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26. それぞれの使命【花の矢をくれたひと/カーマの章・了】

不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
↓過去話の振り返りはコチラより↓

【登場人物】

アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。

ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身。アビルーパに恋心を寄せていたが、諦めて真の意味で親友となった。

ダルドゥラカ
パータリプトラ出身の商人家系の子息。諜報活動員として働く肉体派。

カーリダーサ
詩聖と称される宮廷詩人で劇作家。霊力を込めた詩文でたびたび時間ループの事件を起こした。

ラティセーナー
愛神カーマの妃、ラティの化身。パータリプトラの遊女館でアビルーパが訪れるのを待っていた。

【前話までのあらすじ】

シヴァを射るための矢を捜しているアビルーパ、ヴァサンタ、ダルドゥラカの3人は、首都パータリプトラの地下宝物庫で2本目の矢を得て、遊女館で妻ラティと再会して3本目の矢を見つけた。
しかし突然、街のあちこちで暴動が起こる。詩聖カーリダーサ曰く、神々の戦いにおいてインドラが敗北したことが原因とのこと。新たなる軍神を生むために、カーマ達は神話世界のヒマーラヤ山脈に向かうことになるが、妻ラティがそれに同行すると言い出した。

26. それぞれの使命


「わたくしが共に参ります」
 凛とした声が響いて、一瞬、場の時が止まったかのようになった。短い静寂を破ったのはダルドゥラカ。彼は呆れた顔を浮かべておどけた。
「おい、お嬢さん。誰だか知らねえが、そこいらの丘へハイキングに行くんじゃないんだぜ?」
 ドミノ倒しのように、次はヴァサンタが呆れてみせる。
「ダルドゥラカ、この女性ひとは快楽の神ラティの化身、アビルーパの前世の奥さんなんだよ」
「え、マジかよ?」ラティの正体よりも、アビルーパに妻がいたことに驚いたような言いぶりだった。
 ラティセーナーは星を見据えるような強い眼差しを遠くに向けた。
「カーマにシヴァを射る使命があるように、わたくしにも大事な使命がございます。それは山脈まで夫に付き添い、シヴァ神の御前にてこの矢を渡すことです」
 そう言って、恋慕の矢を強く抱きしめた。
「ここで矢を渡してくれればいいのに……使命とまで言われちゃ、ねぇ」
 ヴァサンタが困った顔をしてぼやいたが、ラティセーナーは頑として譲ろうとしない。
「分かった、ラティ。でもお願いだから、どうか無理はしないで」
 アビルーパの優しくかけた声が届いているのかいないのか、彼女はしばらくその姿勢を崩さずにいた。
 妙な緊張感が立ち込めるなか、突如としてカーリダーサが声を張る。
「天啓が来るぞ。儂がそれを受けて叙事詩に続きを書き込む。詩の霊力を解き放てば、お前たちを神話世界に送り込むことができるはずだ」
 彼は目の前の紙束をめくり執筆中の最後のページを捜したが、その途中でふと手を止めた。

「と、その前に。ヴァサンタ、あの娘たちを何とかしてはくれないか」
 カーリダーサは振り返って言った。彼の指差す方向には、暴徒から逃げのびた遊女の群れがあった。まだ恐怖から醒めやらぬ、みな着の身着の儘で、中には半裸のまま放心状態で座り込む娘もいた。
 ヴァサンタは彼女たちを怯えさせぬようゆっくりと近づき、宙に向けていちど大きく腕を回した。すると屋根裏部屋にとつぜん春風が吹き込み、辺りに花が舞い、草の蔓が伸びてきた。あっという間に春色の衣が出来上がり、彼女たちの身を優しく包んだ。色めき立つ遊女たち。ヴァサンタは「これで大丈夫だね」と言って、再びアビルーパたちに合流した。
「おっさん、意外といい奴だな」ダルドゥラカがニヤニヤしながら言うと、カーリダーサは「ふんっ」と言ってそっぽ向いた。
 アビルーパはその一連の流れを見て、つい先ほど目の当たりにしたラティセーナーの部屋がフラッシュバックした。部屋の中で暴徒化した客、肌着姿で立ち尽くすラティ。暴徒を撃退した後、彼女に肌を隠す衣を渡してやったのだが……
 急に嫌な考えが頭をよぎって、心がもやついてくるのを感じた。《ラティはここで遊女として働いていたのか……》それは今この時、使命を果たす場へ向かう間際にはそぐわない、下卑た感情だった。しかしアビルーパは猜疑心をうまく打ち払えず、胸の奥へとこっそりしまった。

「天啓が聴こえる。続きを書くぞ!」
 カーリダーサが再び紙束をめくり、白紙のページに文字を書きつけ始めた。その後ろで4人がそれぞれ詩人の執筆を見守る。
〈インドラよ、我の名射手としての使命が示された〉
 筆記具の紙に擦れる音にカーリダーサの声が重なる。
〈我にはしなやかな花の矢、花蔓の弓、蜜蜂の弦がある。ラティは愛すべき妻であり、ヴァサンタは我が同胞である〉
 アビルーパは両脇にいる2人の顔をそれぞれ見やった。ラティセーナーは朗誦される詩文に集中している。ヴァサンタはアビルーパに「大丈夫だよ」と頷いて見せた。
 次いで、少し離れて立つダルドゥラカに目を向ける。彼は湧き上がる感傷を堪えて《ここは俺が守る》と強く胸を叩いた。
〈インドラよ、我はその言葉を為すであろう。シヴァ神に、山より生じた娘を娶らせてみせよう〉
 3人の体が光り出し、みるみると輝きを増していく。その眩さにダルドゥラカはひとり目を細めて後ずさった。
「行け、愛の使者カーマたちよ。神々の世界を救え!」
 カーリダーサが詩の終節まで唱えると、屋根裏部屋の隅々まで光が充ち渡った。叙事詩『新たなる軍神のクマーラ・誕生サンヴァバ』の原稿から衝撃が迸り、詩聖の霊力が解放される。
 ダルドゥラカは吹き飛ばされそうになるのを堪えながら必死に叫んだ。
「アビルーパ!ヴァサンタ! 絶対に帰ってこい、また遊ぼうな!」

 やがて衝撃が止み、ゆっくりと光が衰えていく。屋根裏部屋は元の静けさを取り戻した。その片隅にはひとりの詩人とひとりの諜報活動員が居残り、神の化身たちの姿は見当たらなかった。遊女らは突然の光と衝撃と、人が忽然と姿を消したことにざわめいていた。
「行っちまった……」
 ダルドゥラカが膝をついて項垂れる。
「……さっきはお前のことを凡夫と言ったが、あいつらの矢捜しを手助けしてくれたことには礼を言っておこう」
「別に大したことはしてねぇよ。でも三本の矢が揃ってるんだ。あいつらならちゃんとシヴァを射抜いてこの暴動を止めてくれるはずだ」
 しばし間を置いて、カーリダーサが神妙な面持ちで口を開く。
「……五本だ」
「は!?」ダルドゥラカは驚いて顔を上げた。
「カーマの携える矢は五本だと言ったのだ」
「は? どうすんだよ、あいつら五本も揃えてねえぞ!」
「心配はない。じきに揃う……」
 詩聖はそれ以上を語らず、ただ原稿に向かって筆を進めた。


『花の矢をくれたひと』カーマの章 了

── to be continued──

カーリダーサの書きつけた詩文は『カーリカー・プラーナ』という文献の日本語訳を参照し、改変を加えつつ小説に挿入しました。掲載している論文の表題が小説のネタバレとなってしまうため、参考文献は連載終了後に記載させて頂きます。
(だからみんなぜひ最後まで読んでね!)

【ご注意】
本作は何らかの宗教的信条を伝えたり誘導するために書かれたものではありません。また時代背景や史実とは異なる点も多々あり、あくまでエンターテインメントの1つとしてお読み頂くようお願い申し上げます。

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