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29. 供犠だとでも言うのか 【花の矢をくれたひと/連載小説】

*ご注意*
本話中には「死」を連想させる描写が含まれてます。苦手な方は鑑賞を控えていただくようお願いします。なおこの問題について記事末にも個人の見解を記しておりますので、作品を読んで下さった方には併せて一読して頂ければ幸いです。

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

カーマ(アビルーパ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛の神。転生を繰り返す度に呼び名が変わる。現世では青年アビルーパ。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。アビルーパに恋心を抱いていたが、諦めて真の意味で親友となった。

ラティ
愛神カーマの妃で快楽の女神。現世では遊女ラティセーナーとしてカーマの訪れを待っていた。

パールヴァティー
創造主の娘にしてヒマーラヤ山脈の娘。インドラに代わる軍神の母となる宿命を背負う。

シヴァ
カイラーサ山にて眠る魔神。

【前話までのあらすじ】

神話世界で繰り広げられるデーヴァ神群とアスラ神群の死闘。悪魔ターラカが軍神インドラを打ち破り、デーヴァ神群は劣勢となった。シヴァ神がパールヴァティーを見初めることで新たなる軍神が生まれるとされ、その鍵を握るのが愛の神カーマ。カーマは心を惑わす三本の矢でシヴァを射ようとしたが、第三の眼が開かれて思わぬ反撃にあう。

29. 供犠だとでも言うのか


 狼狽えるカーマを目掛けて、シヴァの第三の眼から紅黒い光線が放たれた。

 爆発音が鳴り、轟音が打ち続く。立ち昇るのはおぞましい火柱、大蛇の如く渦を巻く大気。火花と火の粉が激しく飛び交い、眼を開けているのもやっとのことだった。
 ──忌まわしい焔の中に影がひとつ、陽炎のように揺れている。宙に浮き、そのものは微動だにしない、小さな、まだ小さな、少年の影。

「ヴァ……サンタ……ヴァサンターーーッ!!」

 カーマは叫喚した。背後にいたはずの親友がいま目の前でその身を業火に焼かれている。シヴァの反撃からカーマを庇ったとしか考えられなかった。
「ヴァサンタ! ヴァサンタ!!」
 必死に手を伸ばそうとするも、ほとばしる衝撃に妨げられる。砂塵が上がり、ますます視界が悪くなっていく。
 もうこの身ごと飛び込んで救出するしかない。身構えて足を踏み出そうとしたその時、後ろからカーマの腕を掴む手があった。
「カーマ、あれをご覧なさい」
 伸びてきた手が、噴煙の奥を指差した。ヴァサンタの影の中に何かがちらついている。微かな光が、ヴァサンタの体内で縦に長く伸びている。
「……あれは……矢?」
「ええ、矢です」
 ラティの言葉にカーマは呆然として地に膝をついた。ヴァサンタが体を焼かれ、そこに新たなる矢が現れた。状況をまったく理解できない。
「どうして、どうしてこんなことに!?」
 カーマはラティの肩を掴んで激しく揺さぶった。狼狽える彼と落ち着き払った妻。あまりに対照的な2人の影が煙幕の中で揺れた。
「ま、まさか……」
 カーマは察した。ヴァサンタがシヴァの反撃を察知して動けるだけの時間が果たしてあっただろうか? 実際カーマは一歩たりとも動けずにいた。
「ヴァサンタは……全てを知っていたのか」
 カーマの眼差しが厳しく詰め寄ってきて、ラティは眼を逸らしながら小さく頷いた。さらに崩れ落ちる彼をラティが抱きとめる。

 放心する彼の脳裏に、そして止まない轟音の裏で、妻の明澄な声が響いた。
「愛の神が携える矢は五本と言われています」
《五本?》
「あなたは神託の通りに三本を集めました。しかし一本は、最も傍にいる、最も大事な友が、その身に隠し持っていたのです」
《ヴァサンタ……》
「そして最後の一本。約束通りシヴァ神の御前にて、夫であるあなたにお渡しいたします」
 ──カーマの背に悪寒が走った。ラティの顔を覗くと、彼女は目の前に広がる地獄のような業火をひたと見据えている。嫌な予感が駆けめぐる。しかしそれがカーマの体を動かすより先に、ラティの寂しげな微笑みが焔の手前に浮かんだ。
「カーマ、好機は一度きりですよ」
「ラティ、何を……」
 カーマが制止する間もなく、ラティはその身を投げた。まだ勢いの衰えぬ火柱が彼女の体をまるごと包んで、手の届かぬところまで跳ね上げる。

「ラティーーーーッ!!!」

 ヴァサンタを焼き尽くした焔は、新しく投じられた燃料によってさらに勢いを増した。まるでカーマの哀しみに呼応するかのように、激しく燃え盛った。
 砂埃と灰が舞うど真ん中で、カーマは嗚咽を漏らして幾度となく大地を殴った。
「……ぎ……だとでも言うのか……こんなものが、供犠だとでも言うのか!?」
 カーマの咆哮は轟音の中でたやすく掻き消された。そんな哀しみなど初めからなかったかのように、虚しく渦に飲まれていった。

 ──輝く矢が二本、宙空に浮かんでいる。残り火に包まれ、濃い紫煙に覆い隠され、それでもカーマが見失うことはない、大事な友と大事な妻の亡骸から突如として現れた矢を。
《絶対に、絶対に無駄にはできない!》
 カーマは立ち上がって焔の中に手を突っ込んだ。激しい熱が皮膚を焼く。それでも彼の腕は怯むことなく突き進み、二本の矢節を一挙に掴んだ。やけに無機質でいやな感触だ。湧き上がる哀しみを堪えて矢をつがえる。そして、かつて弓矢で名を馳せたどんな神々よりも猛々しく、弦を引き絞った。
 修行場にはまだ濃い紫煙が立ち込めており、シヴァの姿は全く見えない。
〈好機は一度きりですよ〉
 頭の中でラティの声が響いた。
 素知らぬ顔をしているヒマラヤスギ、他人事のように見下ろしている太陽、それらの座標を視認すると、カーマの脳はシヴァの左胸の位置を正確に割り出した。
「供犠だとでも言うのなら、
 しかと受け取れーーーーーっ!!」
 ふたたび矢が放たれた。先ほどの三本の矢よりもずっと強力な、光弾とも言うべき二本の矢。ヴァサンタとラティの想いと、カーマの哀しみと憎しみが込められたその矢は、音より速く煙幕の内を駆け抜け、
《────っ!?》
見事、シヴァの心臓を貫いた。

 左右の眼が開かれた。深い瞑想から醒めると、そこは紫煙の漂うさなか。煙を吐く不吉な焔が揺れている。やがて火が立ち消えると、煙が風に流され、徐々に視界が開けていった。
 眼下に、リンガの前に、ひとりの女を認めた。蓮華の種子の数珠を捧げ、恭しく跪いている。創造主の娘にしてこのヒマーラヤ山脈の娘、パールヴァティー。
 シヴァは左胸に痛みを感じ、自分が自分でないような奇妙な感覚を覚えた。
「パールヴァティーよ、今日から我はあなたの奴隷だ。あなたの苦行によって我は買われた」


── to be continued──
「花の矢をくれたひと」残り2話

本話の描写に関する注釈
ラティが火中に身を投げる場面は、インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』のヒロイン・シーターが自身の貞節を証明するために焔の中に身を投じたストーリーに着想を得ています。
またインドの歴史には寡婦が炎の中で夫に殉死するサティという風習がありました。1829年に禁止法が発令されて以降ほとんど行われなくなりましたが、現代においてもサティに準じた事件は散見されます。
本作にはこのような風習を称賛・美化する意図がないことをこの場を借りて注記させて頂きます。また作品全体において、殉死や人身供犠といったものを「過去の遺産」として描いておりますので、その点についてもご留意ください。ご批判等あればありがたくお受けします。常識的な範囲でご意見をいただければ幸いです。

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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