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詩にLINEを送れたらいいのに【日記】

課題として書かなくてはならない詩を1件抱えている……のだが、とても大事にしたい詩なので時が来るのを待っている。半生かけて大事にしてきた本と今の自分との間に生みだす詩を、適当には書けない。実は締め切りはとうに過ぎているのだが、先方は待ってくれる団体なのでとても助かっている。これまでも何度か謝罪のメールを入れたのだが、「全然大丈夫ですよ〜期日は目安です!」といった軽い返信。同じメールを何度も送らせるのも手間だと思うので、今回はしっかり甘えさせてもらっている。

仕事でもプライベートでも、期日や時間は必ず守る方である(当然か……)。ただ、詩ばかりはどうにもならない。詩はこちらから掴みに行くものではなく、あちらから寄ってくるのに気付くもの。全ての詩に当てはまるわけではないが、そう捉えているとしっくり来る。もちろん、やって来た詩情を捉えるための技術は、能動的に書いていかないと身につかない。

詩が「こちらに寄ってきやすい」生活や心情というものは確かにある。しかしこれがまた社会的な活動ととかく相性が悪い。時間を守らない、相手の都合を気にしない、誰かの役に立とうとしない。そういった風に、自由な生に身を委ねている時、詩はひょこりと顔を出してくれる。

先日、こちらの企画に参加させて頂いた。

いや、参加させて頂くとは、なんとも他人行儀ではないか。もともと僕が運営にかかわっていた企画である。ただ諸事情により今回から運営を友人たちに代わってもらったのだ(。-人-。)
その諸事情というのが、先ほどから言い訳がましく繰り返している「詩作と社会的活動の両立を諦めている」というものだ。たとえ「おあそび」であっても企画運営とは大変な仕事である。期間中は方々に気を配ってなくてはならないし、経験やスタンスの違うクリエイターらをまとめる統率力も必要。「手一杯」で自分の創作どころではなくなる。今回その手間を人に押し付けて、僕はこんな一行詩を書いた。

 伸びゆく影を追って黄昏にひとり

 笛吹きと道化師の夜深し

うむ、運営を代わってもらってまで創作に集中した結果がこれでは少々情けない。ただ、こんなものでも自分の詩情にスイッチした感覚は確かにあるのだ。
昨日、久々に四行詩を更新した。そのついでに詩マガジンにある自作を軽く読み返してみたのだが、こんな詩が出てきて驚いた。

あぁ、うん、こういうのが自分の詩だよなと思う。意識の層が普段描いている文とは違う。どちらが良いというわけではないし、読者から見たらどちらも大して変わりないのだろうが、詩文というものは自分で「よし」という感覚が得られなければ、あまり意味がないのではないかと思う。

僕は元々は詩書きで、なんとなく小説も書き始めて、教えてもらって楽しいから俳句も詠んでいる。どれもなかなか成果は出ない。けれどスイッチの切り替えは多少巧くなったと思う。切り替えられるようになったのは、おそらくそれぞれの本質をかするくらいは出来るようになってきたからではないかと思っている。完全に分離する必要はないが、それぞれの型の中心はしっかりと見据えていたい。

今日は休み。午前中に家事を片付けて(頑張った)ご褒美にカフェでピザを食べて(美味しい)これから小説の推敲と運営しているサークル記事の作成。昔はそんなことしていると詩が遠ざかるような気がしてたけど、詩はいつも傍にあって、うまく気付けないだけなんだよな。こんな時、詩に「少し寂しくさせるけどごめん」とLINEを送れたらいいのに。

#詩  #ポエム #エッセイ #日記

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