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まだ若いんだから、なんてほんとは誰も言いたくない


「まだ若いんだから」
先日の母との電話で言われた。正直またそれかと思った。
母だけでなく、これまで何人の大人に「まだ若いんだから」と言われたことか。
大抵はその後ろに「何でもできる」とか「何にでもなれる」が続く。
そう言われる度に、若いからなんだ!昔とは違うんだ!と言い返したくなる。
人生100年といわれる時代で、私は20代を折り返したところ。
確かにまだ若いと思う。
だけど、”若い” ことと ”何でもできる” ことはイコールではないとも思う。


高校生の頃、将来の夢は歌手だった。
親が決めたまあまあな偏差値の普通科高校を受験し、入学式で「入学おめでとう。さあ、今日から大学入試に向けて頑張りましょう。」と言った誰かの挨拶を素直に聞き、部活にも所属せず、思い出して恥ずかしくなるような恋愛もせず、かと言って猛勉強するわけでもなく、何となく高校時代を過ごした。
いよいよ進路を決めようという時に、急に自分の人生の選択肢が狭くなった気がして怖くなった。
医学部に入学したら医者、教育学部に入学したら教師になる。
一生引き返せない道の中から将来の仕事を1つを選べと言われているような気がした。
「やりたい事なんて無い」と毎日母と喧嘩した。
今思えばそこまで思い詰めるほど究極の選択ではないと思うが、当時は医師免許を持った芸人も教員免許を持ったアイドルも知らなかった。
初めて真剣に将来を考えた時、真っ先に思い浮かんだのが歌手だった。
ちょっと歌が好きなだけ、可愛くもないし、スクールに通う経済的余裕も無い、絶対笑われる。
適当な理由を付けて将来の夢から除外し続けていたものが、一生引き返せない道を決めなければならないと思った瞬間に急浮上した。
分からないなりに一生懸命スクールを調べ、有名音楽スクールの資料を取り寄せた。
意を決して両親と担任の先生に話した。
「受験勉強が辛くて逃げ出したいだけじゃないのか」
「大学に行ってサークルに入ればいい」
「何で今さら、本気だと思えない」
瞬殺だった。
今思えば試されていたのかもしれない。
受験勉強が辛かったことも確かだったし、納得してもらえるまで話し合いを続ける根気も、家を飛び出して単身上京なんて勇気も無かった。
本気じゃなかった、というより本気を出さなかったのだと思う。
結局また親が決めたまあまあな偏差値の大学に進学し、音楽サークルに入ることもなく、何となく受けた企業に就職した。
新卒で入社した会社でSEとして2年半働き、転職した今は外資系コンサルティング会社でITコンサルタントをしている。


最近、10年前に一瞬顔を出した夢を何度も思い出している。
未練があるわけではないが、気に入った歌手が年下だと知ると少しだけ悲しい気持ちになる。
子供の頃から一生懸命楽器を練習し、自分の将来に不安を抱きながら、駅前やライブハウスで歌ってきたんだろうかと。
歌手だけではない。キラキラした若手俳優や若手芸人を見ると、せっかく見つけた夢に一歩も踏み出さなかった情けない自分と比べて、悲しいような、切ないような何とも言えない気持ちになる。

今日、妹に「若いっていいね」と言っている自分がいた。
確かその後には「何でもできるじゃん」と続けたと思う。
昔も今も変わらずバトンのように受け継がれるその台詞は、過ぎた時間の中でいろんな理由をつけて本気を出さなかったことがある大人たちが、半分は目の前の ”若さ” に、半分は ”あの頃の自分” に向かって、つい言ってしまうのだ。
幸いなことに私はまだ若い。何でもできるわけではないが、10年後の自分が後輩たちに向けて「まだ若いんだから」と言わないよう、本気を出してみようと思う。

このnoteはその一歩だ。

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