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ひとつの音(エッセイ)

4月に入ってからnoteに常駐できている。

昔作った曲をいくつか公開して、手持ちが完全になくなったわけではないけれど、一旦打ち止めかと思っている。このまま「過去の作品を上げ続ける人」で終わるのは少し違うかと思った。とりあえず最低でも鍵盤が必要だ。シンプルで良い。音さえ確認できれば。ごちゃごちゃした機能よりも、携帯性と収納性が高いものが良い。もう少し生活に余裕ができたら……というか他にやるべき事がしっかり軌道に乗ったら、また楽器屋の扉を叩こう。テンポはレントより少し急かすくらいに。

そういえば、寝る前にヒーリングミュージックをかけたくなることがある。もっぱらYouTubeで検索をするのだけど、最近になって「◯◯Hz」というワードと共にある動画が上位に上がってきてることに気付いた。以前はほとんどが「1/fゆらぎ」だったのに、その座はすっかり席巻されていた。
「◯◯Hz」と謳われているものは「ソルフェジオ周波数」と呼ばれる音楽やその理論のことだそうだ。主として9つある特定の周波数の音を多く含む音楽だそう。(簡単に言うと、ある高さの音が曲の中でたくさん鳴っているもの)
実際に聞いてみるとそれなりに心地よくて、ある晩には泥沼に沈んでいくように眠り落ちた。

せっかく興味を持ったのだから、YouTube以外で音源を探してみたところ、結構な量が配信されていた。だいたいは、ゆったりとしたテンポで、シンセサイザーにデフォルトであるようなホワンホワンした音が和声を奏でているものだった。また想像に難くないと思うが、そこに川のせせらぎや鳥のさえずりが乗っかっているものも多い。

こんな音源を聴いた。聴力検査で聞くような単一の機械音が絶えず流れているだけであった。こんなもので金を取るなんて、文句の1つでも言いたくなるようだが、聴いているとまたそれなりにリフレッシュできたのだった。
こういった曲については、効果があってもおかしくないと思っている。しかし理論を信じてはいない。「またまたぁ〜」と思ってしまう。
自己の解放とか、DNAの修復とか、チャクラと連結とか、見るからに胡散臭い。そんな後付けの宣伝文句なんかより、「ただ聞いてみろ」と言えば良い。あれやこれやと考えさせられたら、リラックスできるものもできなくなる。

思うに、単音をただ聴くことは〈選択肢の剥奪〉だと思う。一般的な曲を聴いていると、様々な聴き方の選択がある。次のフレーズを想像したり、アーティストの歌唱シーンを思い浮かべたり、歌詞を追ったり、いつか聴いた車の中で隣に座っていた人を思い返したり……
聴力検査を思い浮かべれば分かるように、単音は「鳴っているか」「鳴っていないか」の2択しかない。またこういう音源では「鳴っている」ことが担保されているわけだから、視聴者に残された選択肢は「再生を続ける」か「止める」かである。視覚刺激に次いで、聴覚は情報量が多い。それを1つの音に集約して、他の聴覚刺激やそれに付随する反応を遮断してくれるなら、脳が休まることがあっても不思議ではない(という個人的感想)。

おそらく様々なことに懐疑的な人の方が、洗脳やトンデモ科学にハマりやすい(もしかしたら僕もこういうタイプかもしれない)。それは普段から情報処理量が多すぎて脳が疲れているからではないだろうかと思う。自然に身を委ねるひとときも、美しさに囚われ温もりに身を任せることも、「ご飯?ん、何でもいいよ」も、きっと望んでいるのは〈判断の停止〉だ。仕事や家庭生活の隙間に、全ての判断を投げ出す時間を欲しがっているのだ。

件のリラクゼーションミュージック(やそれを謳った単音)を、トンデモ科学とただ批難するだけの人は、科学をナメているのではないかと思う。経験的にしか語れないこと、また語る言葉すら生まれないものがあるはずだ。現代に生きるどんな専門家にも分かり得ないものがある。そんな人体の不思議や、地球の秘密、世界の神秘の存在は、きっと誰にも否定できないはずだ。

そして僕は思う。
社会や宗教や学問に選択肢を奪われるくらいなら、一時的にひとつの音に支配される方がマシだ、と。

↓ プライム会員なら一部無料で聞けるようです (ただし単音ですので悪しからず)↓


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