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22. ほどけゆく恋 ほどけない恋【花の矢をくれたひと/連載小説】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭の子息。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。アビルーパには友情以上の好意を抱いている。

ダルドゥラカ
パータリプトラ出身の商人家系の子息。諜報活動員として働く肉体派。

カーリダーサ
グプタ王朝の元宮廷詩人で劇作家。霊力を込めた詩文でたびたび時間ループの事件を起こした。

ラティセーナー
愛神カーマの妃、ラティの化身。パータリプトラの遊女館でアビルーパが訪れるのを待っていた。

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための矢を捜しているアビルーパ、ヴァサンタ、ダルドゥラカの3人は、首都パータリプトラにて2本目の矢を得た。
ある時、アビルーパが花街へ遊びに行った1日が何度も繰り返された。ヴァサンタが異変に気づき、詩人カーリダーサと対峙してループを解除した。
その日、アビルーパが遊女館で出会ったのは前世の妻ラティの化身だった。彼女は3本目の矢を持っていたが、再会に困惑した彼は館を飛び出してしまった。

22. ほどけゆく恋 ほどけない恋


 館を飛び出したアビルーパは無我夢中で駆けた。花街を闊歩する伊達男たち、色目を振りまく遊女たちに目もくれずに。行き先はどこでも良かった。ただあの遊女、ラティセーナーから離れられれば。
 最後に見た顔が脳裏に焼き付いていた。切なげに抱擁を請う顔。アビルーパは言い知れぬ罪悪感に苛まれた。《いったい俺が何をしたというんだ?》自問を繰り返した。
 やがて川の流れる音が近づいてきて、路地を抜けると一気に視界が開けた。市街から続く段丘の上に立つと、雨で水位を増したガンジス川が目に飛び込んできた。雲間から差す陽の光をふんだんに吸い込み、川底に第二の太陽を隠しているようだった。
 その絶え間ない音に、立ち昇る水の香りに包まれ、アビルーパはようやく呼吸ができる場所を得た心地になった。
「ラティ……セーナー……?」
 ふと遊女の名を口に出してみた。前世の妻の名を含むその言葉は、眼前の川にいとも簡単に押し流されていった。アビルーパはその行方を追って下流の方を見やった。すると遠く川岸に立つ親友、ヴァサンタの姿を見て取った。
「ヴァサンタ!」大声で呼びかけて手を振る。しかし声は届かない。「ヴァサンタ!!」二度目の声も川音に掻き消されてしまう。アビルーパは石段を駆け降りて友の元へと向かった。

「ヴァサンタ!」あと数メートルというところまで来て、ようやっと声が届いた。
「ア、アビルーパ? どうしたの、こんなところまで来て」
 振り返った友の顔をアビルーパはしかと見据えた。何か謝らなくてはならないような気がして、昨日今日のことに思いを巡らすと、今朝のヴァサンタの様子が朧げに浮かんできた。しかしそれは楽しそうだったり、怒っていたり、困惑していたりと、なかなかひとつに定まらなかった。
「今朝……なんか妙な感じだった?」アビルーパはなんとか言葉を絞り出したが、自分でも何を訊いているかよく分かっていなかった。ヴァサンタは友の質問を受け流して軽く瞼を伏せた。
「……ねえ、アビルーパ。会ったんだよね、ラティに」ヴァサンタは遊女館で何が起きたのかを知っていた。それはカーリダーサの台本シナリオに書いてあったからだ。
「ど、どうしてそれを?」
「ラティの名を見たら、僕も色んなことを思い出しちゃったよ」ヴァサンタはアビルーパの問いにいっさい答えようとせず、まるで一人芝居を演じるように話を続けた。

「春の神ヴァサンタ。愛の神カーマに付き従い、みなが恋に陶酔するような春の陽気を演出する神……」
 彼は手品のようにふわっと一本の花を出した。季節外れの春の花だった。
「つまり誰かの恋をお膳立てする神、それが僕」
 そう言って、瞬時に花をしまった。
「本当は分かってたんだよ。アビルーパには運命の人がいるってこと、それが僕じゃないってことも。でもね、あの森で君に膝を貸していたとき、もしかしたらふたりとも人間のまま、ずっと一緒にいられるんじゃないかって期待しちゃったんだよね。僕も恋物語の主役になれるんじゃないかって」
 アビルーパは彼の話をよく聞くために一歩あゆみ寄った。
「君が再びラティに巡り会ったということは、おそらく神話の世界が動き始めている。君はカーマとして、僕は春の神ヴァサンタとして、また転生しなきゃならない時が近づいてきてるんだよ、きっと」
 ところどころで震える声。アビルーパは目を逸らさずにじっと聞いていた。
「だから……もう今日で終わりにする」
 ヴァサンタは改まってアビルーパの方へ向き直った。

「もしボクのことを大事だいじに想ってくれていたのなら……いちどだけで良いから……ハグ、してくれないかな。そうしたら君の従者として、真の友として、ちゃんと転生できそうな気がするんだ」
 ヴァサンタは寂しさと決意とが混じり合った微妙な表情をいちど浮かべ、ばつが悪そうに俯いた。アビルーパは惑うことなく、片腕を少年の肩に回して強く引き寄せた。
「ヴァサンタ、大事だいじに決まっているさ。さっき君を見つけたとき、俺がどれだけ安心したことか。ハグなんて何遍だってするよ!」
 そう言って抱きしめる力を強くする。ヴァサンタはたったひとつ実を結んだ恋の願いに、束の間の幸福を噛み締めた。神としてではなく少年としてだ。すると〈人は命に従順になる〉という吟遊詩人の言葉が脳裏に浮かび、自身の内で絡み合っていたふたつの想いがほどけていくような心地がした。ヴァサンタは想い人の肩に額を預けたまま〈ありがとう〉と息だけで囁いた。
 止まない抱擁に次第に恥ずかしくなってきて、ヴァサンタはもぞもぞと腕の中から逃れ出た。そして先ほどまでとは打って変わった、妙に頼もしくなった青年の顔つきをして言った。
「僕さ、カーマのそういうところ、良くないと思う。ほんと人たらしだよねっ!」咎めつつ肯定する、真の友情が芽生えた瞬間だった。ふたりの心底から湧き上がる笑顔は、だだっ広い水面の煌めきに負けないくらい、燦々と輝いていた。

 ややあって「なーんだ、お前らもここに来てたのか」と声のした方を振り返ると、しおらしい顔をして立ち尽くすダルドゥラカの姿があった。幼馴染の遊女と楽しくしているはずの彼が現れたことに2人は戸惑った。
「ダルドゥラカ、どうしてここに? っていうかその頬どうしたの?」
 ヴァサンタが指差した先で、ダルドゥラカの左頬が真っ赤に腫れ上がっていた。
「いやぁ、なんだか知らねえけど、幼馴染がさ、身請けが決まるかもって言うもんだから『おめでとう』って言ったら、あいつ急に怒り出しちまってよぉ。ったく、どいつもこいつも情緒不安定かよ」
 理解できないといった顔で頭を抱えるダルドゥラカ。アビルーパとヴァサンタは顔を見合わせると、おかしさを堪えきれずに吹き出した。
「あのさぁ……ダルドゥラカって他人のことにはめざとい割に、自分のことになると全く見えなくなるタイプでしょ?」
「あ? なんだぁ??」
 睨むダルドゥラカに舌を出して応戦するヴァサンタ。やり合う2人の姿をアビルーパは微笑ましく見ていた。
「ま、こうして3人揃ったわけだし、気分直しに茶でも飲みに行くか」
「たまには良いこと言うじゃん。ここに来る途中で良さそうな茶屋を見つけてたんだ。行こう!」
 と、よそ見をしながら走り出したヴァサンタは近くを歩いていた男にぶつかってしまった。背の低いヴァサンタの顔が相手の胸にうずまる。
「あ、ごめんなさい」謝りながら見上げると、それはどこか見覚えのある商人風の男だった。ヴァサンタは記憶の糸をたぐっていくがすぐには思い出せない。

 先に気付いたのは男の方だった。
「い、いたぞ! 宝庫破りだ!!」


── to be continued──

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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