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残したい言葉

 残したいものは何か、ひとわたり考えてみたが、結局のところ、ひとが生きるために必要なものがそれであろう、と見定めた。
 それは、人が人とともに生きていくために知っておいた方がよい言葉、人に生きるために大切なことは何かを教え、人を支え、励まし、時に慰め、時に叱る、誰かしらの心に響き、その身体に沁みていくもののようだ。
 まるで、樹液か光のシャワー、星の煌めき、波の騒めき、雲の囁き、木の葉の舞い、昔聞いた母の子守唄、ほろ酔い加減の父がぼそぼそとつぶやくように唄う流行歌(はやりうた)みたいなものだろうか。
 たとい、それが、詩であれ、歌であれ、物語であれ、エッセーであれ、小説であれ、ドラマであれ、あるいは、哲学であれ、信仰であれ、祈りであれ、嘆きの声であれ、悲しみの嗚咽であれ、怒りの叫びであれ、戯言であれ、そこに人への愛が、未来へと繋ぐ人と人への信頼があれば、そうした言葉を生む、生まれてくる。
 長い風雪に耐え、それでも、誰かに伝えないではいられない、次の世代にも、未来のまだ見ぬ友たちのためにも。

 今一番気になる言葉は、福音書にある次の言葉である。
「貧しき者は、幸いである。天の国は、彼らのものである。」
 貧しい者たちがともに手を携え、ともに助け合いながら、人間の世界に救いを実現させる、そうした見果てぬ夢を語る言葉である、と好きなように読み取った。
 ともに生きることで、その貧しさ(身体的であれ、精神的であれ)を分かち合うことで、人は幸いとなる。
 分かち合うことで、その人が受け取る分を減ずることはない。
 むしろ、人と分かち合うことで、その受け取るものは、より多くを人に与えることができるまでに増えている。
 人と人とが交わす言葉がそうであるように。
 その生きる働きの言葉は、生死や性別や制度や国境を易々と越える。
 死せる者も生ける者も、貧しき者も虐げられた者も、ともにあり、ともに語る。
 そこに、人の真実に至る言葉、生きる働きがある。

 残す言葉は、求める人に出会えば、掘り出された宝石のように輝きを始める。
 耳を傾ければ、美しい響きがする。
 目を注げば、星の輝きを放っている。
 時に、香しいかおりに満ちて。

 誰かの心に寄り添う言葉の一つでも残せたとしたら、その人生も満更捨てたものではなかったということか。
 心して生きよ。
 そう励ます声がした。

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