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アップデートしたい、でもね…でもね…ラブリー…ラブリー…

令和コンプレックス:元号が変わることによって、口では「元号変わっても何も変わらないよね」とか言っていながら、無意識下で平成のコンテンツへの言及が増えたり、平成の文化を賛美してしまう現象。およびそのような心理状態。ノスタルジーの一種。(れんと大辞典より)

25年間大事にしているCDがある。ケースは傷だらけ、白い部分は黒ずんでしまっている。子どもの頃に大好きだったアニメのサウンドトラックで、手元には5枚ある。その他にドラマCDなどを含めて、実家にも何枚か残っているはずだ。
そのアニメは大人気だったというわけではない。しかし数年前のイベントでコスプレをされている人たちがいて、放映が終了しても長きにわたって愛されていることが分かる。

その直後くらいエヴァンゲリオンの放送が開始された。当初は今ほどの社会現象ではなかったけれど、それなりの人気を博していた。
僕はエヴァも好きだったけれど、全面的に飛びつきはしなかった。その前のアニメが好きすぎて、自分の感性を更新することがうまくできなかったのだ。

ミーハーなところがないわけではないが、逐次新しいものに飛びつく姿勢には乏しい。自分の中で火が付くのに時間もかかり、一般社会とのタイムラグがかなり大きい。ただトロいだけなのかもしれない。旬のお笑いタレントなんか認識するのに1年、好きになるのに1年かかったりして、好きになった頃には消えていることも少なくない。だからダンディ坂野が好きだ。時間がかかってもブレずに待ってくれている。

(σ゚∀゚)σゲッツ!!

そのアニメのサントラは、かつてMDにも録音した。MP3プレーヤーにも、ipodにも。そしてipodとはアカウントが変わってしまったので、今回また新たに取り込んだ。何度聞いてもその度に新しい。当時とは違う発見がかならず現れる。

エヴァとは違って続編は作られない。古典の世界に行ってしまった作品だ。しかしむしろその方が良い場合もある。創作者によって新しいコンテンツを追加されることを期待するのは、夢のようであって夢がない(シーズンもののアニメで面白いのは大抵1st,2ndシーズンくらいまでだと思っている)。既存のコンテンツの中に自分自身で新しい世界を発見して追加していく方が、大きな夢を含んでいる。

しかし古典の世界に閉じこもっていれば、当然どんどん現在に置いていかれる。無理してまでついていくことはないにしても、新しい面白さとの出会いの機会をなくしているような気もしてソワソワすることもある。とは言え、ときめきがなければ本末転倒だ。

熱くなれるものとの出会い。それはおそらく些細なものであったはずだ。探しているほどに見つからないのは、友人や恋人を思い浮かべれば合点がいく。
偶然を引き寄せるためにできることは、感受性を解放することと、出会いの場に積極的に赴くことだ。そんなこと、この歳にもなれば簡単なように思えるのだけどね、なかなか。

コミケには行ったことがない。コスプレもしたことがない。これは僕にとって小さな後悔の1つだ。恭子さん美香さんに怒られそうだ(怒ってももらえなそうだ)。
最近、大好きな漫画の連載が終わってしまったので、小さなイベントに参加してきた。モジモジしているうちに後悔するのはもうイヤだったから。10時開場で11時に行ったら「13時までの整理券配布終了」と言われて驚いた。みんな「好き」を守るのに必死だった。好きの持続力は大事だけれど、瞬発力も必要だ。

「好き」を守るために、ノンビリばかりもしてられない。夢見る少女じゃいられない。

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!