人は紛れもなく『呪術の教授』なのだということ。……どうでもいい。今日もまた、割れた鏡や錆びきった刃、爬虫類の剥製だったようなものが眼下に並べられていく。本当に気色悪い。直視しがたくて、さらに目を下に向けると……床には教授の〈影〉が落ちていた。それをこっそりと踏んでみたが、当然何も起こらなかった。


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